ヨーロッパミヤマクワガタ(Lucanus cervus)探索記(その3)



5.成虫探索(2) 〜パリ郊外・街灯編〜

念願だったパリ産ミヤマ成虫の採集に何とか成功することができたので、ミヤマの活動期が過ぎてしまわないうちに、 ミヤマ探索のための行動範囲を広げてみようと考えました。ユーロミヤマは夕暮れ時に飛翔すると聞きますが、 郊外の森へ行けば、そんな光景に出会うこともできるかもしれない、と思ったのです。

(注4)
ユーロミヤマ(Lucanus cervus)は、フランス語でCerf-volantといい、直訳すれば「飛ぶ牡鹿」です(♂の大顎が牡鹿の角に 似ていることによる呼称。ちなみに英語のStag beetleのstagも牡鹿という意味)。Cerf-volantにはまた、フランス語で「凧」と いう意味もあります。ユーロミヤマの特徴は、よく飛翔するという生態にあるのでしょう。

6月24日、コルリクワガタ採集にしばしば通ったフォンテーヌブロー(Fontainebleau)の森(パリの南およそ50km)を目指し、 仕事を終えた後(6月下旬は日が長いので日没は22時過ぎ)に出かけてみました。フォンテーヌブローの森は、ブナを主体とした カシワ(ナラ)との混成林で、日本で言えばブナとミズナラの混成林と似た感じの林が広がっています。ここでは、ブナの 立ち枯れの根元でミヤマ♀の死骸を見つけたことがあるので、ミヤマが生息していることは間違いありません。

ところが、森の中に入っても、辺りはしんと静まり返るばかりで、昆虫の羽音一つ聞こえてきません。しばらく様子を見ていても どうにも埒が開きそうにないので、さらに暗くなるのを待って、近くの村の周辺で目ぼしい街灯を探して廻ってみることにしました。 しかし、この試みも全く外れてしまいました。月が隠れ、気温は比較的高く、湿度も高めの夜だというのに、街灯には昆虫の姿は 何も見られません。やがて雷を伴う大雨に見舞われ、散々な結果のままパリに帰ってきました。ミヤマが夕暮れに飛翔するというのは、 普通に見られる現象なのでしょうか? ミヤマは果たしてフランスにおいても街灯に飛んで来たりするのでしょうか?

[夕暮れ時のフォンテーヌブローの森]

夕暮れ時のフォンテーヌブローの森。残念ながらミヤマは見られず

パリ郊外のポイントらしきポイントといえば、フォンテーヌブローの森以外では、パリ赴任前に子連れ狸氏から教わっていた、 パリから南に向かって車で30分ほどの郊外のO町しか、今の自分には知識がありません。その町にはカシワとクリの混成林があって、 そこは確かにミヤマが生息していそうな雰囲気の場所です。しかし、自分はその林には昨夏7月中旬の昼間に一度行っただけで、 その時は随分と歩き回っても樹液の出る木にさえ出会えず、結局、残念ながらミヤマ生息の痕跡を何も見つけられずに 終わった覚えがあります。それでも、今は6月下旬という、おそらくミヤマの活動最盛期。夕暮れ時に 行ってみれば、何か違った状況が見られるかもしれません。フォンテーヌブローで敗北した翌日の25日の土曜日、日没前に十分に 間に合うようにO町へ車を飛ばし、とりあえず狙いの林の中に入り込んで、探索を始めてみました。

[郊外の森]

O町のカシワとクリの混成林。ここはどうだろうか

ところが、林の中は静まり返っていて、ねぐらへ急ぎ帰る鳥の声以外は、何も聞こえてきません。やはり、樹液が出ている木など、 なかなか見つかりそうにありません。それでも、何かに出会えないものかと、耳をそばだて、木の幹や根元を見ながら、 林内の小道をぐるぐると歩き回っていきます。頼れるものは、自らの足と運という状況です。

ただひたすら歩き回るだけの探索だったのですが、やがて、それが功を奏してくれました。何も見つけられないまま小一時間ほど 経ったころでしょうか、ふと、足元に大きな甲虫が落ちているのに気が付きました。なんと、ミヤマ♂が土の上でひっくり返って いたのです。鳥にでも襲われたのか、いくつかの符節が欠けていて、ぼろぼろの個体ですが、まだ生きています。そんな個体でも、 見つからないよりはずっとましというものです。今日も何も成果が出ないのかとあきらめかけていたところを、よくぞ自分の通り道に 落ちていてくれたものだと、感謝せずにはいられませんでした。

[ミヤマ♂裏] [ミヤマ♂表]
   
