太宰治著  『富嶽百景』、『走れメロス』、
 『津軽』、『斜陽』、『人間失格』



                   
2006-10-25

(作品は、太宰治著 『富嶽百景』、『走れメロス』、『津軽』、『斜陽』、『人間失格』 日本図書センター発行の太宰治文学館シリーズによる。)





富嶽百景:昭和14年(1939年、31才)の作品。走れメロス:昭和15年(1940年、32才)の作品。
津軽:昭和19年(1944年、36才)の作品。 斜陽:昭和22年(1947年、39才)の作品。
人間失格:昭和23年(1948年、40才)の最後の作品。 


太宰治に関して

 太宰治は、愛人と玉川上水で自殺をしたことで有名だし、なにか異色というイメージがあった。ところで、先月の更新で取り上げたエッセイ集「心に残るとっておきの話」の中に、太宰が自殺をした事件で、日本経済新聞の駆け出し記者だった人が、奥さんのコメントを取ってくるように命じられ、遺族の奥さんを探しまわって池袋の一角でよちよち歩きの娘さんと一緒の所をつきとめる。「私達は世間の目を逃れてこうして隠れ住んでいるのです。あちらこちらとひっそり暮らせるところを求めて、やっとここで落ち着けると思ったら、また見つかってしまって。これでは生きていく場所が無くなってしまいます。私達のことは、どうかそっとしておいて下さい。」と言われ、記事が書けないと編集長に言ったという話が出ていた。(ちなみにその時の娘さんは津島佑子という女流作家になっているとか)

追記> NHK朝ドラ「純情きらり」の原作は、1998年谷崎潤一郎賞受賞の津島佑子著の「火の山―山猿記」。小説に魅了された脚本家の浅野妙子さんが大幅に展開を変更。 H18.9.21 朝日朝刊(高視聴率の秘密記事)より。 



読後感

 読んでみて、どうも時代を考えないといけないようだ。
「富嶽百景」(1939)、「走れメロス」(1940)、「津軽」(1944)は中期のもの。「斜陽」(1947)、「人間失格」(1948)は後期のものに属するらしい。
「富嶽百景」、「津軽」、「斜陽」を読む限り、非常に好ましい作家と思われ、ユーモアもあるし、特に「富嶽百景」などは好きな作品である。
「津軽」は自分の生まれ育つ立った津軽地方を紹介していくような紀行文のようで、土地とか、人達の趣とか雰囲気が良く感じられて、興味深いものだった。

「斜陽」も元華族の夫人のおっとりとした人柄がとても心地よく、いい作品だと感じた。
「人間失格」になると、自分といわれる大庭葉蔵の性格、人格は理解出来るものの、行動は相容れないし、とわいえ、今日の若者には受け入れられそうなところが大いに感じられる。太宰治自身の自伝であるとすると、ちょっととまどいを隠せない。でも、三島由紀夫「金閣寺」での意味不明の内容の発言作品とは違うなあ。



印象に残る場面:

◇富嶽百景 
富士の見える御坂峠の天下茶屋の二階に泊まりこんで物書きをする太宰

「お客さん。甲府へ行ったら、わるくなったわね。」
私の背後で、床の間ふきながら、十五の娘さんは、しんからいまいましそうに、多少、とげとげしい口調で、そう言った。私は振りむきもせず、
「そうかね。わるくなったかね。」
娘さんは、拭き掃除の手を休めず、
「ああ、わるくなった。この二、三日、ちつとも勉強すすまないじゃないの。あたしは毎朝、お客さんの書き散らした原稿用紙、番号順にそろえるのが、とっても、たのしい。たくさんお書きになって居れば、うれしい。ゆうべもあたし、二階へそっと様子を見に来たの。知ってる?お客さん、ふとん頭からかぶって、寝てたじゃないか。」
私は、ありがたい事だと思った。大袈裟な言いかたをすれば、これは人間の生き抜く努力に対しての、純粋な声援である。なんの報酬も考えていない。私は、娘さんを、美しいと思った。

◇津軽 四津軽より たけのことについて

「ここさお座りなりせえ」とたけの傍に坐らせ、たけはそれきりなにも言わず、きちんと正座してそのモンペの丸い膝にちゃんと両手を置き、子供たちの走るのを熱心に見ている。けれども、私には何の不満もない。まるで、もう、安心してしまっている。足を投げ出して、ぼんやり運動会を見て、胸中に一つも思う事が無かった。もう、何がどうなってもいいんだ、というような全く無憂無風の情態である。平和とは、こんな気持ちの事を言うのであろうか。

 先年なくなった私の生みの母は、気品高くおだやかな立派な母であったが、このような不思議な安堵感を私に与えてはくれなかった。世の中の母というものは、皆、その子にこのような甘い放心の憩いを与えてやっているものなのだろうか。そうだったら、これは、何を置いても親孝行をしたくなるにきまっている。そんな有り難い母というものがありながら、病気になったり、なまけたりしているやつの気が知れない。親孝行は自然の情けだ。倫理ではなかった。

  

余談:
・ 太宰の悩みが「富嶽百景」に記されている。「私の世界観、芸術というもの、明日の文学というもの、謂わば、新しさというもの、私はそれらに就いて、未だ愚図愚図、思い悩み、誇張ではなしに、身悶えしていた。」
・同じく、峠の下の郵便局に勤める青年が尋ねてきて、太宰を評して「太宰さんは、ひどいデカダンで、それに、性格破産者だ、と佐藤春夫先生の小説に書いてございましたし、まさか、こんなまじめな、ちゃんとしたお方だとは、思いませんでした」
という場面がある。
 「人間失格」は別にして、作品を読んでいる限り、太宰治という作家は、ごく普通の素直な人格者と見えるけれど、人の内面は判らないと言うことか。関心のある作家の一人になった。

背景画は、KAERUKAFE. Ltd.co. 映画「富嶽百景」公式サイトのフォトを利用。 

                    

                          

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