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  前書き

 1970年、私が日本を訪れた時、高田敏子さんと何日かの間を一緒に過ごしたことがあった。その折、このミス高田の面白い経歴についてお話を伺う機会を得、そのことを書いてみたらどうかという話になり、私も大いに心を動かしたのであった。私達が知り合ったのは、彼女がインディアナ州のブルーミングトンへ訪ねて来た時であった。最初1954年に、次ぎに1964年、次いで1969年に彼女はルース・ストリクランド教授の客として訪れたのであるが、同時に私もまた自宅に彼女を迎えたのである。そして私達は親しさを増していった。

 1970年の夏、私は日本にミス高田を訪れ、二人で一緒に箱根の強羅で夏季休暇を過ごしたのであるが、その時彼女は自分自身や高田家についての話を始めてくれた。しかし日数は充分ではなく、私が尋ねる多くの質問に対して彼女が答えてくれるのがやっとで、従ってその後はずっと手紙で書き送ってくれた。それは1974年、彼女が亡くなる年まで続いたのだった。

 高田敏子はどんな人にも深い理解と積極的な興味を持って接し、その故に彼女は多くの親友を得ている。彼女と友達とはお互いに固い友情によって結ばれ、友情の尊さ、美しさを立証している。彼女は私達の間でほんとうに精神的な橋となったと言えるだろう。

                     エルシー・キムメル・フィールド

                  米国、インディアナ州、ブルーミングトンにて

                              1979年



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