青木玉著 エッセイ            
       『小石川の家』、『帰りたかった家』





              
2008-04-25



(作品は、青木玉著 『小石川の家』、『帰りたかった家』 講談社による。)

              

「小石川の家」:
 1994年(平成6年)8月刊行

  芸術選奨文部大臣賞受賞作品。
「帰りたかった家」:
(続 「小石川の家」 )
 1997年(平成9年)2月刊行

青木玉:
 1929年東京出身、東京女子大国語科卒の、エッセイイスト、随筆家。作家である幸田露伴の孫、同じく作家・幸田文の娘。
 


物作品の概要:

「小石川の家」は祖父(幸田露伴)と母(幸田文子:作家としては幸田文)と私(玉子)のことが主に記され、父親の存在はほとんど記されていない。
 一方、「帰りたかった家」は祖父のことよりも父親とのことが大きくバックに影を落としている。母は娘(玉子)に父のことを思い出させないようにしているが、子供にとって幼い頃の父親の記憶とともにその性格までを色濃く感じさせ、娘が父親への思いをいだいていることに母を苦しませている。一方娘(玉子)は母親を悲しませることを悲しく思う。悲しくもあり、せつない自伝話である。


読後感:

 先に幸田文の娘ということに惹かれ、青木玉の「上り坂下り坂」(2001年(平成13年)11月刊行、講談社)というエッセイを読んだ。記述している日常風景の表現がなんとも自然でいて、なおかつその中に暖かさが感じられ、関心を持っていた。
 今回は、これらのエツセイを読み、祖父である幸田露伴のこと、幸田文という母親であり、文筆家、さらには玉という文筆家のことを理解する上に大変興味深かった。

「小石川の家」では、露伴が孫に対しては優しくもあり、寛大でもある一方で、厳格な性質が見て取れる。そして離婚後の母に対しては、機嫌のいい時は優しく人を思うのに、時に母の苦労を考えない自分勝手で、思いやりのない口振りに、どれだけ母が悲しく、辛い思いをしたことかを娘玉子は悲しく思っている。
 母の気の強さ、厳格さに対し、玉子の気が回らない、オットリした性格(父親に似たのか)、厳しくしつけられるが、特に色々な苦労をなめた母への思いが、葬儀での記述では心にしみた。

「帰りたい家」では、前者ではほとんど語られなかった父親との関係が記述され、ハッキリとは記されないが父と母の亀裂が、父親の育ちから来る弱さ、やさしさにあること。一方母としては祖父に頼らねば暮らしが立ちゆかなかったこと、病のことが原因で別れたこと、娘玉子には自分が父親の役目を果たし、負い目を感じさせたくなかったと玉子は知るが、玉子には父のことを思い出させてしまうことを悲しく感じる母。なんとも切なく、悲しい。

 それにしても、子供にとって両親の影響がこんなにも深いのか、それは父とは幼い時に隔離(?)されたが故に、よき時代のみが記憶に残り、両親が好ましく過ごしていた頃の帰りたい家があったという思いが読み手にひしひしと伝わって来る。

 あとがきにも記されているが、そんな父に対し、母に対する想いを持っていた玉子が、家庭を持つことで「今、私の中で父への思いも母への思いも、ともに懐かしく穏やかである」と結ばれているのにはホッとする。


印象に残る表現:

 母親の厳しさとそれに対するしたたかな娘の性格あたりを取り上げてみたい。
◇お正月  
(母親による習字の手習い  母と娘の性格が露わな例)

「わかった」と母は切り込んで来た。何か言わねばならない、あの、あの、とあとがつづかない。
「腰が決まらないでは字は書けないと、あれほど言ったのに、後ろから蹴とばしたくなるような恰好で習字が出来るわけない。物を習う気構えが出来ていない、あんたという人は・・・」
 あとは年末大棚ざらえの小言の山、夜店のたたきバナナである。
「ひっぱたかれて痛いとあんたは泣くけど、母さんの手も痛いのよ」
 痛いも痛かったがこれは利いた。


 もうひとつ、母の厳しさにも拘わらず母のことを思う娘の心持ち
◇お使い
 伊豆からの産物を貰ってお福分けとして、紀尾井町に住む延子叔母さんのところへ私(玉子)が行かされ、そのときの口上を母から問われて

「何を言えばいいのか解らない」
「だったら、何故、お教え下さいと言わないの、聞きもしない頼みもしない人に何を教えるの、頼まれなきゃ教えられないじゃないの」ともう無茶苦茶・・・

(でもその後母のことを思うこと)
 ぼんやり叱られたことを思い返して、母さんは利口だから私みたいに叱られやしなかったんだろうな、どうだったろう、はっと解ったように思った。
 きっと幾つも幾つものテストが行われ、実力をつけていったに違いない、そして何の時か解らないが、信州のおばあちゃんは、「聞きもしない娘に教えることは出来ない」
と言ったのではないか、その寂しさ頼りなさ、どうしていいか解らない目の前の困難を生かさぬ仲という荷を背負って母はどうやって乗り越えていったのか、我が身の気楽さに引きくらべて、うなだれる重さがあった。


  

余談:
 上述の作品は娘の青木玉から見た祖父や両親のことであるが、今、幸田文のエッセイ「父」を読んでいる。補完というか、整合性というかそんな意味合いで興味深い。次回取り上げたい。
  背景画は、「小石川の家」、「帰りたかった家」の内表紙に画かがれていた挿絵を利用。