「そこの君、乗って行かない?」
「え?」
ナンパ口調で声をかけられ、驚いて振り向く。黒いシビックが俺のすぐ後ろの路肩に停まってる。そこには助席側の窓から顔を覗かせた優紀さんの姿があった。
姉貴の奴、それで引き返して行ったのか…。
「駅までだけど、どう?」
「どうも」
俺はガードレールを越えて、彼女の車に乗り込む。
「変な事はしないでね」
女声で口に両拳を当てて可愛く(?)言う俺。
「あははは。…馬鹿言ってないで、シートベルトしめて」
俺がシートベルトを絞めるのを確認すると優紀さんは車を出した。
「家までって言いたい所だけど、まだ少し仕事が残っているのよね」
「え?…あっ、そう言えば、優紀さんクビになったはずじゃぁ」
「君、お嬢様と会ったのね。彼女に私をクビにする権限なんてないわよ。言ったでしょ? 私は普通の家政婦とは違うって。自分から辞めたいって言わない限り、簡単にはクビにならないのよ。それに私はお嬢様に雇われているわけではないから、旦那様の承諾がないと、そんなの無効なの」
「それじゃぁ、今、大変なんじゃない。美鈴がいなくなってるのでしょ?」
「まぁね。でも行き先は分かってるから、旦那様達もそんなに慌ててないみたい」
「そうなんだ。でも、どうするんですか? やっぱり連れ戻す?」
「さあ。それは旦那様に聞いてみないと、分からないわ」
優紀さんも大変だ。でも、この様子だと俺が思ってる程、酷い状態にはなってないみたいだな。少し安心した。
「それでね、まこと君。これから仕事のことでバタバタするし、君とはしばらく会えないと思うの」
「え?」
彼女の顔を見る俺。
「だからね、会えない間に、自分なりに気持ちの整理を付けたいと思うの。次に会う時はわたしは君の彼女だから…。勝手なお願いかもしれないけど、少しの間だけわがままを許してね」
「も、もちろんじゃないですか。俺待ってますから」
「ありがと」
満足げに笑う優紀さん。
次に会うときはわたしは君の彼女だから…か。
思わず俺も顔がほころんできた。優紀さんに俺の気持ちが通じたんだ。
それからしばらくして、駅前に着いた。
俺は車から降りると振り返って車内をのぞき込んだ。
「ありがとうございました。優紀さん」
「いいえ。それじゃぁ。まこと君。絶対に会いに行くから待っててね。浮気しちゃ嫌よ」
ウインクしながら言う優紀さん。
「ははは。楽しみにしてます。それじゃぁ」
軽くクラクションを鳴らして去っていく優紀さん。
「やったぜ!!」
俺は思わずそのまま飛び上がって万歳をしてしまった。
あう、周りの人の目が痛い…。
なにはともあれ、これほど嬉しい事はなかった。俺は姉貴の誘いに乗ってこの海に来てよかったと心から思った。
帰りの電車の中。窓から遠ざかる夏の海を見る。
優紀さん…。
どこかか寂しさの残る笑顔。子供のようにはしゃぐ姿、大人の女性を意識させる真剣な眼差し。憂いに満ちた瞳で遠くを見つめる仕草。寂しさに涙する弱さ。たくさんの優紀さんを知る事が出来たこの海での出来事。
優紀さん…。
もっと多くの彼女を知ろうと思った。これから優紀さんとたくさんの思い出を作っていこう。優紀さんにたくさんの楽しいことをプレゼントしようとそう誓った。
この街を離れるのは少し寂しいけど、それより嬉しい気持ちが大きくて俺は上機嫌で帰路についた。
|