新井満著  『死んだら風に生まれかわる』



 


              2008-6-25








(作品は、新井満著 『死んだら風にうまれかわる』 河出書房による。)

         
  

 2004年(平成16年)9月刊行。

 本書に収めた随筆は、全て“死”という切り口で選んでみた。(あとがきより)
 新井満はご存知「千の風になって」の作詞(翻訳)・作曲者。

読後感

 出身が新潟県と言うこと、昭和39年(1964年)高校3年生の時に学校にいて新潟大地震を体験した。(その時の模様を日記帳に記して残っている)、そしてもう一つの大きな出来事は、19歳の6月、もう少しで死ぬところであったこと(大学に入り、入寮して2ヶ月猛烈な腹痛=急性の十二指腸潰瘍で十二指腸と胃を殆ど摘出)から、人生のゴール=死を弱冠19歳で実感してしまった。

 そして「生きていることと、死んでいるってことは、どうちがうんだろう」と考えるようになったという。そんなとき、ふとみたキャンパスの土手の上の小径をおおいつくすように咲き乱れるレンギョウの花の美しさに打たれ、いままでも見えていたのに決して意識的に見てはいなかった、死に損なって生還してきた今の自分にとって、まったくちがった風景となってせまってきた。このことを機に今の今まで気がつかなかった、そして美しいと感じてふるえているこの感動を、自分以外の誰かに伝えたいと思った。

 このことが新井満の作品、行動の原点にあるんだなあと感じた。

 このエッセイを読んでみて、新井満という人は実に色んなことをしているんだと感心せざるを得ない。作家の他に、作詞作曲、環境ビデオやテレビ番組の企画、様々な文化イベントのプロデュース(例えば長野オリンピックのイメージ監督として、長野の前のリレハンメル冬季オリンピック閉会式で次期開催地長野のデモンストレーションなど)多彩きわまりない。

印象に残る場面:

◇死んだら風に生まれ変わる
 ネイティブ・アメリカンの人々は、しごくあたりまえに、死んだら風になったり、星になったり、火や雨や雪や小川や山になったりすると言う。それはなぜだろう。彼らが太古の昔から大地(地球)とつながって、そこから決してはなれないようにして生きてきたからだ。だから彼らは、大自然に対する畏敬の念を忘れないのだ。さらに、自分たちは今たまたま人間の姿をしているけれど、その命とは、無数に共生しているいのちの中のワン・ノブ・ゼムに過ぎないということもよくわかっている。だから、人間だからといっていばったりすることはない。生きものとしての分をわきまえて、ひたすらひかえめに生きるマナーを知っているのだ。

◇息子へより
論語を引用、

「子曰わく、父母は唯だ其の病を之れ憂う」
お父さんや、お母さんは、子供が病気をしやしないかと、そのことばかりを心配している。親が子供を思う基本の心である。絶対に親より先に死んではいけない。

「子曰わく、父在(い)ませば其の志を観(み)、父没すれば其の行いを観る。」
お父さんが生きている時には、父が何を考えているかよく観察しなさい。そして父が他界した後は、父の一生の仕事をもう一度観察してみなさい。

  

余談:

「千の風になって」の生まれた背景と予想に反してヒットにいたったことについて書かれているところがおもしろい。
 著者の新井満なる人物に多大な影響を及ぼしたと思える師が森敦という。次回に森敦著の作品を取り上げたい。

背景画は、NHKTVの思い出の曲より「千の風になって」の一場面を利用。

                    

                          

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