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雅楽のこころ 音楽の力 

篳篥奏者の東儀秀樹氏の講演会をききました。音楽をする方の講演は珍しいように思いましたし、宮内庁楽部という安泰な国家公務員を辞して、あの小さな縦笛「ひちりき」を武器に、独立して音楽活動を始められた氏の決意と直感力に興味もありました。

以前にTV特集番組で見かけた氏は、革ジャンにギターを抱えて、宮内庁雅楽奏者であったことのカケラも見せまいとする強がりさえ感じさせる姿勢と、それでも見え隠れする「品格ある立ち居振るまい」のギャップが、とても印象的でした。1300年も続いてきた「日本宮廷音楽奏者の家系」の重みと閉塞感は、氏の生まれ持つ多彩な才能を包むには幅が足りなかったのでしょうか。

今年はユニット「東儀秀樹 with RYU」を結成し、アジアの楽器と雅楽をコラボレーション、世界デビューを果たすということでした。

雅楽は伸びやかに流れるように続いていく独特の旋律です。大昔の雑音のない自然空間に置かれていた人々は、あのような穏やかなメロデイから風の音や光の気配、人々の小声、そして天空を行き交う「龍」の声すらも感じ、共感することができたのでしょう。

雅楽の中心は三つの笛。

天から降り注ぐ光を表すという「笙 しょう」
地上の音と人の声を表す「篳篥 ひちりき」
天と地の間の「空」を行き交う龍の声「龍笛 りゅうてき」

これを伺った後にそれぞれの音を聴くと、まさにその表現がぴったりと合う、、驚きの響きでした。雅楽は仏教文化と共にシルクロードから中国大陸を経て日本に伝わり、日本の音と溶け合い、固有の音楽として継承されてきました。しかし、元の楽器の発祥地は知れず、楽器の面影もないといいます。それがこの日本で、渡来した形そのままに継続されてきたことは、日本人が持つ特性とも言うべき「遠来の舶来品」に対する好奇心、それに加えて、何でも受け入れようとする「寛容的な人間性」、そして日本が極東、東の果てに存在し、渡ってきた物を次の地に流し去ることがなかった土地柄のお陰かも知れないと、氏は話されました。


最後に吹いて下さった日本の抒情歌「朧月夜」は、篳篥の音が圧巻でした。魂を揺さぶるという言い古された言葉でしか表せないのが残念なほどの、深く染みこんでくる「こころの音でした。

菜の花畑に 入り日薄れ

見渡す山の端 かすみ深し

春風そよ吹く 空を見れば

夕月かかりて 匂い淡し

「篳篥の音の流れに、遙か大昔の歌の言葉が、一言一句違わずに思い起こされたことが、また驚きでした。「日本語」は本当に美しいです!

世界に類を見ない多様性を持つ日本の言葉は、響き渡るいにしえの音と共に、私共日本人が真摯に継承して行かねばならない文化なのだと、あらためて思わされました
。(2016.3.1.)

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