印象に残る場面:
◇富嶽百景 富士の見える御坂峠の天下茶屋の二階に泊まりこんで物書きをする太宰
「お客さん。甲府へ行ったら、わるくなったわね。」
私の背後で、床の間ふきながら、十五の娘さんは、しんからいまいましそうに、多少、とげとげしい口調で、そう言った。私は振りむきもせず、
「そうかね。わるくなったかね。」
娘さんは、拭き掃除の手を休めず、
「ああ、わるくなった。この二、三日、ちつとも勉強すすまないじゃないの。あたしは毎朝、お客さんの書き散らした原稿用紙、番号順にそろえるのが、とっても、たのしい。たくさんお書きになって居れば、うれしい。ゆうべもあたし、二階へそっと様子を見に来たの。知ってる?お客さん、ふとん頭からかぶって、寝てたじゃないか。」
私は、ありがたい事だと思った。大袈裟な言いかたをすれば、これは人間の生き抜く努力に対しての、純粋な声援である。なんの報酬も考えていない。私は、娘さんを、美しいと思った。
◇津軽 四津軽より たけのことについて
「ここさお座りなりせえ」とたけの傍に坐らせ、たけはそれきりなにも言わず、きちんと正座してそのモンペの丸い膝にちゃんと両手を置き、子供たちの走るのを熱心に見ている。けれども、私には何の不満もない。まるで、もう、安心してしまっている。足を投げ出して、ぼんやり運動会を見て、胸中に一つも思う事が無かった。もう、何がどうなってもいいんだ、というような全く無憂無風の情態である。平和とは、こんな気持ちの事を言うのであろうか。
先年なくなった私の生みの母は、気品高くおだやかな立派な母であったが、このような不思議な安堵感を私に与えてはくれなかった。世の中の母というものは、皆、その子にこのような甘い放心の憩いを与えてやっているものなのだろうか。そうだったら、これは、何を置いても親孝行をしたくなるにきまっている。そんな有り難い母というものがありながら、病気になったり、なまけたりしているやつの気が知れない。親孝行は自然の情けだ。倫理ではなかった。
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