「わが心は あまつ神を とうとみ、わが魂 救い主をほめまつりて 喜ぶ」 2002年10月13日 聖日礼拝説教 |
北朝鮮に拉致された被害者の中、5名が生存して一時帰国していますが、8名は死亡していて、その遺骨も行方不明であると言われています。バリ島ではテロ爆発があり、180人以上の犠牲者が出ました。アメリカ東部では、連続銃撃事件が起きています。またアメリカ全土ではナイジェリア・ウイルスを運ぶ蚊に咬まれて多数の死者が出ており、その蚊はやがて日本にも来るのではないか、と警戒されております。人間はいつ、どこで、どのようにして死ぬか分かりません。私たちはヨハネ黙示録から全宇宙的な終末論を学びましたが、その中には個人的な終末も含まれているのです。
2002年10月27日 聖日礼拝説教 |
今年は夏の暑さが長びき、秋になっても暑い日が続きましたが、この頃は冬の寒気が早目に来てしまい、急に寒い日が続いていますので、風邪に悩まされている人が多くいます。私自身も風邪をひいてしまい、3日には体調不良の 「70節はルカの文体(使3・21参照)である。76〜77節はルカ以前の加筆であろう。...この歌の内容は、旧約の約束(68〜75節)、先駆者ヨハネ(76〜77節)、そしてイエス(78〜79)という順序として読み取れる」(新共同訳新約聖書注解) この讃歌の前半(67〜75節)が旧訳的であるのに比べて、後半(76〜79節)は新約的で 「67〜79節。これらの節は歴史上のある過程で、恐らく64節に暗示されて、物語の中に挿入されたように見える。80節を2章40節及び52節と比較せよ。疑いもなく、このヨハネ誕生時の報告の要約(80節)は、元来 ルカは様々な資料をつなぎ合わせたり、切り貼りをしたり、筆を加えたりして、彼の福音前史を仕上げました。 「ユダヤ人の間には三つの哲学の派があり、第一の派に属するのはパリサイ、第二はサドカイであり、第三のものは、高潔な生活を実践することで有名なエッセネ派と呼ばれる群である」(ユダヤ戦記) 結局ヨハネは、幼少年期にはクムランで成長し、後に、神の特別な召命を受けて、その共同体から自立して、独自の歩みを始めた、というのがベッツの結論です。 2002年11月10日 聖日礼拝説教 |
11月はまだ秋の月であるのに、今年は冬の寒気が10月の中旬に入って来てしまい、それ以来冬日が続いているような感じがいたします。私自身も人並みに風邪をひいてしまい、おまけに先週はギックリ腰になって、本当に往生しました。17日の午後、礼拝説教の御用のために上落合教会へ行きましたが、そこでも教会の兄姉方に同情されてしまいました。しかしたまに痛みや苦しみを経験することは必要なことであると考えます。世の中には病気の人や障害のある人や老人など、弱い立場にある人々が沢山いるのですから、一時的とはいえ、それらの人々と同じ立場に立ち、同じ経験を味わうことは、高慢にならないために、同情心を深くするために、即ち、自分自身の教育のために必修科目であると思います。そしてやがて死に至る病にかかって死ぬのですから、それは死の準備教育の一部分でもあるのです。 さて、今日のテキストはクリスマス物語です。川崎教会には世界で一番早くクリスマスがやって来ました。他のすべての教会では12月1日から待降節が始まるというのに、ここでは既にクリスマス物語が学ばれます。もう50年も昔、高田英語学園のクリスマス祝会で、高田敏子先生に指導されて、今日の聖書個所を英語と日本語で暗誦させられたことを懐かしく思い出します。 シリア州総督キリニウスが、ユダヤの戸口調査(census)を行なったのは、ユダヤがローマの直轄属州になった紀元後6年のこと。ただし、これはローマ帝国全土の戸口調査では全然ない。さらに、ルカはこの年をイエスの誕生の時とする一方、イエスをヘロデ大王の治世に生まれたとも見なしている(1・5、なおマタイ2・1も参照) 以上のコメントは、キリスト教根本主義者(fundamentalist)にとってはショッキングであるかも知れませんが、常識的に考えれば、ごく当たり前なことでもあるのです。 マルコは福音を宣教し、ルカは物語を語った。これは面白い。マルコはヘブライ思想をもったユダヤ人でした。彼が「時は満ちた。神の国は近づいた。君たちは悔い改めて福音を信ぜよ」(1・15)と書いた時に、それを語った者はイエスであり、それを読む者は、イエス御自身から直接的にその言葉を受領するのです。いわばそれは直観的、主観的な経験になるのです。「神が語った。私はそれを聴いた」という霊的、宗教的な魂の経験です。 「イエスの誕生を、この政治の枠組みに挿入した神学的理由は、イエスがすべての人、即ち全世界のために生まれたという教えの準備である。住民登録のモチーフは、イエスの誕生を公の帝国の舞台に置く。従って、世界最大の強者たるローマ皇帝は全世界に勅令を発するが、それは知らずして神の救いの計画に寄与するのだということになり、またこの皇帝アウグストゥスは『全世界の救い主』と称され、人々から『アウグストゥス(尊厳なる者)の平和』と云われたが、しかし彼の治世下に生まれたイエスこそが真の平和の救い主である 2002年11月24日 聖日礼拝説教 |
国際ギデオン協会という団体が、キリストの福音の布教のために無料で聖書 マタイにはマタイ独特の風味があり、ルカにはルカ独特の味わいがあるのです。マタイはマタイとして読み、ルカはルカとして読んで、その共通点と相違点とを取り出して、何故そうなのか、と考える必要があります。そうすると著者の心が次第に明らかになってくるのです。 その両者の相違は、その両者に伝承された資料の相違と、各々の著者の信仰思想の相違によるのです。マタイやルカが福音書を書いた時までに、各地方の教会の中で様々なキリスト伝説が生まれ、育まれて来ました。古代において
「私が最も大事なこととして君たちに伝えたのは、私自身も受けたことであった。即ち、キリストが、聖書に書いてある通り、私たちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてある通り、三日目に甦ったこと、ケパに現われ、次に十二人に現われたことである」(コリント第一書15・3〜5) これが新約聖書の教会の最古の信条の一つと言われているものです。しかし信条以前に、生きた信仰があったのです。 文法以前の幼児の言葉の、いかに新鮮で、自由で、歓喜に満ちていることでしょう! |