ドストエフスキー著 『カラマゾフの兄弟』
       亀山郁夫訳





              
2008-10-25



(作品は、ドストエフスキー著亀山郁夫訳 『カラマゾフの兄弟』光文社文庫 による。)


          
              
 

2006年(平成18年)9月初版
2007年(平成19年)2月初版  3
2007年(平成19年)7月初版  4
2007年(平成19年)7月初版  5 (エピローグ別巻)

 

主な登場人物: (第1−2部中心に)

父親 フョードル フョードル・バーヴロヴィチ・カラマーゾフ。無一文からなりあがってきた零細の地主で好色家、分別のないロシア的資質のタイプ、財産上の問題だけは処理能力に優れた人物。先妻が亡くなってすぐ、ドミートリーを放りだし、他人に任せるような父親。ドミトリーとは財産分与で仲たがい。後の二人の子供も同様放り出す。そして成人した子供達との間に悲劇が・・。

長兄 ドミートリー(愛称:ミーチャ)

先妻の子。退役将校、父親に対して遺産や財産の勘財で抗争をおこす。女好き、恥っさらしなところあるも、高潔、噂をまき散らすことはしないし、自分が虫けらのような人間であることも承知している。
次兄 イワン 二度目の妻の子。博学で無神論者。苦労しながら自分で生計を立て、幼い頃から他人様の情を受けて暮らしていることを痛いほど意識。自身で生活できる力を蓄え、やがて兄の頼みでフョードルと仲良く暮らし始める。父親は実はイワンを一番怖れている・・・。

三男 アレクセイ

(愛称:アリョーシャ)

主人公、二度目の妻の子。名高いゾシマ長老に巡り会い惚れ込み(19歳のとき)修道僧の世界に身を投じる。

博愛主義者。フョードルはアレクセイを一番好いている。
先妻 アデライーダ 名門貴族ミウーソフ家出身。空想の虜になって結婚するも、3歳になるドミートリーを残し、屋敷を捨て神学校での教師と手に手を取って逃げ出す。後急死。そのときフョードルは解放されたと喜ぶが、財産横取りは失敗。

二度目の妻 ソフィア・イワノヴチ

無名の輔祭(ほさい)の娘、身寄りのない孤児。高名な老将軍夫人の裕福な屋敷で育てられるが、耐えられずフョードルと駆け落ち。フョードルは彼女の清純な姿に心を奪われ、8年続いたが、夫の行為に神経症を病み二人目の子アレクセイが4歳の時死ぬ。

グリゴーリー
妻 マルファ

カラマーゾフ家の忠実な下男。

スメルジャコフ カラマーゾフ家の二人目の下男。恐ろっしく人づきあいの悪い無口な男。モスクワで料理の修行をし腕は確か。テンカンの症状あり、信仰に関して理解できない発言に騒動。
ピュードル・ミウーソフ アデライーダの従兄弟。一族の中で別格の人物。教養あり、都会人かつ外国人風、リベラル派。

カテリーナ
(愛称:カーチャ)

ドミートリーのフィアンセ。絶世の美女で金持ち、貴族の生まれ。だがドミートリーはグルーシェニカのもとに走り出したい一心。イワンは兄の了解を得て、カテリーナを横取りしようと。
グルーシェニカ 町の老商人クジマ・サムソーノフの囲われ者。魅力的な女であるが、心のねじれた気まぐれな悪い女。親父のフョードルが彼女に熱を上げていて、親父と長兄の間は陰険な関係。



読後感:
 

「カラマーゾフの兄弟」はドストエフスキーの最後の作品であり、かなりの長編である。ところで第5部に記されている著者の、ドストエフスキーの生涯に関する経歴、そいて「カラマゾフの兄弟」の解題を読んでみると、本作品を理解するには相当なパワーが必要だなあと感じる。

 何も知識がなく、漠然と一度読んで見た限り(図書館での予約が多く、続いて読み切ることが出来なくて待ち時間があって内容を忘れてしまうことも多々あり。)で感じたことは、単にミステリー小説としてストーリーを楽しむことを中心に見ても相当面白い。すなわち3層構造の内の「物語層」――物語の筋立てや心理的なメロドラマに相当――ただストーリーと直接関係ない部分もかなりあるという感じはするが。

 さらに主人公はアリョーシャと思われるが、アリョーシャが最初は中心人物らしく思えるが、その後は付き添い人的でおかしいなあと思いつつ進んできた。そうして亀山郁夫の解題を読んで解った。第2の小説があることを。しかし実現しなかったことを。

「カラマーゾフの兄弟」は未完のまま、多くの謎を秘めて研究者の間で語られていることを。どうも最初に読む本を間違えたようだ。というか、ドストエフスキーに関心を持つと、もっと深みに入っていかないと本当の良さを理解できないことがわかった。ちょうど夏目漱石の作品を読み解くように?。

 ドストエフスキーの生涯をもっと知り、作品群を読み解き、ロシアの歴史を知りたくなってしまう。それだけで結構な時間を費やしそうである。難点は、翻訳物によること、そこが問題だ。幸い本作品は翻訳者の後書きにもあるごとく、いま息をしている言葉で、一気に読めるような翻訳をこころがけたとあるとおり、あまり翻訳臭いという感じでなく読めたのは非常にうれしかった。このような作品であったら、ドップリと浸るのもいいかもと。

 でも、名前だけはちょっと間をおくと解らなくなってしまうのには閉口する(解説にも記されているが)。


   


余談:

 ついに宣伝に踊らされて翻訳物を取り上げることになってしまった。その宣伝がドストエフスキーブームと亀山郁夫の翻訳の評判である。なるほど図書館の予約も随分待って行ったが、それでも1ヶ月程度の待ちであった。さて中味であるが、やはり翻訳物特有の臭さ(?)があるが中味に引き込まれて余り気にしなくて済んだ。

                  背景画はロシアの感じを表す建物場面を想定して函館のロシア領事館のフォトを利用。



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