Base1-1:カルドセプトの醍醐味

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 物事は往々にして「知っている人は知っているが、知らない人は全く知らない」ものです。ここでは、カルドセプトというゲームの面白さを、テーブルゲームとの比較からお伝えします。

 テレビゲームとテーブルゲーム

 現在の日本においてゲームという言葉は一般的にテレビゲームを意味します。「テレビの前に座って、画面を見つめて~」と多くの方もイメージしやすいでしょう。近年では大手電器メーカーも参入したり市場が拡大したりと、非常に活気のある業界のようです。では、テレビゲームがここまで広く普及した理由とは何でしょうか?

 それは一人遊びであるからです。遊び相手がいなくてもコンピューターが相手をしてくれるからこそ、多くの支持を得ているのです。夜、仕事から帰ってきてちょっと遊びたい時にテレビゲームの電源を入れる、友達を都合がつかない時の暇つぶしとしても遊ぶ――そんな生活の隙間に入り込んで、私たちの要求を満たしてくれる遊び相手がテレビゲームなのです。その意味では、非常に現代の世相を反映した商品と言えるでしょう。こちらの都合にあわせて遊ぶ時間やタイミングを選べる上、最初にちょっとお金をかけさえすれば長く付き合ってくれます。その上、新作ゲームの発表などで、常に新陳代謝して新しい側面を見せてくれるのですから、普及するのも無理からぬことです。でも、ちょっと寂しいですね。

 もともと、テレビゲームが普及する以前はゲームという言葉はテーブルゲームを意味していました。トランプやチェス、囲碁、将棋、麻雀などがテーブルゲームに相当します(厳密に言うとさらに細分化されますが、ここでは割愛します)。これらは「やったことは無いけど名前ぐらいは知っている」という方も多いと思います。特に囲碁や将棋は対局がテレビでも放映され、新聞にも名人の写真が載り、学校でクラブ活動として認められる、と広く一般に普及しています。しかし、これらのテーブルゲームには欠点があるのです。ここまでお話をすれば感の良い方は分かると思いますが、それは人間がいないと遊べないことにあります。

 昔から将棋や麻雀の相手をコンピューターに行わせるテレビゲームもありましたが、「弱い」などの理由により評価はいまひとつでした。しかし、最大の理由は「つまらない」ことにあったと筆者は考えます。テーブルゲームは「直接、人間が向かい合ってひとつの目標のためにしのぎを削る」ことが面白いのです。その中で様々な駆け引きや思惑、相手の心理を推察するといったやりとりが魅力であり、人間がいなければ成立しない遊びです。そのため、いくらコンピューターを強くしても、単なるパズルにしかならなかったのではないでしょうか。

 本来、ゲームとは勝利するためだけに行うものではありません。もちろん、ゲームに参加する以上は勝利するために全力を傾けてこそ、その醍醐味も味わえるのですが、「ゲームに参加する」動機そのものは勝利とは別のところにあります。何故なら、勝利を目的としてゲームに参加したにも関わらず、勝利できなかった場合、ゲームをした意味が無くなってしまいます。しかし、現状は多くのプレイヤーがゲームに参加しているのです。このことから、ゲームにおける勝利は本来の目的ではなくて、ゲームを楽しむ姿勢こそがゲームに参加する動機であり、ゲームの枠の中でのみ勝利を追及すると言えるのではないでしょうか?盤上では競いつつも実体は相互理解を図る、というのがテーブルゲームの姿だと筆者は考えます。

 カルドセプトとは?

 「カルドセプト」という作品は1997年にセガサターン(テレビゲームの機種のひとつ)で初めて発売されました。以後、ルールの変更・調整などのマイナーチェンジを繰り返し、2003年現在ではプレイステーション2でカルドセプト セカンド・エキスパンションが最新作として発売されています。この作品が事実上、4番目のカルドセプトに相当します。製作は大宮ソフトという会社で、ゲーム業界では職人集団として知られています。

 カルドセプトは2~4人で対戦し、目標とされる資産を形成した人が勝利となります。プレイヤーは「お金」と「カード」と「サイコロ」を使って、「ボード」上に一定の資産を形成していきます。自分の手番に出来ることは「サイコロを振る」「お金を払ってカードを使う」「お金を投資して資産の価値を高める」ことが主なものです。各プレイヤーはこれを交互に行い、もっとも早く目標を達成した人が勝利する、という訳です。

 カルドセプトの肝となる部分はカードにあります。プレイヤーの殆んどの行動はカードを通して行います。他のプレイヤーに対する干渉や、自分を有利にする収入、ゲームルールそのものの改変など、実に多岐に渡ります。そしてプレイヤーはゲーム中にどのカードを使うのか、予め決定してゲームに参加することになります。50枚のカードを一組にしたものをこのゲームではブックと呼び、自分のゲーム中での行動はこのブックに収めてあるカードに左右されてしまうのです。

 テレビゲームとテーブルゲームの幸福な関係

 カルドセプトはテレビゲームのプラットフォームに乗っています。しかし、ゲームそのものはボードゲームの性質を持っているのです。このタイプのゲームは昔から例が無かった訳ではなく、「いただきストリート」や「桃太郎電鉄」など、名作と呼ばれるソフトも多く存在します。にもかかわらず、カルドセプトが他のゲームと一線を画しているのは「一人でも遊べる要素が大きい」点にあります。それがブックの編集です。

 プレイヤーはゲームに参加する際にブックを編集する必要があります。このブック編集はプレイヤーの行動計画書であり、最も実力が反映されるところです。自分のプレイスタイルに合ったブックを作成できるか、ボードの構造に沿った作戦を展開できるか、相手の行動は何が予想されるか、といった様々な要素が絡んできます。一冊のブックを仕上げるのに一週間かける、なんていう人もいます。つまり、多人数で対戦する前段階において、一人で遊ぶことに大きなウェイトが置かれているのです。

 多くの友人と遊ぶ「桃太郎電鉄」は面白いですが、「ひとりでコンピューター相手に遊びたいか?」と問われると、微妙です。カルドセプトはこの「一人遊び」と「多人数での遊び」を両立させた点こそが最大の魅力です。近年のカードゲームは皆この要素を持っていますが、1対1の対戦が前提であり、多人数での対戦を想定していません。一人でも楽しめ、大勢でやればもっと楽しい、何とも理想的なゲームではありませんか。

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