概説 | 遺物の年代観から判断すると15世紀後半頃に築城され、16世紀の前半頃に改修された可能性が高そうである。問題は、外八代城と八代城との関係であるが、この城が八代城ほどに重要な拠点機能を果たしたとは考えにくい。おそらく15世紀後半の享徳の乱の最中に、屋代氏が八代城の支城として築城し、16世紀前半に起こった八代要害合戦の頃に、防御を固めるための改修をした、と考えるのが妥当であろう。[『龍ヶ崎市史中世編』より] |
北東側からの遠望![]() |
訪問記 | [2001/10/02]折れのある立派な堀があったらしいが、完全に湮滅してしまったようだ。現在は小学校になっている |
所在地 | 龍ヶ崎市城ノ内5丁目。城ノ内小学校校地になっている。 |
参考書 | 『龍ヶ崎の中世城館跡』、『龍ヶ崎市史中世編』 |