■美鈴編■
3日目【7月23日】


 
 

◆7月23日<昼>◆
『美鈴の側面』


 

 さてと、家にいるのも、もったいないからなぁ。
 とっとと普段着に着替えて、出かけよう。

「まこと、着替えるのちょっと待った。この書類、康太郎に届けてきてくれないか?」
「え〜」

 俺は連続しての姉貴のわがままにさすがに嫌な顔をした。

「なんだ、嫌なのか?」

 あくまで笑顔のまま、声音を変えて姉貴が言う。
 あう〜。こんなの強制だ! 脅迫だ!

「わかったよ、わかりました。で、マリーナに行けばいいの?」
「いいや、康太郎はシーサイドホテルのロビーにいるらしいんだ。頼んだぞ」

 なるほど、それでスーツなわけね。

「へいへい」

 俺は仕方なく暑苦しい背広姿のまま外へ出た。

 ”天乃白浜シーサイドホテル”は綺麗な白い大きなホテルだ。この辺りで一番の大きさと言っていい。
 一流ホテルだけあってさすがに広いな。
 さて、康太郎さんはどこかな?

「まこと君、こっちだ」

 ロビーの待合室の椅子に座っていた康太郎義兄さんが立ち上がって俺を手招いた。

「康太郎義兄さん、はいこれ、書類」
「おう、すまないな。おや、その背広?」
「姉貴に今夜のパーティー用にって無理矢理着せられたんですよ」
「なかなか様になってるじゃないか。本当なら博子を連れて行こうと思っていたんだけど、急用が入っていけなくなったんだ。せっかくの機会だし、博子の代わりに君を連れていって紹介しておこうと思ってね」
「でも、俺なんかが行って大丈夫なんですか?」
「大丈夫だよ。そう堅くなることもない。まこと君は顔を出すだけだから、自由に会場を見てまわってもかまわないよ」

 なんだよ。康太郎義兄さんの手伝いをするわけじゃないんだな。
 それを聞いて少し安心する俺。

「そういう訳で、手間かけてすまなかったね。じゃあ、今夜」
「はい。お仕事頑張ってください。それでは後で」

 ふう…さてと早くここを出よう。
 こういう場所は慣れてないせいか落ち着かない。

 …あれ? ロビーの入り口にホテルの従業員が並んでるぞ? 誰か有名人でも来るのか?

「これは、これは、お嬢様。ようこそおいでくださいました。従業員一同、心から歓迎いたします」

 げ! あれは…美鈴と優紀さん? 支配人らしき初老の男が出迎えているぞ。

「今日は昼食を食べに来たのよ。席は空いてるかしら?」
「はい。ご連絡いただいて早急に準備いたしました。どうぞこちらへ」
「あいかわらず綺麗ね。ちゃんと管理が行き届いていて感心するわ」

 美鈴が周りを見回しながら歩く。その後ろに優紀さん、支配人と続く。

「お褒めいただいて光栄ですお嬢様」
「あ?」

 おや、美鈴の奴、俺に気づいたみたいだぞ。ずかずかと俺の前にやって来る。

「なんであんたがこんな場所にいるのよ!」

 いきなりこれである。

「いたら悪いか? 俺だって、たまにはこういう所にもくるさ」
「君、お嬢様になんて口の聞き方をするんだ!」

 支配人が、慌ててこちらに来て俺を叱る。

「え〜と」
「だれだ、こんな小僧をロビーに入れたのは」

 周りの従業員達を見回してそういう。言われた彼らはお互いの顔を見て困った表情をしている。それはそうだろう。別に俺はやましい格好も行動もしていないのだから。

「ちょっと、別にいいのよ。コイツは私のクラスメイトなんだから」
「あ…そ、それは失礼しました」

 美鈴が言うと支配人は冷や汗をかきながら引き下がった。

「そうか。そういえば美鈴はお嬢様だったんだよな」
「黙りなさい。こういう場所であんたに会いたくなかったわよ。あたし、もう行くからね」

 美鈴は逃げるようにエレベーターホールへ歩いて行った。

「なんだか変な気分だな。こういった場面を見ると美鈴が遠い世界の人間に見えちゃうよ」

 思わず出た独り言に優紀さんが答える。

「美鈴様は綾部家の一人娘だからね。このホテルも綾部グループの資本で経営してるのよ」
「ふぅん」

 なんだかなあ。
 でも、美鈴は自分がお嬢様であることを気にしているんだよな。
 このことはあまり考えないでおこう。
 ま、立場がどうあれ、あいつはあいつだからな。

 俺は美鈴の後を追う優紀さんの背中を見送ると、シーサイドホテルを後にした。