祝!Crossover Japan '03開催(#1)。 2003/05/06 Update
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 まさか21世紀になって...1970年代後半から80年代半ばにかけてのクロスオーバーなあの頃を代表するアーティストが大集合する、そんな夢のようなコンサートが開催されます。このコンサートに参加するメンバーを中心に、当時の日本の音楽シーンを振り返ってみようと思います。スペースの都合でかなり乱暴な紹介になっていますがお許しを。

■日本のクロスオーバーの原点はロック/ポップス・シーンから。
 海外のクロスオーバー/フュージョンは、Jazz系ミュージシャンのロック系アーティストとのコラボレーションから始まったけれど、日本の場合にはロック/ポップス系がその原点となっているように思います。もともと洋楽的アプーロチ?が未成熟だった日本の音楽シーンにおいては、日本的な音楽と洋楽的な音楽とのコラボレーションそのものが、大いなるクロスオーバーなアプローチだったと言えますが...。
 1970年の
はっぴぃえんどデビュー。ここに参加していた細野晴臣(Bs)、鈴木茂(G)、ブルース・ロックを志した小坂忠バンドから松任谷正隆(Key)、林立夫(Drs)らが結成したキャラメル・ママが元となったティンパン・アレイの活動あたりを日本のクロスオーバー/フュージョンの原型が聞き取れます。



■ようやく始動、日本のクロスオーバー・シーン
 70年代も中盤になるとクロスオーバー的サウンドの原点が見え始めてきます。当時の洋楽シーンをリードしていたイギリスの音楽に傾倒していた加藤和彦が、満を持してリリースした
サディスティック・ミカ・バンド『黒船』(74年)は、日本のロック系初のトータル・アルバム。江戸時代末期の黒船来航をテーマとして、爛漫豪華な武家文化の世界をロック・テイストで見事に表現した。ここで聞かせてくれた高中正義のギター・ワークは当時のギター小僧を熱狂させる。さらにプログレ・ワールド?全開の四人囃子『一触即発』(74年)は、ギターの森園勝敏の変幻自在なプレイが話題をよびました。いずれもロック色が強いものの、ボーカル無しのインスト曲はクロスオーバー/フュージョンの原石が確かに聞き取れる。解散したはっぴぃえんどに参加していた鈴木茂(G)がリリースしたソロ作『バンドワゴン』(75年)で聞けるインスト曲などでは更にコンテンポラリー度を増し、ミカ・バンドが解散してソロ活動を始めた高中がリリースした初ソロ作『Seychells』(76年)は完璧なクロスオーバー・アルバム。そして待望の2ndアルバムをリリースした四人囃子の『Golden Picnic』(76年)に収録された<Lady Violetta>は日本のクロスオーバー曲でも名曲として未だに高い評価を得ています。

<ちょっと注目 ポンタの動向>
 日本のクロスオーバー/フュージョン・シーンのみならず、今の日本の音楽シーン全般を語るうえで絶対に触れなければならないドラマーの
村上"ポンタ"秀一。果たして彼は当時は何をして遊んでいたか(笑)。詳しくは彼の非公式サイト"Ponta Web"をご参照いただければと思いますが、1972年にギタリストの故大村憲二とのプレイを夢見て、当時彼が参加していた伝説のフォークバンド赤い鳥のオーディションのために上京。見事に合格したものの僅か10ヶ月で脱退し(笑)、大村らとともに現在でも日本のフュージョン・シーンの中心を担う重鎮達とスタジオにライブにと精力的に活動していたといいます。そのメンバーたるや壮絶の一言。この頃のポンタの活動が、まさに日本のフュージョン・シーンを作ったと言えるでしょう。

