『ピエール・リヴィエールの犯罪』

 フーコーは、1973年、歴史家たちと、フランスのノルマンディーの農民による殺人の手記を公開し、簡単なコメントをつけている。このコメントで彼が注目することは、ピエール・リヴィエールが、みずから犯した殺人と、手記との二重の作者であるという事実である。「殺害=物語という機械装置(machinerie)」(邦訳、214頁)はどのように機能し、どのような「歴史的な場」(220頁)を暴き出すのか、これが彼の問いである。

 まず彼は、大衆新聞における犯罪の物語の機能を分析し、それが日常性と歴史性とが交錯する場になっていることを指摘する。また、彼の殺人は、法の外部と内部の境界において、その両者の「転換可能性」(217)を利用するという。法に従いつつ、それを侵犯する、この両義的な場こそ、フーコーが暴き出そうとする歴史的場であり、この場こそが「殺害=物語という機械装置」を可能にしたのであろう。
 このようにフーコーは、ピエール・リヴィエールの手記を出版することによって、テキストと行為の複合体を可能にする場を明るみに出そうとしている。それは、権力の関係における、闘争の場に位置しているのであり、医学的・法的・社会的知による真理の言説に対抗しているのである。

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