概説 | 元亀年中(1570〜1573)下妻城主多賀谷政経が築城し白井対馬守が守り、戦国時代には小田氏攻略の陣営として度々重要な役目をはたした。廃城その他は文献もなく不明である。本丸跡は、土塁や濠が良く残っている。また、二の丸跡に若森県庁が設置された際(明治2年)、濠は埋められ土塁は造り直されてしまった。[『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』より] 館山には土塁・堀・郭をよく残した若森城址がある。この館山は南北朝期以来、対小田氏進攻の城砦として重要な拠点であったが、江戸時代には当地を支配した旗本堀田氏の陣屋が置かれた。また明治2年この陣屋跡に若森県が設置された。若森県は常陸・下総両国の旧旗本領・旧天領を所管とし、明治4年11月の県統廃合まで存続した。[『大穂町史』より] |
南側虎口![]() |
訪問記 | [2003/01/20]昨晩の雨も影響しているのかもしれないが、県道脇の堀跡にはかなりの水が溜まっていて堀を渡る場所を探さないとならなかった。北東部から土塁に取り着いてみたが、そこは二重堀になっていて、土橋を渡り土塁を乗り越えるとまた次の堀が現れるといった具合で、遺構の中では最も複雑な部分だった。東側の堀・土塁に比べると西側の土塁は小規模だ。 |
所在地 | つくば市若森字谷津1272外。 |
参考書 | 『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』 |