※日本のフュージョン好きな方でも、この3枚はぜひ聴きましょう...。
■時代はクロスオーバー/フュージョンに。
 1975年以降、音楽シーンはクロスオーバーな時代へと突入していきます。後にフュージョンと呼ばれるサウンドテイストを「クロスオーバー」と呼ぶのが一般的かとは思いますが、当時あらゆる音楽が他のジャンルとの異種格闘・異種混合の傾向が顕著になったことを考えると、ジャンルやサウンドテイストというよりも時代の潮流・ムーブメントとしてこの言葉を捉えるのが正しいように思います。
 そんな中で登場した左の3枚、76年リリースの
Stauffのデビュー盤(左)、そして77年のLee Ritenourの『Captain Fingers』(中)、そしてイギリスの古典的?ロックバンドのヤードバーズが輩出した3大ギタリストの一人Jeff Beckがインスト物だけで創り上げた『Blow By Blow』の3枚のアルバムは時代に強烈なインパクトを与えました。いずれも当時のギター小僧を熱狂させ、超テクにのせた親しみやすいメロディと曲構成は、インスト物でありながらJazzとは明らかに異質のテイストをもち、Jazzに憧れながらもその敷居の高さに躊躇していたファンを惹きつけました。
■日本のクロスオーバー/フュージョン本格始動!
 そして1977年になると日本のJazzシーンからも、こうしたクロスオーバー的なアプローチが遂に始まります。
渡辺貞夫の『My Dear Life』、増尾好秋『Sailing Wonder』、本多俊之『Burnin' Waves』、渡辺香津美『Olive Steps』などの好盤が続々とリリースされていきます。
 さらにロック・ポップス・シーンで活躍していたスタジオ・ミュージシャン達も独自の活動を始めていきます。ギターの
和田アキラを中心にJeff Beckのコピーバンドとしてアマチュア時代から人気だったPrismが森園の協力を得て満を持して同年アルバム『Prism』でデビュー。渡辺、大村、森園らによるコンピレーション・アルバム『Guiter Worlshop Vol.1』がリリースされたのもこの年です。続く78年には大村の『First Step』、後にParachuteで活躍する松原正樹のデビュー盤『流宇夢サウンド』などがリリースされます。
 同年、ポンタは世界の
坂本龍一主宰の格闘技セッションなるユニットに参加してシーンを席捲していました。このユニットは全てのパートに複数のメンバーが参加してバトルを闘わせるという実にユニークかつ贅沢?なセッション。参加していたのは、プロデューサーの坂本教授(Key)以下、ギターには大村憲二、松原正樹、鈴木茂、アブドゥーラ・ザ・ブッチャー?、パーカッションに浜口茂外也とペッカー、ドラムは高橋ユキヒロとポンタ、ボーカル陣には矢野顕子に山下達郎と吉田美奈子!、ベースに小原礼と、まさに時代の流れで良いとこ取り状態。このユニットは翌年『Summer Nerves』というアルバムをリリースしています。
 そして1979年、日本のクロスオーバー・サウンドの完成形と言える
KYLYNが遂に姿をあらわします。格闘技セッションを原型として、坂本教授を中心に渡辺香津美、小原系、村上ポンタ秀一、ペッカー、本多俊之、益田幹夫、矢野顕子らによるこのユニットは、世界に引けをとらない抜群のテクニックと音楽センスを持ち合わせ、日本の音楽シーンの質の高さをみせてくれました。時代はクロスオーバー・サウンドだ!。まさに日本のクロスオーバーは絶頂期を迎えたと言えるでしょう。
 同年に六本木ビットインで行われた「ポンタ・ウィーク」の出演者リストを見ると、バリバリに活動していたミュージシャン達が勢揃い。当時ブームだったラテン的なアプローチを得意としていた
松岡直也が自身のバンドとして立ち上げたばかりのウイッシング(清水靖晃、高橋ゲタ夫、大村、ペッカー他)、ユーミンのツアー・バンドも勤めたスクエア(安藤まさひろ、伊東たけし、宮城純子、仙波清彦他)、スペシャル・ジャムとして山下達郎、吉田美奈子、松木恒秀、松原正樹、坂本・矢野、小原礼、高橋ユキヒロ、ペッカーなどが参加。さらに格闘技セッションにKYLYNと続くのだから、今にしてみればまさに夢のような一週間ですね。

★こうして花開いた日本のクロスオーバー/フュージョン。時代が80年代に入るとジャンルとしても定着して、日本のフュージョン・シーンはその衰退に向けて??、百花繚乱の時代へと突入していくのです。
【この項続く→】