読後感:
「カラマーゾフの兄弟」はドストエフスキーの最後の作品であり、かなりの長編である。ところで第5部に記されている著者の、ドストエフスキーの生涯に関する経歴、そいて「カラマゾフの兄弟」の解題を読んでみると、本作品を理解するには相当なパワーが必要だなあと感じる。
何も知識がなく、漠然と一度読んで見た限り(図書館での予約が多く、続いて読み切ることが出来なくて待ち時間があって内容を忘れてしまうことも多々あり。)で感じたことは、単にミステリー小説としてストーリーを楽しむことを中心に見ても相当面白い。すなわち3層構造の内の「物語層」――物語の筋立てや心理的なメロドラマに相当――ただストーリーと直接関係ない部分もかなりあるという感じはするが。
さらに主人公はアリョーシャと思われるが、アリョーシャが最初は中心人物らしく思えるが、その後は付き添い人的でおかしいなあと思いつつ進んできた。そうして亀山郁夫の解題を読んで解った。第2の小説があることを。しかし実現しなかったことを。
「カラマーゾフの兄弟」は未完のまま、多くの謎を秘めて研究者の間で語られていることを。どうも最初に読む本を間違えたようだ。というか、ドストエフスキーに関心を持つと、もっと深みに入っていかないと本当の良さを理解できないことがわかった。ちょうど夏目漱石の作品を読み解くように?。
ドストエフスキーの生涯をもっと知り、作品群を読み解き、ロシアの歴史を知りたくなってしまう。それだけで結構な時間を費やしそうである。難点は、翻訳物によること、そこが問題だ。幸い本作品は翻訳者の後書きにもあるごとく、いま息をしている言葉で、一気に読めるような翻訳をこころがけたとあるとおり、あまり翻訳臭いという感じでなく読めたのは非常にうれしかった。このような作品であったら、ドップリと浸るのもいいかもと。
でも、名前だけはちょっと間をおくと解らなくなってしまうのには閉口する(解説にも記されているが)。
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