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浜松の雄踏に住んで初めてのお正月がくる。土地勘もなく、町名の「宇布見」の意味も知らないで住み始めたのだったが、押し詰まってから学生時代の古い友人からメールが入って町の名の由来を少し知ることが出来た。そういえば彼はこの浜松の人だった。何かの縁があって、京都の大学で同じ教室になった。学生時代の失敗や抱腹のエピソードはまたの機会に譲るとして、とにかく60年安保の時代を同じキャンパスで過ごした人だ。 HPに「恐怖の空っ風」とか「浜松は富士山が見えない」などと不満や文句を書いていたのを読んで、いろいろとこの土地に関してのことを教えようと思われたのかもしれなかった。懐かしい思いで長文のメールを読んだ。
日本武尊とはまた豪勢なこと! ナルホド、、なるほど、、と納得。浜松の人々は淡白というか、さりげないというか、あんまり他人に拘りを持っていないように感じてきたが、あながちハズレでもなかったようだ。誰でも同じように親切で、その親切が深情けにまではいかないところがいい。さりげなく、、それが一番、しつこくなくてあっさり、、ここが気に入っている。 お隣さんはこの土地の方で、ゆったりと生活されている、畑を耕し、いろいろ作っておられるらしく、時に新鮮この上ない野菜がさりげなくこちらとの境のフェンス近くに置かれていたりする。恐縮しながら「イタダキマ〜ス」と声をかけて有り難く取り込ませていただく。 10月から始めた料理教室はホンマに面白い、「おもてなし料理」ということもあって、基礎の出来た方ばかりだから、仕事が速い、講師がまた愉快この上ないジイ様で、授業の最初は毎回漫談から始まり、生徒の緊張をほぐし、さりげなく作業に導入するワザは心憎いほど巧みだ。ベテランの味ともいえる枯れた料理は関西からの者には少し古い感じはするものの、原点に戻らせてくれるという利点もある。 生徒さんは千差万別、気分のいい人ばかりの集まりで、たちまち浜松に関するかなりの情報を手にいれることが出来た。 活きのいい魚の店、しらすの店、花や野菜、安い駐車場の情報にいたるまで、毎回賢くなる(笑) 吹き出した空っ風は覚悟していたせいか驚くほどのこともなく、こんなもんだろう、雨降りよりずっとマシだと思うことで乗り切れそうだ。
ふるさとが懐かしくなるこの時期に、浜松を離れて久しい人からの思いがけない故郷賛歌のメールをいただき、雪深い実家の山里を思う。90を超えてなお元気、一人で暮らす父親を思う。どうか長生きを続けてと願う。そして、新しい土地での正月だからと、心落ち着かずウロウロすることもあるまいと思う。 「住めば都」、ほんとうにそうだ。健康で無理のない暮らしができればそれが何より、生活の変化で体調を崩さないでいければ当面それ以上は望まないでいい。2007年、埒を越えず、頑張らず、おまけの長丁場に備えて心の蓄えを増やしていかねばならない。何があってもたじろがない胆力を持たねば、、、しかしそう思うことが、すでに構えて気負っていることかもしれない。気楽に!気楽に! 除夜の鐘が驚くほど近くから聞こえて、2007年が始まった。 (2007.1.1.) ホーム>エッセイ目次 浜松雑記帳 花の記録 旅の記録 料理とワイン |