師・友人たちの

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●「闘牛はなぜ殺されるか」佐伯泰英
●「西洋の見える港町 横浜」中野孝次
●「ゲルニカに死す」佐伯泰英
●「カメラマンからカワラマンへ」山田脩二
●「砂の上の黒い太陽<闘牛>アンソロジー」林恵美子 編(佐伯泰英)
●「人生を闘う顔」中野孝次
●「私のスペイン」川成 洋 編
●「カルカッタ大全」安引 宏/今井爾郎/大工原彌太郎
●「インドの誘惑」安引 宏
●「ウエットウエアの時代」菊地 滋
●「タコ社会の中から--英語で考え、日本語で考えるダグラス・ラミス
●「イデオロギーとしての英会話」ダグラス・ラミス

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 「闘牛はなぜ殺されるか」佐伯泰英

 闘い終わった牛は、どこへ行くのか---- 限りなく死に近い遊技・闘牛。その歴史、技、興業など全てを豊富な図版で解説し、スペイン文化の神髄に迫る。----スペイン旅行必携の書。

<おススメの一言> あれは'70年代でした。友人"佐伯泰英第一期スペイン滞在総集編"であります。やったね佐伯さん!こんな気分になりました。この本持って、またスペイン行って、闘牛と、美術館と、いろんな町や、村や、牧場や、いろんなヒトたち見に行コ。また、そんな気させられました。スペイン好きの人でこの本読んでない人モグリだよ!(Oct 1998)

(新潮選書 c0375 1998年10月1日初版 \1300E)

 「西洋の見える港町 横浜」中野孝次

 近代文学館理事長の今、横浜との深い縁を通して、現在大きく変貌しつつある国際都市ヨコハマのいいところ、好きなところを愛情を込めて率直に綴る!。

(草思社 1997年12月15日第1刷発行 \2200)

 「ゲルニカに死す」佐伯泰英

 ピカソの名画に封印された現代史の闇。スペイン市民戦争下、日本人の青年画家と修道女の淡い恋から始まった連続殺人の怪・・。そして、またバスクの古都ゲルニカで日本人記者が惨殺された。半世紀をすぎて明らかにされる現代史の悲劇とは。

(文芸春秋 文春エンターテインメント 1996年11月30日初版発行 \1700)

 「カメラマンからカワラマンへ」山田脩二

 そして炭焼きも。印画紙を焼き、炭を焼く。著者のめざす焼きもの人生とは。

(筑摩書房 ちくまプリマーブックス104 1996年9月20日初版発行 \1100)

 「砂の上の黒い太陽<闘牛>アンソロジー」林恵美子 編

 この本に佐伯泰英の「闘牛士エル・コルドベス一九六九年の反乱」抄と、
彼が撮影した写真が収録されています。

( 人文書院 1996年11月10日初版発行 \2600 )

 「人生を闘う顔」中野孝次

 「はみだして」生きる、人間らしく生きる、夢を貫く11人の人間ドラマ・・・。破滅型の天才棋士、幻のインカ遺跡を発見した冒険少年、地球共和国を夢見る放浪哲学者、全人医療を志す外科医、トルストイへの夢を貫く農業者・・・組織の拘束を嫌い、平々凡々たる安逸な生を拒み、社会のレールから「はみだした」独自の行き方を選ぶ十一人。自らの夢を貫いて自分らしく生きる人々の、魅力的な素顔を共感をこめて描き出す。

<Topics> 永川玲二が登場します。

(岩波書店 同時代ライブラリー 205 1994年11月15日第1刷発行 \950)

 「私のスペイン」川成 洋 編

 この本は、わが国のイスパノフィロー(愛西家、またはスペイン狂とでも訳せようか)たちの”スペイン賛歌”であり1992年のスペインへの”応援歌”でもある。

<Topics> 永川玲二が登場します。

( 日本放送出版協会 1992年3月10日発行 \1200 )

 「カルカッタ大全」安引 宏/今井爾郎/大工原彌太郎

 自分が何者かがわかる。カルカッタの歴史は全インドの歴史、いや全アジア、全世界の歴史。人間に関するすべてがここにはある。旅行案内としても出色。

(人文書院 1989年9月1日初版発行 \2420)

 「インドの誘惑」安引 宏

 謎のインド美人にいざなわれる目くるめき聖と性の饗宴・・死の時を迎えた老ヒッピーが紡ぐ転生の物語は、鋭い文明批評につらぬかれ、死生の神秘に迫る。

(河出書房新社 1986年9月20日初版発行 \1300)

 「ウエットウエアの時代」菊地 滋

 情報デザイン社会に愛を込めて。いま、ハードウェアでもソフトウェアでもなく・・・・情報化社会が渇望していたキーワードがついに誕生!コンピューター世代のニューメディア論。

(東都書房 1986年9月20日初版発行 \1900)

 「タコ社会の中から--英語で考え、日本語で考える」ダグラス・ラミス

 日本は「タテ社会」ではなくて「タコ社会」である。企業や学校など、無数のタテ組織の足を、巨大な頭が統括している。細い足の中でバラバラに生きている人々がヨコにつながるための英語が必要だ。日常風俗でも政治経済でも--たった300語のやさしい英語で、こんなに沢山のことを簡潔に語ることができる。
「これらの掌編エッセイは縁日の水中花に似ている。思考の水の中に沈めると、ほぐれ、ひらいて花になるのだ。」

( 晶文社 1985年2月25日初版発行 \1000 )

 「イデオロギーとしての英会話」ダグラス・ラミス

 私は日本にやってくるまで「English conversation」ー英会話ーという表現を聞いたことがない。.........(中略)........1961年に私が初めて日本で英語を教えた時、私はその仕事に当惑を感じた。それ以来、ときどき私は、外国語学校、会社でのクラス、そして大学で英会話を教えた。けれどもいまだに、その仕事に当惑している。私は長い間、なぜ英会話のクラスが、そんなにも落ちつかなく、疎外感を感じさせる場所であるのかを解ろうとしてもがいた。

( 晶文社 1976年10月30日初版発行 \1500 )

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