麻生城

概説 常陸大掾家から出た平宗幹(屋島の戦にて戦死)に4子あり。小高太郎、島崎二郎、麻生三郎、玉造四郎これを行方四頭という。平宗幹の3男家幹、麻生郷羽黒山に城を築き麻生三郎と称し麻生氏の始祖となり当地を治め麻生氏400年の基を築いた。しかし、さしもの麻生氏も天正4年(1576)同族島崎氏の奸計に遇い攻め滅ぼされた。ただしこれには異説もある。のち島崎氏も佐竹氏に敗れ出城となったが、慶長7年(1602)佐竹氏の秋田移封によって廃城となった。[『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』より]
駐車場の北西側は堀・土塁が複雑な地形を造っている
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訪問記[2003/11/04]駐車場の東側一段高い場所には南北に長い大きな郭があり、これが主郭であろう。内部には遺構らしきものは無いが、南側から東側そして北側へと幅20mほどの帯郭が取り巻いている。また、駐車場の西側の遺構は土塁と堀が複雑に配置され台地続きの地形を堅く守っている。
所在地行方郡麻生町麻生字要害945外。城址は羽黒山公園となっている。
参考書『茨城の城II』(常陽藝文139号)、『重要遺跡調査報告書II(城館跡)』