秋元康著 『象の背中』 







                   
2009-02-25



 (作品は、秋元康著 『象の背中』 産経新聞社による。)

            


初出:産経新聞2005年1月から6月に掲載した連載小説に、加筆・修正をしたもの。
2006年4月刊行

秋元康:(本書の著者略歴より)
 作詞家。1956年5月東京生まれ。高校時代から放送作家として頭角を現し、「ザ・ベストテン」など数多くの番組構成に携わる。83年以降、作詞家として美空ひばり「川の流れのように」を筆頭に数多くのヒット曲を世に送り出す。脚本、著書多数。
 

<主な登場人物>
 

藤山幸弘=俺
(ゆきひろ)

48歳、中堅の不動産会社の取締部長職。PET検査で肺ガンの末期ガンの宣告を受け、後半年の命を知る。そして妻とは別に5年続いている愛人が居る。それからの行動は・・・。
妻 美和子 2歳年上の妻。20年以上の夫婦。
長男 俊介 20歳、ラグビーしか知らない大学生。
娘 はるか 17歳の高校生。
青木悦子 フリーのコピーライター。俺が当時広告宣伝を担当していた時、会社のHPを作ったときから付き合う。妻には隠して今も付き合っている。


<読後感>

 主人公藤山幸弘が”俺”として、末期の肺ガンと宣告されて死を迎えた時にどのような行動をしていくかが語られている。そのときどういう風な治療が行われ、どんな風になっていくのか、またその時々にどんな風に気持ちが揺れ動き、死を迎えるのかを体験できたようで、そのことを知ったことで大変得をしたような気持ちになった。
 人間はいつか必ず死ぬ。死を迎えるとはどんなものなのか、やはり考えておきたいテーマであるだけに。

 重松清の「カシオペアの丘」や「その日の前に」、柳美里の「命」、井上靖の「化石」など死期を扱った小説をいくつか読んでいるが、この小説のように、自分の立場でそのことを直に扱い、語るものは初めてなので、もし自分がこのような状態になったらどうかと考えるのに非常に勇気をもらえた。
 さらに延命治療は拒否し、痛みだけは和らげる方法で、出来るだけ入院は避けたいというのは同一考えであるのでなおさらであった。
 ただ、幾つかについては相容れないというか、感情移入できない部分もあり、百パーセント受け入れられるものではなかった。

 人は余命が半年といわれた時、どのようにするかは非常に関心のあるテーマである。自分なら果たしてどうするか?
 藤山幸弘のケースでは、まず自分の人生に影響を与えた人に会いたいと考え、中学時代の初恋の人に会って伝えること、高校時代に喧嘩別れして、以来口をきいていない親友との和解、15年前に仕事上とはいえ、取引先の社長の人生を壊してしまったことへの許しを乞うことなどを手始めに行動していくと時間もどんどん過ぎていくが、体の激痛も次第に我慢できなくなってやがて気が休まるところを見つけることに。

 さて、自分の人生を振り返ってみると、とてもこんなに思い出があるとも思えない。さてこれからどんな風にして人生を振り返えり、何をすればよいのやら、考える時間はたっぷり(?)あるのだろうか。

本の帯には
”象は、死期を察知した時、群れから離れ、どこか知らない場所へ向かう”と。

<印象に残った場面

◇美和子の両親が病院に見舞いにきて帰り際に75歳、昨年脳梗塞の岳父の言った言葉:

「お義父さんは、幸せな人生でしたか?」
 岳父が入れ歯をかちゃかちゃさせながら、微笑んで何度も頷いた。
「やり残したことはないんですか?」
 この質問にも、微笑んで何度も頷いた。俺は岳父に訪ねながら、自問しているのかもしれない。
「俺は、まあまあの人生でした」
 そういうと、岳父は滑舌の悪い言葉で何かを言った。
「ソレナラ、イイジャナイカ」
 俺には、確かにそう聞こえた。

 ・・・・・・・
「そうね、お父さんも疲れたでしょう?」
 美和子は、しゃがんで車椅子の岳父に聞いた。
「・・・」
 岳父が何かを言っている。美和子が、俺の方をちらっと見てから頷いた。
「何ておっしゃったんだ?」
「ううん」
 車椅子のストッパーを外しながら、美和子は首を横に振った。
「何か、おっしゃったんだろう?」
「たいしたことじゃないわ。お母さん、トイレはいいの?」

 丈母を促し、病室を出て行こうとする美和子に、「ちょっと、待てよ」と俺が言った。自分では抑えたつもりだが、強い口調になっていたのがわかった。
「お義父さまが、俺に何か、言ってくれたんだろう?『大したことじゃない』って、君が判断するな」
 車椅子を押す手を止めて、美和子が観念したように言った。
「『もう、頑張らなくていい。楽になりなさい』って・・・」
 俺は、絶句した。
「美和子!」
 丈母が美和子を叱責する声が聞こえた。

「ありがとうございます」
 俺が頭を下げると、車椅子の岳父が微笑んだ。その目がやさしかった。自らが死の淵にいるから、わかるのだろう。形ばかりの慰めや励ましがどれほど、意味のないものか・・・。俺は美和子に代わり、車寄せまで車椅子を押した。

   


余談1:
 いずれ死を迎える自分にとっては、永遠のテーマであるので、これからも色んなケースについてみていきたい。

                  背景画は本書の表紙を利用。             

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