新井満著  『海辺の生活』



 


                   2006-12-25
(作品は、新井満著 『海辺の生活』 文藝春秋による。)

       
  
「婦人画報」1990.1月号から12月号に連載。1991.3月刊行。

“婦人画報”誌からの連載依頼に対し、「不倫も非行もありません。事件らしい事件は一切起こらず、ひたすら長閑で退屈な日常生活だけが続く家庭小説でもいいですか」ということで書き始めた小説。
1988年芥川賞受賞の作家。


 読むきっかけは、小林完吾の「この愛、こだまして」(廣済堂)の対談を読んでいて、”幸福は身近なところにある””小津安二郎、笠智衆の世界”に惹かれて、読みたいと思った。

登場人物像:

 桜木三郎、電博通信社に入社20年、音楽映像プロデューサをする。妻紀子と長男弦(高一)、長女静(中一)、次女(奏(かな)小五)、(・・・弦を静かに奏でる・・・)の五人家族。桜木三郎の父親は3歳の時になくなっている。

読後感

 ごく平凡な日常の生活がユーモアたっぷりに描かれ、思わず微笑ましくなる。二俣川や海の見える三浦半島の公園墓地など、身近な場所が出て来て、身近な出来事に心の襞がゆらゆら、暖かい気持ちで、すらすらと読んでしまう。

 題名が「海辺の生活」とあるが、海辺の生活は一切出てこない。主人公が海を見るのが好きというところは、海好きの自分としてはよく気持ちが分かり、この点でも好ましい作品である。

 特におもしろかったのは、大学三年の時、新潟の帰省先から上京のため上越線・特急とき号の列車での紀子との出会い場面(第3章「不思議なご縁」)。

 また、義父が肺ガンで亡くなるまでの様子は、普通は深刻な重苦しい場面であるのに、なんとなく爽やかで思いやりがあって、こんな風に看取られて逝くのも決して悪くないなあと感じさせられる、そんな風景である。(第11章「富士山」)

 主人公と紀子が若い年で結婚する披露宴での、紀子の父親の挨拶も実にさらつとしていて、暖かでおもいやりが伝わってくるいい場面である。

印象に残る場面:

◇夫婦の会話 その1

 紹興酒のオンザロックに柿の種のおつまみという組み合わせは、実に世界最強だなあ・・・。
 一口飲んでは、ぽい。
 ぽいしては、また一口。
 もう、どうにも止まらないのである。

 食卓の向かい側には、紀子が坐っている。同じように、一口飲んではぽいをしている。二人とも、さっきから無言である。ただひたすら黙々と、一口ぽいをつづけている。この光景はおかしいか。決しておかしくない。
正常と言って良い。
 そもそも日曜日の就寝前、長年つれそった夫婦の間にどのような会話が成立しうるのか。成立なんかしないのである。いや、しなくても十分よろしいのである。それが、日本の夫婦というものである。

◇夫婦の会話 その2

 海の見える墓地探しのため、三浦半島の電車(京急)の車中の夫婦のやりとり。
 桜木は再び窓ガラスに額をつけ、窓外の景色を見る。それにしても、
「まだかなあ・・・」
頭の中で思っていたことをつい口に出してしまった。すると間髪を入れずに、
「まだですよ」
前方を向いたまま紀子が答える。

「え」
「海は、まだですよ」
「どうしてわかる」
「わたし、この辺のことは少女時代からよく知っているんです」
 ひとりごとを言っただけなのに、紀子が正しく答えてくれたので驚いてしまった。おそるおそる彼女の横顔を見る。いつのまにか目を開いている。
「君、眠っていたんじゃなかったのか」
「眠ってなんかいませんよ。ただ考えごとをしていただけですよ」
 さっきはたしかに寝息を立てていたのだが・・・。器用な人である。
「でもどうして僕が海のことを考えていたってことが、君にわかったんだろう」
「そりゃああなた夫婦ですもの、そのくらい・・・」

 紀子が全く沈黙しているとき、
<彼女は今、何を考えているのか・・・?>
 そんなことは桜木にはさっぱりわからないから困る。


  

余談:

 NHKの土曜ドラマ、ウォーカーズ−迷子の大人たち−。三十年連れ添った夫婦の間で、妻の言った言葉(定年後もこの後同じ様に夫婦を続けていくかどうかは見直したい)を突きつけられる。妻にそんな思いをさせていた今までのサラリーマンの結婚生活は失敗だった。離婚をしたければしよう。でも、改めてもう一度君にプロポーズをしたいと言うにいたる、四国巡礼の結願場面がふと頭をよぎった。

背景画は、三浦半島黒崎の鼻より長浜海岸方面を望む。

                    

                          

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