藤沢周平著 『風の果て』






                
2007-12-25
                                            



 (作品は、藤沢周平著 『風の果て』(上)(下)朝日新聞社による。)

         

 上巻:1983年(昭和58年)10月14日号〜1984年4月6日号まで「週刊朝日」に連載。
 下巻:1984年(昭和59年)4月13日号〜8月10日号まで「週刊朝日」に連載。
 本書は1985年(昭和60年)1月刊行


 藤沢周平は、1927年12月山形県生まれ。1997年1月没。


主な登場人物:
 
片貝道場の五人組

上村隼太
(後、桑山又左衛門と称する)

130石家の次男。郡奉行桑山又左衛門家に婿入りする。妻満江。義父の指導で色々学び、初めは杉山鹿之助の引きもあったが、最後は忠兵衛の政敵とも思われるが主席家老にまで上りつめる。

杉山鹿之助
(後、杉山忠兵衛)

一千石の上士。毛並みは群を抜く。家を継いでからは、出世街道を上りつめ、主席家老まで勤めたがやがて・・・
野瀬市之丞 隼太達と仲が好かったが、宮坂一蔵を討たねばならず、その後は性格ががらりと変わってしまい、ついに又左衛門に果たし状を突きつけて・・

三矢庄六
(後、藤井庄六)

最も家禄は少ないが、普請組として身分相応の暮らしぶりが幸せ?

寺田一蔵
(後、宮坂一蔵)

宮坂家の類と夫婦になったが、身持ちの良くない類の男を殺傷し、脱藩、野瀬市之丞に討たれる。その時の死にざまがその後の野瀬市之丞の人間を変えてしまうことに。

桑山孫助

桑山隼太の義父にあたる。郡奉行の頃、大蔵が原で隼太に会ったことから隼太は桑山家に婿入りが決まる。

読後感:

 物語の主人公としては、桑山又左衛門と、杉山忠兵衛の勝ち上がり競争、それをクールに見る野瀬市之丞がいて、ずっとはずれにいる藤井庄六の最後の厳しい言葉、一蔵が脱藩して市之丞が討手となりその時の死にざまなど、やはり藤沢周平の世界がグイグイひきつけて目を離させない。小説の題「風の果て」の意味も最後に投げかけられていて印象に残る。
 
 役組織のこと、武士の世界の嫡男以外の者の生き方(婿に入るとか養子になるとかの風習)、名前が変わること、これが判らないと何度も読み返すことになる。

 時を同じにしてNHKの木曜時代劇で「風の果て」が放送されていて、最初の方はテレビを先に見ていたが、現在と若い頃がよく入れ替わったり、名前も良く判らず、理解が難しかった。さらに小説ではバックグラウンドというか心情とか状況が説明されているのに対し、映像だけでは難しいような点も見られ、脚本家の苦労も良く判る。

 先に「三屋清左衛門」では映像の方がむしろ出来が良かったような気がしたが、今回は小説の方が感情移入が出来たような気がする。



印象に残る場面藤沢文学の真骨頂を表す表現
 

◇桑山又左衛門(若い頃の上村隼太)が野瀬市之丞との果たし合いを終え、藤井庄六(若い頃の三矢庄六)と交わすやりとり:

「庄六、おれは貴様がうらやましい」
「執政などというものになるから、友だちとも斬り合わねばならぬ」
「そんなことは覚悟の上じゃないのか」庄六は、不意に突き放すように言った。
「情におぼれては、家老は勤まるまい。それに普請組の勤めは時には人夫に混じって、腰まで川につかりながら掛け矢をふるうこともあるのだぞ。命がけの仕事よ」
「うらやましいだと?バカを言ってもらっては困る」

◇物語の最終節で若い頃の仲良しの友達とのことを思い出しながら:

 一目散にここまで走って来たが、何が変わったか。忠兵衛とは仲違いし、市之丞と一蔵は死に、庄六は・・・。
―――庄六め。この間は言いたいことを言やがった。



余談:

 NHK木曜時代劇の「風の果て」には「尚、足(た)るを知らず」という言葉が語られている。一方、小説ではこの表現の個所は出ていない(?)。果たし合いの後の行動も違っていた。脚本家の手腕の所であろう。小説の方で、果たし合いの後の桑山又左衛門と藤井庄六との掛け合いのことを振り返る場面が印象的である。
 足るを知るとは、欲張らないと言うことらしい。

背景画は NHK木曜時代劇「風の果て」の画面より。

                    

                          

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