読後感:
花が二十歳の明治の時代から終戦後の十余年、病に伏す昭和の時代まで、紀州の名家出身で、その時々を妻として、母として立派に勤め上げる中で、戦争という時代に次第に家が崩壊し、人が死に、経済的貧困もあり、娘の文緒の変わりよう、逆に文緒を鏡としてか、孫の華子が自分と同じような考え方を理解してくれてることに、堪らなく嬉しくなる。
丁度祖母の豊乃がいだいたであろう感慨を味わっているような。そして、文緒も次第に昔の反抗的なところが変化してくる。
脳溢血で倒れ、華子と文緒の区別も判らなくなり、当時の思いを告げている花の姿は、年のせいか何とも偲びがたく、人生を感じさせる。
文中に出てくる紀州弁の何とも温かみのある、優しい言葉が素晴らしい。最初NHKのラジオ深夜便「日本列島くらしのたより」で、会津のお菓子屋(?)の奥さんだったか、その話し言葉と似ている(?)気がして、方言がなおさらこの小説を身近なものに感じさせてくれた。
印象に残る言葉:
◇浩策が文緒に言う言葉:
「生命力というもん知ってるか」
と云った。
「言葉の意味やったら知ってます」
「生命力のあるもんは強い、ないもんは弱いちゅうことやな」
「はあ・・・」
「お前(ま)はんのお母さんはそれやな。云うてみれば紀ノ川や。悠々と流れよって、見かけは静かで優(やさ)しゅうて、色も青うて美しい。やけど、水流に添う弱い川は全部自分に包含する氣や。そのかわり見込みのある強い川には、全体で流れ込む気魄がある。昔、紀ノ川は今の河口よりずっと北にある木ノ本あたりへ流れとったんやで。それが南へ流れる勢いのいい川があって、紀ノ川はそこへ全力を注いだんで、流れそのものが方向を変えてしもうたんや」
◇華子の手紙に対し、花の返信手紙:
ペン字なら葉書1枚に充たないほどの字数誌(しる)している。しかし言葉は少なくても、文字の美しさで、華子は豊かなたよりをきくように思うのだった。
|