小道の脇でひっくり返っていたミヤマ♂(56mm) ボロボロの個体でも生きていれば嬉しい

俄然気を良くして、さらに林内を歩き進みますが、結局、追加して見つかった個体はありませんでした。そうしているうちに、 夜の帳が本格的に降りてきて、周辺の街灯に明かりがつき始めました。林の中では目が利かなくなってきたので、街灯廻りに 切り替えようと、林の側の駐車場に停めてあった車に戻ろうとしたとき、ふと、頭上を横切る大きな羽音! 夕闇に目を凝らしても、 残念ながら何が飛んでいるのか確認することはできませんでしたが、間違いなくミヤマの羽音だったのでしょう。 「この辺りにはミヤマが飛び回っている」と確信し、周囲の街灯廻りに急ぎました。

[森のそばの街灯]

大きな羽音が聞こえた森のそばの街灯

林の周囲には、大学の敷地があり、そして住宅街が広がっています。大学の敷地内には入れないため、住宅街の中で、目ぼしい街灯は ないか探し回ってみます。いくつかの白色灯の下を懐中電灯で探索してみましたが、昆虫らしきものは何も見つかりません。やがて、 住宅街の真ん中ながら、家の白い壁が白色灯に照らされているという、街灯採集にうってつけの場所が見つかり、若干の期待を込めて 車を停めて近づいてみました。すると、歩道の上に甲虫の影が……。

[ミヤマ♀]

歩道の上を歩くミヤマ♀

直ぐにミヤマの♀と分かりました。先日ブローニュの森で見つけた個体よりも小ぶりで茶色がかっており、鞘羽に艶があって 新鮮そうな個体です。それが、周りに見えるのは家ばかりの住宅街の歩道に落ちているとは、探しているものが見つかったとは いえ、何か不思議な気分です。いずれにしても、ミヤマは、やはり灯火に飛来しているのです。

もちろん、その後も住宅街の中をあちこちと探し回ってみたのですが、残念ながら追加個体を得ることはできませんでした。 日本での街灯採集であれば、街灯に蛾が多く集まってきているかどうかが、遠目からでもポイントの判断材料になるところですが、 ここでは、そもそも街灯にはたまに小さな蛾が見られる程度で、目立った昆虫はほとんど見られません。その日は ちょうど土曜日の夜で、庭先でホームパーティーを楽しむ家もあり、アジア人が懐中電灯片手に街の中をうろつく姿は、 まさに不審者に見られる恐れが高いように思われました。住宅街でのミヤマの街灯探索は、ほどほどのところで 切り上げざるをえないようです。

後ろ髪を引かれつつも、とりあえずの目標は達成したので、家路に着くために住宅街を離れ、商店の並ぶ街の中ほど近くに車を 走らせて行ききました。ふと、ある街角で、ウインドウに貼ってある広告を照らし出すために、白色灯を煌煌と点けている不動産店が 目に留まりました。壁も白く、場所さえ良ければ、灯火採集にとても適した場所ように思えます。すると、その白い壁に……、

[不動産店]

白色灯で自らを照らしつける不動産店

その白い壁に、本当に黒いものがベタッと貼り付いているではありませんか。文字通り慌てて車を道の脇に停めて、急いで近づいて みました。

[壁に付くミヤマ♂1] [壁に付くミヤマ♂2]
   
灯下の壁に貼り付いている♂(51mm) 別の角度から

紛れもなく、ミヤマ♂です。本来なら、壁の上の黒い個体に遠くから気が付いた時点で直ぐに画像に収めるべきだったのですが、 それをし忘れたくらい慌てていたのだと、今にして思います。日本のミヤマの街灯採集と同じような光景が、山間ではない、 普通の街中で見られるのだから、驚きです。当然のように、他にもいないものかと、急いで周囲を探してみます。すると、いました。 歩道の上に、♂がもう1頭。先ほど人が通ったばかりの場所なのに、こちらの人は足元の大きな虫に全く意を払わないようです。

[歩道上のミヤマ♂]

歩道の上を歩くミヤマ♂(55mm)

それにしても、パリから車で30分ほどの郊外の町の真ん中近くで、ミヤマが拾えるのです。しかも、他に目ぼしい虫が一緒に飛んで 来ているわけではありません。ミヤマだけが唐突にポツンポツンといる、そんな不思議な感じなのです。子連れ狸氏の示唆の おかげでよほどの好ポイントに恵まれたのかもしれません(子連れ狸氏には感謝の念でいっぱいです)が、おそらく、数の上から いえば、ここフランスにおいてはミヤマは普通種なのでしょう。どうも、そうとしか思えません。

[ミヤマ3♂♂1♀]

この日の成果



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