読後感:
出身が新潟県と言うこと、昭和39年(1964年)高校3年生の時に学校にいて新潟大地震を体験した。(その時の模様を日記帳に記して残っている)、そしてもう一つの大きな出来事は、19歳の6月、もう少しで死ぬところであったこと(大学に入り、入寮して2ヶ月猛烈な腹痛=急性の十二指腸潰瘍で十二指腸と胃を殆ど摘出)から、人生のゴール=死を弱冠19歳で実感してしまった。
そして「生きていることと、死んでいるってことは、どうちがうんだろう」と考えるようになったという。そんなとき、ふとみたキャンパスの土手の上の小径をおおいつくすように咲き乱れるレンギョウの花の美しさに打たれ、いままでも見えていたのに決して意識的に見てはいなかった、死に損なって生還してきた今の自分にとって、まったくちがった風景となってせまってきた。このことを機に今の今まで気がつかなかった、そして美しいと感じてふるえているこの感動を、自分以外の誰かに伝えたいと思った。
このことが新井満の作品、行動の原点にあるんだなあと感じた。
このエッセイを読んでみて、新井満という人は実に色んなことをしているんだと感心せざるを得ない。作家の他に、作詞作曲、環境ビデオやテレビ番組の企画、様々な文化イベントのプロデュース(例えば長野オリンピックのイメージ監督として、長野の前のリレハンメル冬季オリンピック閉会式で次期開催地長野のデモンストレーションなど)多彩きわまりない。
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