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 しばらく森を彷徨うと、夏にも見掛けたキノコが目に留まった。まさかキノコムシもいないだろうと思いながらも、少しの期待をもってそれを覗き込んでみた。確か今年の6月に見たときは、まだこのキノコは活き活きとしていた様な気がするが、宿主同様、今ではすっかり枯れてしまっている様にも見える。
 ぐるりと見渡すと、驚いたことに何やら甲虫がへばりついているのが見えた。しかし、それはこの時期よく見掛ける甲虫の無残な菌糸に巻かれた姿であった。しかも私的には未採集の甲虫で、コブスジツノゴミムシダマシと言うサルノコシカケなどに寄生しているゴミダマである。これと同様の生態で、クワガタゴミムシダマシというのも居るが、こちらは見付からなかった。
 いずれにせよ、出来れば菌糸に巻かれてしまう前に採集してみたかった・・。

■ コブスジツノゴミムシダマシ
  
Boletoxenus bellicosus Lewis

 なんども森へ足を運んでいるうちに、分かってくる事が幾つかあ
る。それは昆虫と樹木との密接な関係であったり、樹木と言うもの
の計り知れない恩恵であったりと言うものである。これらはいくら
図鑑で説明されても、実際に肌で感じなくては到底理解できるも
のではないと思う。
 とは言ったものの、そんなことを偉そうに書き連ねている自分は
と言えば、殆ど理解していないに等しいと自覚する。だからこそ、
何度も足を運んでは、つぶさにその巧みな連鎖を理解しようとして
いる。昆虫採集は、それらを確かめるべく手段の一つに過ぎない
のである。
 例えば、朽ち果てたブナの大木が横たわっていたとする。見たと
ころ、赤枯れしていてかなりの数の生物がよりどころにしていると
思われる。これを数学的に理解しようとすれば、様々な分析や統
計学を用いて、ああだこうだと数値化していくのであろうが、そうし
たところで見えてこない部分がある。なぜこの木は枯れてしまっ
たのか。なぜ赤枯れしているのか。果ては同じ様に見える倒木で
も、あちらにはツヤハダクワガタの幼虫が居るのに、こちらには全
く居ない。こればかりは最早クワガタに聞くしかない。
 そこで私はおもむろにナイフを取り出す。朽木を削り、彼らを探
すのだ。これが昆虫採集なのである。しかしながら、なかなかお
目当ての相手は出てきてくれないのである。
 いい感じの赤枯れ材だ、なんて意気込んで削ったところで、出て
くるのは悉くオサムシだったりするのだ。大顎だけ見れば、オサも
ツヤハダもたいして代わり映えはしないのだが。そんな事を繰り
返している内に、なんとなく分かってくることがある。オサムシはジ
メジメした赤枯れが大好きで、ツヤハダはジメジメが嫌い。それが
段々見えてくる。ようやく彼らと会話ができたような気になる。
 人に聞くのは容易いことだが、森や虫に聞くのは容易なことでは
ない。森や虫と上手に話が出来るという人が居たとするならば、き
っとその人はUFOとコンタクトを取っているなんて言い出す人で
はないだろうか。森や虫から話を聞くとは、言葉やテレパシーでの
会話である筈もない。相手のことを理解しようとすることなのであ
る。現代人はその辺りが足りないのである。 


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