Session3:ハイテクコミュニケーションの功罪

ここ数年で人々のコミュニケーションの形は大きく変わってしまった。いや、 一過性のものと見れば、まだまだ変わるのかもしれないし、昔に戻ることもあるかもしれない。しかし、私の知る範囲で有史以来、科学技術が後退した話は聞いたことが無いので、すくなくとも私が死ぬまでには(恐怖の大王でも降ってこない限り)、昔のメディアが巻き返す可能性は少ない。さて、現代のNEWコミュニケーションについて気ままに考えてみる。
電子メール
あまりにも有名になってしまったコミュニケーションツール。一時期、国民総背番号制なんていって、日本国民全員にシリアルナンバーみたいのをふる、 なんて話があったのだが、プライバシーの侵害だと反論がすごかった。 でも、このままでは放っておいても一人1メールアドレスになる日もそう遠くないような気がする(使いこなせるかどうかは別として)

例えば、生まれたときに、ではなくても学校に入るとき地域+学校ドメインで生徒に配るとかして、出席番号のノリでメールアドレスを配るなんてのもありかもしれない。

ところで電子メールの特徴は

  • 基本的には文字のみのコミュニケーション
  • 相手に無事伝わったか(本人が読んだか)わからない
  • 低コストで高速に大勢に送ることができる
  • 誰であろうと対等の立場で情報をやりとりできる
といったところか。それぞれについてちょっと考察してみる。

まず、「文字のみコミュニケーション」相手の顔が見えない状態でお互いが満足できるやりとりが可能なのだろうか。目的にもよると思うのだが、顔を突き合わせたコミュニケーションが苦手でだが、メールは得意というのは案外いないような気がする(普段はあまりしゃべらないのに、電子上ではよく発言するというのはたまに見るが)

電子メールによるコミュニケーションは、リアルコミュニケーションに比べて情報がかなり削られているので(口調や、顔つきから気持ちを判断することはできないし、筆跡から気持ちを読み取ることもできない)知らないもの同士の間では意図したことがうまく伝わらないことが良くある。そのために(笑)などや、顔文字「(^_^;)」などをつけて、「別に本気で怒っているわけじゃないんだけどね」というようなニュアンスをつけるのが風習になりつつある。

それゆえに、面と向かっては言いにくいことも書きやすかったりするのだが、あまりズルイ手段として浸透するのもなんとも情けない。

さて、リアルコミュニケーションを経た上で、電子メールを使うようになった大人(含む私)に比べて、子供の頃から電子メールを使いまくった大人とは何か違うだろうか?

時に「面と向かったコミュニケーションが苦手になるのでは?」というのを耳にするが果たしてそうだろうか?良いコミュニケーションをするコツとしては、今、相手はどういう心境・どういう状況にあるかを考える、読み取ることが大切である。話し上手は聞き上手という言葉があるが、まさにそういうことだと思う。相手の様子を見ながら話を展開すればそんなにずれた方向へはいかないのではないだろうか。

ただし、メールは先述のとおり情報量が少ないので文面から様子を読み取るには多少なりとも慣れは必要かと思われる。しかし子供の柔軟な適応力を考えればすぐに習得できるのではないだろうか。

次ぎに、相手が読んだかわからない、という点。そもそもメールは、メールボックスのIDとパスワードがわかっていれば誰でも読んだふりをできるし、そもそも途中で行方不明になったりすることもあるので、大事な用件を伝えたくても結局、電話などで確認をしなければいけないところである(確実に連絡したければ)

だからこのメディアはこういう性質なのに、それを理解しないで送ればなんでも届いていると思っている輩もいるようなので困り者。特にビジネスユースの人は要注意である。どんなツールも性質を理解して長所短所を知らなければならない。

「低コストで大量に送れる」これはかなり諸刃の剣である。最近だとメールマガジンなんかがはやっているそうだが、いわゆるミニコミ誌と比べて圧倒的なコストパフォーマンスで情報発信できるという寸法だ(デメリットもあるだろうが) 逆に、このためにメールアドレスのリストが売買されたり、迷惑メール、メール爆弾のようなものを流す人が出たりなど、デメリットも多いといえば多い。特に電子ダイレクトメールは、送る側としてはこんなにおいしい方法はなく、送られるほうとしてはメールアドレスが知られてしまえば回避する方法が基本的には無い。 あまりにさまざまなe-DMがくるのであればそのメールアドレスはあきらめるしかないかもしれない(同じアドレスからくるのであればメーラーで排除もできるのだが・・・)

最後に同じ立場でやりとりできるという点。顔が見えないというのを悪用するというのもあるが、小学生と総理大臣でもメールをやりとりすれば、その文面上では対等にやりとりができるはずだ(キムタクが一瞬メールアドレスを公開するCMがあったが、あれは偽アドレスだったそうな・・・)。

ドメインは色々あるだろうが、1つのメールアドレスの重みは同じである。ところで、相手が見えないツールということで、間違えたアドレスにも簡単に出せてしまう、ボタン1つで開いてしまう、という意味では、重要な文面のメールを出すときにはできる限りの注意をしたいところだ。先生に「飯行こうぜ」と送ってしまった知人とか、社内メールで彼女への告白を、部署内全員に送ってしまった先輩とか、聞いたことがある。慣れてしまうと失敗しがちなので一番良いのは誰に読まれても問題ないメールしか書かないことである。

・・・

結局のところ、電子メールを使うようになったからといって手紙を書かなくなるわけでもなく(書かない人は最初から書いてない。私は毎年年賀状を20枚くらい書いている) むしろ功罪があったとすれば、世間一般の会社で導入が進んでそれについていけないオールドタイプ世代が、もらしているくらいか?。電話でかければ3分で終わるところが、メールなんかになった日にはそれを作るのに30分かかる、なんて話も有る。まだまだ、色々難しいようだ (キーボードというインターフェースについてそのうちまた考えてみたい)

一時期、NTTの電子メール携帯端末「ポケットボード」が、(今はどうなのだろう)、結局、ポケベルの延長線上にあり、i-modeやPメールの類もそういった「1対1」のコミュニケーション用のツールといった性格が色濃く存在している。それだけの使い方だったら、それほど何って新しいことができる気がしない。

ホームページもそうだが、デジタルメディアの情報発信能力の強大さに等身大で評価していないところが、まだまだだなぁ、と思う。Webがらみで発生する事件の大半の原因はこの辺に起因しているのではないだろうか。

確かに、ここ数年で急速に広まりすぎたツール。人の歴史の長さから見ればこんな微々たる時間の経過でしかないのだが、全人類をシームレスに接続する。人と人をネットワークとして考えることが現実的になってきた今、局面としてはおもしろくないわけはない。

今より先に何があるのか。今の子供たちが大人の考えた枠の外へ飛び出すような活用をしていってくれるだろうか?そのために、今の大人はその芽を摘んではいけないと思う。おおらかに受け止めていけるかどうか・・・。

とりとめがないが、今日のところはここいらでごきげんよう(ずいぶんなタイトルの割に、内容が薄いわ)

今日はこの辺で