「まこと君…どうして…」
優紀さんは国道の海岸通りで車を停めて俺を待っていてくれた。あたりに人の気配はない。さすがに雨の降っている中、しかも夜、海を見に行こうなんて奴はいないらしい。
静かだった。
かすかに虫の音、そして遠くのほうから蛙の鳴き声がが聞こえるくらいだ。雨上がりのアスファルトに街灯の光が反射して綺麗だった。彼女は道沿いのパーキングに車を止めて運転席のドアを開けたまま立ってこちらを見ている。
「優紀さん…俺の話、少しだけ…少しの間だけ聞いて下さい」
俺は必死に呼吸を落ち着かせようとしながら優紀さんの前に立つ。
「君に…君にわたしの何が分かるって言うのよ! わたしの康太郎さんに対する気持ちなんて」
「優紀さんの方こそ分かってないじゃないですか!」
「どうせ、みんなわたしの気持ちなんて分かってくれないんだわ!康太郎さんだって両親だってお嬢様だって…君だって」
「分かりませんよ! 優紀さんのような素敵な女性が、昔の恋に縛られて苦しんでるなんて」
「同情なんてごめんだわ」
「じゃぁ、なんで俺を誘ったりしたのです? 康太郎義兄さんの事を忘れたいからじゃないのですか?」
「…そうよ。わたしは彼を忘れるために君を利用しようとした女よ」
「優紀さん。俺、本当に嬉しかったです。昨日優紀さんと一緒に過ごせて。たとえそれが康太郎義兄さんの変わりだったとしても…」
「……」
「俺、優紀さんの事が好きです。優紀さんが康太郎義兄さんの事を何事にも代え難いと思ってるように、俺にとって優紀さんは何事にも代え難い存在です」
「本気で言ってるの?わたしは君とは5つも年上なのよ! からかうのはいいかげんにしてよ」
「やっぱり、俺みたいな子供じゃ相手になりませんよね」
「そうじゃなくて…」
「俺じゃぁ、やっぱり駄目ですよね…ごめんなさい。…それじゃぁ」
いたたまれなくなって、俺は頭を下げると彼女に背を向けて走りだした。
馬鹿野郎! わかっていたら言わなきゃよかったんだ!
俺はこうなる事を、予想していた。
最初から分かってていたんだ!!
後悔の波が押し寄せる。俺はその気持ちを振り払うように駆け出した。
「待って! まこと君」
「!?」
優紀さんが俺の腕を掴んだ。立ち止まり優紀さんの方を振り向こうとする。
その瞬間、優紀さんは俺を背中から抱きしめた。
「このまま、じっとしていて…」
背中を通して優紀さんの熱い鼓動が伝わる。こんな状況なのに俺は不思議なくらい落ち着いていた。
優しい沈黙が続く。
お互いの温もりだけで言葉以上のものが伝わっているような気がした。今、彼女がそこにいる事、ただそれだけでもいいように思えてくる。難しい理屈なんてない。言葉の駆け引きもない。
ただ、こうして抱きしめていてくれている事実、それだけで俺は…。
「わたしは…私はあなたを利用してるだけかもしれないのよ。博子やお嬢様に対する腹いせにて…康太郎さんの変わりにあなたにこうしているだけかもね。…まこと君はこんなずるい女なんかでいいの?」
「俺、優紀さんの事、信じてるから。たとえ、そう思われてるとしてもそれで優紀さんの気持ちが楽になるのなら…かまわない」
俺の胸を掴んでいる優紀さんの腕に心なしか力が入る。
「…ごめんなさい。最初は確かに遊び程度の気持ちだったの。康太郎さんが相手にしてくれないから、その寂しさを紛らわすため…でも君と一緒にいてだんだんと変わってきたの…まこと君、優しいから…」
優紀さんの声がうわずっていた。泣いているのかもしれない。
「このままじゃ、君の事、本気になってしまう。でも、康太郎さんに対する気持ちも変わってないわ。わたし、もうどうしたらいいか分からなかった。どっちが本当の自分の気持ちか分からなくなっていた。君に対する気持ちを打ち消そうと、わたし…わたし…」
俺の胸に頬を当て泣いている優紀さん。
彼女の手をゆっくりふり解くと向かい合う。街灯の光、濡れた路面に反射した光、そして海に反射した光。
そんな微かな輝きが雨上がりの夜を演出する。
ただ波の音だけが優しく聞こえる静寂の中、俺と優紀さんは見つめ合った。
「優紀さん。俺、待っているよ。優紀さんが自分の気持ちを掴める時まで。俺さ、康太郎さんみたいに格好良くないし、頭も良くないし、頼りないけど、少なくとも優紀さんに悲しい思いだけはさせないつもり…だってさ、優紀さんみたいな素敵な女性が、苦しんでるなんて俺、放っておけないから…ごめんなさいこんな生意気言っちゃって…」
優紀さんは目を反らした。彼女の瞳が心なしか潤んでいるのはさっき泣いていたからだけじゃないような気がする。
「ほんと…生意気よ」
そう小さくつぶやくと、優紀さんは俺の肩に手をまわした。
不意打ち。
俺は優紀さんにキスされていた。
俺が驚いて硬直している間に、彼女の唇が離れる。
「君とだったら私、幸せになれるかな…」
「…優紀さん」
今度は俺の方から優紀さんを優しく抱きしめてキスを続けた。
雨上がりの夜の海。濡れたアスファルトに反射する光の中で二人の気持ちは溶け合っていった。
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