物語の背景:
「妻の葬儀を終え、自身も感染症に一命を取り留めた筆者が、全てが一段落してホッとした後、突然前触れもなしに一種異様な感覚に襲われた。自分が意味もなくただ存在している、という認識である。」とあとがきに記されている。このままでいると気が狂うに違いないと編集長からの依頼に応え書き上げられたのが本書である。
読後感:
家に帰ってきて電灯もついていない、留守ならいいが、家が活きていることを示す証が認められない。明かりをつけて鞄をおいた瞬間に電話が鳴る。「・・・実はお宅の奥さんが、事故を起こしたんだよね。・・・」
冒頭の情景描写から何か不安な出来事を予感させる。しかも事故現場は鎌倉駅西口の話、ごく身近な話題である。最近はやりの振り込め詐欺事件かとさえ思わせる。
41年を数えるにいたった結婚生活を共にした妻(慶子)の余命が、三ヶ月先の結婚記念日を迎えられないかも知れないという末期癌に犯されていることを知った夫(江藤淳)が、妻を看取り、葬儀を終えるまでの苦悩の日々が、重苦しい記述ではなく、淡々と語られていく。その淡泊さゆえか、むしょうに切なく響いてきて、一息に読んでしまった。
こんな夫婦の姿って羨ましい限り。
また、著者自身が心労のため急性前立腺炎を発症しながら、葬儀を処理しなければならない状況に、こんなこともあるのかと驚かされた。
特に、入院している妻の側に付き添って一緒にいる時の生と死の時間、それから妻が逝った後、その生と死との厳粛な境界から立ち直って、あの日常性と実務の時間に戻れたのは、妻の幻影が「あなた自身が崩れない限り、外からの力ではあなたは決して倒れない。前にもいった通り、あなたは感染症では死なないわ。もう少しお仕事をなさい。」と後押ししたからとは。そんな立ち直りにも心打たれた。
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