有吉佐和子著 『紀ノ川』









              
2007-08-25

(作品は、有吉佐和子著 『紀ノ川』 新潮社による。)

                  

1970年(昭和45年)初版

 有吉佐和子:
 1931年(昭和6年)1月20日生まれ、和歌山市出身。カトリック教徒。母親秋津の存在が大きい。「紀ノ川」は秋津(文緒)と佐和子(華子)自身との関係を含む母方の家系をモデルとした小説である。

「紀ノ川」の主な登場人物 

真谷 花 祖母豊乃のはからいで紀本家から六十谷(ムソタ)の真谷家に嫁ぐ。古き良き時代の姿、振る舞いに周囲の人から人望が集まる。
真谷敬策 花の夫。和歌山県議、さらに衆議院議員となり、和歌山のため懸命に働く。
真谷政一朗 長男、頭脳明晰なれど、あまり人交わりのいい方でない。頼りなさに、花は文緒に頼りたいが。
真谷文緒 長女。迷信打破、新生活運動を蝶々してくる。常に母である花に反抗的、「家」に反発し、資産が無くてもと銀行員の晴海英二と結婚、海外の任地を渡り歩いたが。

真谷華子
(文緒の娘)

ママである文緒を通じて、祖母である花との交流、故郷を懐かしみ、花の考えに同調できる「家」を思う。
文緒は昔というものを断ち切ろうとしていたが、華子は昔の人を懐かしむ心を持っていた。

真谷浩策 敬策の弟、分家するための条件(真谷の名を名乗る、資産の勝ち取り)をのませ、新池に暮らす皮肉屋。花を隠で好いていた。
豊乃
(花の祖母)
紀州の名家、紀本の大御(おおご)っさん。孫娘の花を盲愛、躾や教育にも情熱を注ぐ。「家格やのうて男や」と紀ノ川の流れにそって下流の真谷家に嫁がせる。



読後感:

 花が二十歳の明治の時代から終戦後の十余年、病に伏す昭和の時代まで、紀州の名家出身で、その時々を妻として、母として立派に勤め上げる中で、戦争という時代に次第に家が崩壊し、人が死に、経済的貧困もあり、娘の文緒の変わりよう、逆に文緒を鏡としてか、孫の華子が自分と同じような考え方を理解してくれてることに、堪らなく嬉しくなる。

 丁度祖母の豊乃がいだいたであろう感慨を味わっているような。そして、文緒も次第に昔の反抗的なところが変化してくる。

 脳溢血で倒れ、華子と文緒の区別も判らなくなり、当時の思いを告げている花の姿は、年のせいか何とも偲びがたく、人生を感じさせる。

 文中に出てくる紀州弁の何とも温かみのある、優しい言葉が素晴らしい。最初NHKのラジオ深夜便「日本列島くらしのたより」で、会津のお菓子屋(?)の奥さんだったか、その話し言葉と似ている(?)気がして、方言がなおさらこの小説を身近なものに感じさせてくれた。


印象に残る言葉

◇浩策が文緒に言う言葉:

「生命力というもん知ってるか」
と云った。
「言葉の意味やったら知ってます」
「生命力のあるもんは強い、ないもんは弱いちゅうことやな」
「はあ・・・」
「お前(ま)はんのお母さんはそれやな。云うてみれば紀ノ川や。悠々と流れよって、見かけは静かで優(やさ)しゅうて、色も青うて美しい。やけど、水流に添う弱い川は全部自分に包含する氣や。そのかわり見込みのある強い川には、全体で流れ込む気魄がある。昔、紀ノ川は今の河口よりずっと北にある木ノ本あたりへ流れとったんやで。それが南へ流れる勢いのいい川があって、紀ノ川はそこへ全力を注いだんで、流れそのものが方向を変えてしもうたんや」

◇華子の手紙に対し、花の返信手紙:

 ペン字なら葉書1枚に充たないほどの字数誌(しる)している。しかし言葉は少なくても、文字の美しさで、華子は豊かなたよりをきくように思うのだった。

  

余談:

 どういうものかこういう昔の情緒が溢れる物語を好むようになってきた。こんな時の流れが懐かしい。

背景画は。大台ヶ原を水源とし、紀伊半島北部を東から西に流れる紀ノ川。奈良県内では吉野川となる。

                    

                          

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