ノルマンディの森の中で

イッカククワガタ(Sinodendron cylindricum)採集記

続編

[ノルマンディの森]

本稿は、「 ノルマンディの空の下で 〜イッカククワガタ採集記〜」の続編です。

えいもん



ノルマンディへ再び

4月下旬から5月に入ると、北フランスもすっかり春の陽気となった。木々の新緑が広がる中で、様々な甲虫たちが時には密かに 時には大胆に姿を見せてくれる。先般、当面の目標だったイッカククワガタの採集を何とか果たすことができたので、 それ以来昆虫探索の目を、クワガタムシだけでなく広く他の甲虫にも向けてみることにした。日本では見られないような種が 見つかると心が踊る一方で、日本で生息している種と同じかまたは似ている種が見つかるのも、それはそれでとても面白い。 そんな甲虫探索をパリ近郊で続けていると、時には遠出もしてみたくなる。とは言っても、家族が採集に付き合ってくれる わけでもないので、所詮限られた範囲にしか行けはしないのだが。

5月最後の週末は、あいにくの天気になる気配で、特に気温については芳しい予報ではなかった。それでも家の中にはじっと していられない季節、何とか家族の許しを得て、近場とは異なる昆虫達に出会うために、再びノルマンディまで足を運んでみる ことにした。車を飛ばして1時間半、前に訪れた小さな村に辿り着く。幸い天気は回復傾向、日差しが時折出るようになり、 広場の真ん中に張り出しているカフェ・レストランのテーブルでは、観光客がゆったりとした時間を過ごしていた。 パンとジュースを買って、4月上旬に探索したブナの森へ車を進める。

[村の広場]

リヨン・ラ・フォレ村の中心広場


新緑に覆われたブナ林

ブナの森は、この1ヵ月半で大きく様変わりしていて、葉の無かった木々が今や新緑で厚く覆われている。明るかった林内は、 緑陰で暗くなっており、林道沿いだけが限られたオープン・スペースだ。手に「お散歩ネット」、ポケットにコンパクト・デジカメと 小型のルアー・ケースという軽装で、林道をゆっくりと歩いていく。

[林道]

新緑の森と林道

 

道端の花や葉の上にひたすら注意を払いながら進んでいくが、 気温がさほど高くならないせいか、期待していたほどの数の虫たちに出会うことはできない。それでも、 いくつかの虫たちを撮ったり採ったりする。そんな風に道草をしながら小一時間ほど歩いていくと、伐採により森が部分的に 開けた場所に辿り着く。林道の脇には、太いブナやナラの材が積み重なり、結構な規模の土場を形成していた。土場をチェックしても、 思うほどカミキリムシが見つからないので、伐採により開けた森の中へ歩を進めてみる。

[アカハネムシ] [ハイイロハナカミキリ]
   
アカハネムシの一種 ハイイロハナカミキリの一種

[林道と土場]

伐採地の脇の土場

 

すると、足元に一頭のコルリクワガタ♂が歩いているのが目に入った。この森はコルリクワガタが濃いことは分かっていたが、 林床採集となると、見つけようとしてもそう簡単に見つかるものではない。それでも、このコルリクワガタに誘われるようにして、 伐採木の搬出車のものと思われる轍が続く森の中へ、さらに入り込んでみた。

[コルリクワガタ♂]

林床を歩くコルリクワガタ♂


ブナの朽ち木

コルリクワガタの追加が得られないまま当てもなく彷徨っていると、やがて、直径がおよそ20cmほどのブナの朽ち木が 地面に横たわっているのが目に入る。しかし、今は材割りの用意など、あるはずもない。それでも、材の下に何か甲虫でも 潜んでないかと、その材を引っくり返してみる。すると、案の定、黒光りのする大きなゴミムシが躍り出てきた。 咄嗟に反応して、そのゴミムシを捕まえる。本当にクワガタ屋から甲虫屋に転向してしまったような感じで、 自分でも不思議なくらいだ。

[ゴミムシの一種]

材の下から出た大型のゴミムシ

 

ところが・・・・・・。ところが、である。引っくり返した材に無意識のうちに目をやると、その表面に黒い小さな甲虫が鎮座しているのが 視界に飛び込んできた。それはなんと・・・・・・・、

 
 
 
 
 
 
 
 
 

[イッカククワガタ♂]

意外なところに姿を現したイッカククワガタ♂

 

それはなんと、イッカククワガタの♂だったのである。材のもともと脆かった部分が引っくり返した拍子に割れ、材の中にいた イッカククワガタがたまたま姿を現したのだ。率直に言って、こんな形で再会するとは思いもよらなかった。さらにその材を よく見ると、クワガタ幼虫のものらしき食痕があちらこちらに走っているではないか。

