北フランスの今年の夏は、猛暑の7月が過ぎて8月に入るとにわかに気温が下がり、驚くほどの駆け足で終わりを告げようとしていた。
8月上旬に取った帰国休暇を終えてパリに戻ってくると、既にあたかも秋の気配である。それでも夏はまだそこにとどまっていると
信じて、時差調整を兼ねて休暇を一日伸ばし、ノルマンディのいつものフィールドに足を運んでみた。目当てはカミキリムシであった
が、日差しが出ても最高気温が20度そこそこでは、芳しい活動状況は期待できなかった。2時間フルに散策して、ありふれた種が
たった2頭という結果は、もう夏が過ぎてしまったということか。午後に入ると雲が張り出し日差しが途絶え、
日中だというのに気温は20度を下回った。
![[日が差した森]](sino02.jpg) |
![[ヤツボシハナカミキリ近縁種]](sino03.jpg) |
|
|
一時は晴れ上がったのだが、気温は低い |
カミキリは見つかってもありふれた種のみ |
こうなると、時期尚早ながらも材採集に向かわざるをえない。5月下旬に偶然にも採集方法の端緒を見つけたイッカククワガタ
(Sinodendron cylindricum)のことが気になり始めた。その時の推論は、次のようなものであった。
(上記「ノルマンディの森の中で 〜イッカククワガタ採集記続編〜」(くわ馬鹿2006年上半期号)参照)
- イッカククワガタは、ブナの森の中に生息している。
- 幼虫の成育材は、白枯れしたブナである。
- 成虫は材の中に坑道を作り、ペアで棲み付く。おそらく成虫の羽脱や出入りのための丸い穴が、
材の表面に見られると思われる。それはイッカククワガタが潜む材を見つける際の大きな目安となるだろう。
この推論に基づいて、小さな穴が開いたブナの朽ち木を早速探してみる。
林縁でブナ材を物色すると、ほどなく直径15−20cmの朽ち木が横たわっているのが見つかった。朽ち方は程良い感じで、
何よりも表面にいくつかの小さな丸い穴が点在している。コルリクワガタの脱出孔も大きさとしては似たような感じであるが、
これはイッカククワガタが穿った穴であると直感した。
![[ブナ材1]](sino04.jpg) |
![[ブナ材2]](sino05.jpg) |
|
|
ブナ材に小さな穴が、 |
ポツポツと開いている |
その穴を一つ一つ覗いてみると、なんと、穴の奥にイッカクのものと思われるスジの入った黒い甲が見つかった。
いきなりのビンゴである。
穴の中にイッカククワガタが見えている
しかし、せっかく材の中にイッカククワガタを見つけたというのに、カミキリ採集に来ていたため斧を携行しておらず、
遠くの車まで斧を取りに戻らなければならない。5月下旬の時の行動の繰り返しとなってしまうが、材採集には
まだいかにも早すぎる時期なので、見込み違いは仕方がない。
斧を持って戻ると、まずは甲が見えているイッカククワガタを慎重に割り出す。小型の♀で、おそらく活動中の個体だろう。
イッカククワガタ♀
材の表面に開いている他の穴も、掘るように斧で削ってみる。ほどなく再び♀成虫が出る。蛹室で待機中の新成虫なのか既に
活動中の個体なのかにわかに判然としなかったが、鈍い動きからすると新成虫のようである。次に幼虫の食痕を追っていく。
すると、蛹室にきっちり収まっていた新成虫が出た。これも♀である。幼虫は、初令か2令らしき小さなものが見られ、
3令幼虫は見当たらない。
![[イッカク♀2]](sino08.jpg) |
![[イッカク♀3]](sino09.jpg) |
|
|
♀の新成虫が |
次々と出てくる |
若令幼虫もいくつか見られた
続いて割っていくと、新成虫がまたもや何故か♀ばかり、次々と出てくる。さらには、♀の蛹まで出た。
5月下旬の時点では材の中に3令幼虫が見られたが、今はそれらがちょうど羽化を迎える時期なのだろう。
左端に♀の成虫、右端に♀の蛹が見えている
♀成虫が8頭出た後に、ようやく待望の♂成虫が出た。まだ赤みを帯びた羽化したての個体である。さらにもう1頭♂が出たが、
これはさらに赤い。そして、♂の蛹も出た。♂の方が♀より概して羽化が遅いのはクワガタ全般に見られる傾向だと思うが、
イッカクの場合もそうなのかもしれない。
![[イッカク♂1]](sino12.jpg) |
![[イッカク♂2]](sino13.jpg) |
|
|
羽化したてのイッカククワガタ♂ |
別の♂。腹部が鞘翅に収まりきっていない |
![[イッカク♂蛹1]](sino14.jpg) |
![[イッカク♂蛹2]](sino15.jpg) |
|
|
自然下の♂の蛹 |
別の角度から |
![[イッカク♀蛹1]](sino16.jpg) |
![[イッカク♀蛹2]](sino17.jpg) |
|
|
続いて♀の蛹 |
別の角度から |
結局、隣り合った二つの材から、成虫を2♂♂9♀♀、蛹を1♂1♀割り出した。まださらに割り出せるように思えたが、
これで既に十分な採集果である。
イッカクが見られたブナ材(採集前に撮影)
今回の採集を経て、イッカククワガタに関するこれまでの知見をまとめてみると、次のとおりである。
−イッカククワガタは白枯れのブナ材で育つ。活動中の成虫はブナ材に穴を穿って棲み家とし、そこで産卵して短期間なりとも親子で
生活する。イッカククワガタが見られる材の目安は、材の表面に直径5mmほどの小さな丸い穴が点在していることである。
−幼虫は、3令(終令)で初夏を迎え、晩夏に羽化する。今回3令幼虫に出会わなかったので、1年1化(卵から1年で成虫に羽化)
の可能性があるようにも思える。もしかしたら、親成虫が若令幼虫の餌を用意するなどして「子育て」することが、幼虫の成長速度に
良い影響を与えているかもしれない(この点は、下記参考文献のチビクワガタに関する記述にヒントを得たものだが、イッカクに
関しては全くの憶測である)。ただし、当地の寒冷な気候にかかわらず1年で羽化に辿り着くのかどうか、さらなる観察が必要で
あろう。現に、ある本によれば羽化(あるいは成虫の活動開始)まで3年以上かかるとあり、今般の採集で若い3令幼虫に出会わなかった
のは、単なる偶然に過ぎないのかもしれない。なお、晩夏に羽化した成虫は、そのまま蛹室内で冬を越し、翌年の4月ごろ活動を
始めるものと推測される。
この観察はあくまでもブナ材の例であるが、リンゴやトネリコなど他の樹種をホストとする場合にもおそらく同様の
ことが見られよう。
当初はたいへん苦労したイッカククワガタ探しであったが、いくつかの経験を重ねて、その生態と採集方法の端緒を
掴むことができたような気がする。成虫の生態など、未だ知るべきことが多く残されているが、ひとまずは一段落である。
まだ8月10日なのに、近くの村はもはや夏の風情ではなかった
参考文献:「親子関係の進化生態学」 齋藤 裕著 (北海道大学図書刊行会)
Special thanks to ポンパパ氏
ご意見、ご感想、お問い合わせは、こちらのメールアドレスまでお送りください。
えいもん:eimon HP
|