物語の大筋:
三笠付けという句合わせのかけごとに才を示し、俳諧師と名乗る露光に褒められ、下総の油屋大川立砂の奉公先を世話され、俳諧の道にはいる。(注: 江戸に出て10年間の弥太郎の消息の資料はない。一茶という号で俳句を発表するまでの話は、藤沢周平の想像である。本注は、参考資料にある「文春文庫」の解説による。)
作品では、俳諧師といっても、江戸で名だたる宗匠になって、多くの門人を抱えるものでなければ、悠々とした暮らしは無理。ある程度の名声を得たら、地方を回り、接待されて句会を開き、お礼を貰ったり、泊めてもらったりして、人のやっかいに甘んじなければ生きていけない姿が、浮かびあがってくる。
そして、一茶の句風も世の中に受け入れられず、名声を得ることも出来ない。幸いなことに、葛飾派の二六庵竹阿が亡くなり、その弟子ということで箔を付け、西国を廻ることにする。足かけ6年にもなり、江戸に戻ると長すぎた不在が、葛飾派に戻る場所がないことを感じる。
15年ぶりに故郷に帰った時、ここでも自分の居場所がないことを感じる。
読後感:
この作品は、俳句の世界だけでなく、人生の一面を際だって描かれていて、なかなか関心をそそる内容であった。それにしても、余り知らなかった一茶の生涯は、貧しく、つらく、それでいて欲望をむき出しにして恥じない、したたかさを持ち合わせた、強靱な神経の持ち主であったのだなあと思う。
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