[ブナの朽ち木]

イッカク♂が見つかったブナの朽ち木


時ならぬ材採集

ここで、本来のクワガタ屋としての性分が即座に戻る。今は材採集の季節ではないが、その材の中を観察しない訳にはいかなかった。 しかし、それは堅いブナ材、無論のことこれ以上とても手で割れるものではない。せっかく森の奥深くまで歩いてきたというのに、 車を駐車した遠い場所まで斧を取りに戻らなければならない。

それにしても、初めてイッカククワガタに巡り会ってからたった一ヶ月半、いくら材採集の時期が過ぎたからといって、 イッカッククワガタのことが全く頭から欠落していたのは、我ながらいただけない。もっとも、意外なかたちで虫が採れるというのが、 自分の採集スタイルといえば、そうなのかもしれない。しかし、あれだけ思い焦がれて探していたのに、今回はあまりに呆気ない 出会い方ではないだろうか。昆虫採集というものは本当に一筋縄ではいかないものである。そんなことをあれこれと考えながら、 長い道のりを辿り、イッカククワガタ♂が出た材がある場所に、斧を持って戻ってきた。

早速、割り始めてみる。

[幼虫の食痕]

幼虫の食痕と、成虫が穿孔したと思われる坑道

 

しかし、好事魔多し。慎重に割っていったつもりでも、堅固なブナ材はなかなか思うようになってくれない。 斧で直接ヒットした訳ではないが、割った木片を剥がそうとする際に、小さな坑道の中にいた黒い甲虫を木片で傷つけてしまった。 よもやと思ったが、後の祭り。イッカククワガタの♀だったが、既に致命傷を負っていた。痛恨。後悔の念が自分を襲う。

なんとか気を取り直して材との格闘を続けてみるも、その後は、成虫は残念ながら出ることはなかった。おそらく、 この材には活動中の成虫がペアで入っていたのであろう。材の中にペアで坑道を穿って住み着くというのがイッカククワガタの 習性であると、確か図鑑には書いてあった。


個性的な形の幼虫たち

しかし、今回の収穫はむしろ、イッカククワガタの3令幼虫を初めて確認できたことである。下の画像をご覧いただきたい。

[イッカク3令幼虫1] [イッカク3令幼虫2]
   
イッカククワガタ3令幼虫 別の角度から

 

パプアキンイロクワガタを彷彿とさせる先細り気味の尻、これがまさにイッカククワガタの幼虫の特徴である。先般見つけて 画像に収めた幼虫は、臀部がさほど先細りではなく、サイズも小さかった。今にして思うと、おそらく2令幼虫だったのであろう。 眼前にいる3令幼虫は、コルリクワガタの3令幼虫よりも二回りほど大きな感じで、小さめのパプアキンイロ幼虫ほどもある。 成虫が13mm程度の体長であることを思うと、幼虫は意外なほどの大きさであった。こうして3令幼虫をいくつか確認できたところで、 材割りを打ち止め、幼虫たちを材に埋め戻した。

[イッカク3令幼虫×3]

イッカク3令幼虫が3頭見つかった


新たな知見

狙っていたクワガタに、その狙いが念頭から薄れてしまったときに偶然に出くわすなど、とても威張れた話ではない。 しかし、もともとイッカククワガタが生息しているであろうと信じていた森の中で、どのような形にせよ出会いを果たせたのは、 自分の当初の勘が正しかったということである。それについては満足してもバチが当たることはないだろう。

そして何よりも、この幸運によって、イッカククワガタについての知見を少しばかり広げることができた。
 
- イッカククワガタは、確かにブナの森の中に生息している。
- 幼虫の成育材は、白枯れしたブナである。先日の森の中での失敗の原因は、ナラ材も合わせて探索したことにより時間を費やして しまったことのように思う。
- 成虫は材の中に坑道を作り、ペアで棲み付く。今回は確認できなかったが、おそらく成虫の羽脱や出入りのための丸い穴が、 材の表面に見られると思われる。それはイッカククワガタが潜む材を見つける際の大きな目安となるだろう。

[ブナの森]

伐採により部分的に開けたブナの森

 

「運命のいたずら」と言えば大袈裟に過ぎるが、このように意外な展開を通じて、イッカククワガタ探しのための海図を 曲りなりとも手に入れることができた。もっとも、それは言わばちぎれちぎれの海図で、完全なものからは 未だ程遠いのではあるが。


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えいもん:eimon HP



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