阿久悠著  『絹婚式』



                         2007-03-25
           (作品は、阿久悠著 『絹婚式』 文化出版局による。)

                              

「ミセス」1993年1月号−1994年3月号に掲載
本書 1994年(平成6年)5月刊行
(補足)絹婚式とは十二回目の結婚記念日をさす。

物語の展開:

 十一年間、波風を立てず、理想的に暮らしていた夫婦(真下隆平と彩子)の間に起きた出来事。夫の、ふとした彩子の親友(村上梓)と海外での一度だけの浮気、そして二十年前に結婚していたかも知れない女性(土肥美佐子)と、彼女の死ぬ間際に再会、妻に秘密で、見取るまで病院で看病し、葬式まで仕切ってやったことを知り、悩む妻。クリスマスイブの夜、彩子は隆平との待ち合わせのディナーショーで、一人待ちぼうけの場所に現れたダンディな男、二十年前の高校一年生の時の恩師、ダンディで危険な作曲家の桧山洋介と出会う。そんな危うい娘(彩子)を見守る画家の父津野晋介。彩子を中心に、隆平、父親とのやりとり、そして親友梓との対抗意識をひめての会話。隆平への反逆心から、桧山洋介との揺れ動くやりとりが最終章へと展開していく。次第にずれていく夫婦の幸福の考え方が、次第にはっきりしていく。

読後感:

 夫婦の幸福って改めて考えさせられる。夫の方の心理は良くわかるけれど、とりわけ彩子の心理状態は、男にとって判るかどうか、それが理解できないと多分この後も、修復できるかどうか先行き不透明ということか。

 昔の恋人?とでも思える桧山洋介が危険な人物でもあり、でも最後は大人であったことが何とも痛快で、かっこよく印象に残った。妻の行動は潔くて、うかうかしておれない。
結婚して十一年という節目の時期というか、なかなか意味深な内容の物語であった。母を早くなくした娘の父親の役がこれまた大人といった感じで、阿久悠の世界が判る気がする。


印象に残る場面

◇父(津野晋平)と娘(彩子)との会話 その1

「夫婦は他人の結び合いだから、無神経と不作法が一番許されない、夫婦になったことを、遠慮のいらない仲になったと勘違いすることが最大の罪悪だと、お父さまがおっしゃったのですわ」
「そんなこと云ったかな?」
「おっしゃいましたわ。あられもない姿を見せるな、ぞんざいな言葉を使うな、心の一番奥に踏み込むな、仕事を蔑むな、それに、夜の顔のつづきで朝の挨拶をするな」
「きみは、三十七才にもなって、それを守っているのかね?」
「ええ」
 すると晋作は、困ったものだと笑い、もういいんだよ、もういいんだ、大人なんだから、と云った。


◇父(津野晋平)と娘(彩子)との会話 その2

「私は、高野稔と二人でスペインへ行くことにした。いや、ちょっと出掛けるということではなく、ずっと行っているつもりだ。画を描きながら歩きまわり、向こうで死にたい。そういう結論に達したんだ」と、静かな口調でいった。

(中略)
「実は、私の老いと、避けられない死とに関係がある。人間ある年代に達すると、どう老いるべきか、どこで死ぬべきかをずっと考えている。ただし、大抵の人の場合、老いと死を諦観(ていかん=俗世に対する希望を断ち、超然とした生活態度を取る)以上のもので見つめるのは、不埒(ふらち)だと考えさせられている。同時に、もうここまで来て、それらの選択に拘泥(こだ)わるのは、他人迷惑にもなると考えて、押し黙る。私も一度はその気になった。君が横にいてくれるし、君は愛してくれるし、これ以上の幸福はあるまいと、数年は思っていた」

「ある日、テレビで社会の美談を放送していた。小学生が老人たちを慰問に行った場面なんだが、それを見て、この国で老いたくないと思ったんだよ小学生たちに罪があるわけじゃない。社会の常識に従って、懸命にやっていたんだ。つまり、どういうことかというと、九才か十才の子供が、八十才を超えた大先輩に幼児語で語りかけるのだよ。まるで、赤ん坊に対するように話す。また、それを、美しい光景として評価する。私は、あれを見た時から、何とか幼児語で語りかけられる前に、この国から出たいと思った。そうこうするうちに、高野稔が訪れて来たんだ」

「あいつは、ある日、鎌倉までやって来て、癌だと打ち明けた。宣告されたわけではないが、医者や、家族のけはいでわかると云う。癌だと思うと、見守られることの苦痛を想像し始め、それから何とか逃れたいと思ったそうだ。死ぬことが恐ろしいのではなく、死ぬぞ死ぬぞと思われながら、やさしくされることに耐えられない、と云うんだ。それでもう一度振り出しに戻って画家をやりたいと云うんで、一緒にスペインに行くことにした。ロマンチックな思考を許して貰いたい。老画家二人が向日葵畑を放浪し、絵を描き、いつか昨日のつづきのような感じで死ぬ、それはいいのじゃないかということになったのだ」

 人間は社会の仕組みだけで生きたり死んだりするものではない、ある年代からあと、津野晋作という名前も捨てて、老人という総称で生きたり死んだりしたくない、それだけのことなんだ。

  

余談:
 
老いてくると誰しも老後のこと、死のことを考える。同じような気持ちに共感させられた。
 背景画は、本書の表紙絵を利用。