読後感:
先に幸田文の娘ということに惹かれ、青木玉の「上り坂下り坂」(2001年(平成13年)11月刊行、講談社)というエッセイを読んだ。記述している日常風景の表現がなんとも自然でいて、なおかつその中に暖かさが感じられ、関心を持っていた。
今回は、これらのエツセイを読み、祖父である幸田露伴のこと、幸田文という母親であり、文筆家、さらには玉という文筆家のことを理解する上に大変興味深かった。
「小石川の家」では、露伴が孫に対しては優しくもあり、寛大でもある一方で、厳格な性質が見て取れる。そして離婚後の母に対しては、機嫌のいい時は優しく人を思うのに、時に母の苦労を考えない自分勝手で、思いやりのない口振りに、どれだけ母が悲しく、辛い思いをしたことかを娘玉子は悲しく思っている。
母の気の強さ、厳格さに対し、玉子の気が回らない、オットリした性格(父親に似たのか)、厳しくしつけられるが、特に色々な苦労をなめた母への思いが、葬儀での記述では心にしみた。
「帰りたい家」では、前者ではほとんど語られなかった父親との関係が記述され、ハッキリとは記されないが父と母の亀裂が、父親の育ちから来る弱さ、やさしさにあること。一方母としては祖父に頼らねば暮らしが立ちゆかなかったこと、病のことが原因で別れたこと、娘玉子には自分が父親の役目を果たし、負い目を感じさせたくなかったと玉子は知るが、玉子には父のことを思い出させてしまうことを悲しく感じる母。なんとも切なく、悲しい。
それにしても、子供にとって両親の影響がこんなにも深いのか、それは父とは幼い時に隔離(?)されたが故に、よき時代のみが記憶に残り、両親が好ましく過ごしていた頃の帰りたい家があったという思いが読み手にひしひしと伝わって来る。
あとがきにも記されているが、そんな父に対し、母に対する想いを持っていた玉子が、家庭を持つことで「今、私の中で父への思いも母への思いも、ともに懐かしく穏やかである」と結ばれているのにはホッとする。
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