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映画 十三人の刺客

大音響の擬音に辟易しながら映画「十三人の刺客」を見た。この物語は女性や子供でも気にくわなければ殺すという残忍非道な行いを重ねる主君を、たまりかねた家来共が討つという、いわゆる「上意討ち」のお話、単純そうにみえたが、物語の含むところはもう少し深かった。武士が頂点に立っていた江戸幕府が終焉に向かいつつあった時代、社会的秩序に大きな矛盾を抱えながら武士階級が幕末に向かって流れ落ちていくさまを、明石藩に舞台を借りて、その一部分を表現してみせた映画である。リメーク版ではあるが、古い時代を新しい感覚で描くことが出来る三池監督(暴力的描写で有名)を得て、見応えある映画に仕上がっていた。

ヴェネチア国際映画祭出品が決まり、あわよくば受賞かも、、という期待もあったらしいが、それはこの映画では無理だと感じた。西欧受けをねらった映像を入れ、画面には所々に当時の日本では考えられないと思われる表現も多く取り入れてあったが、武士道の精神を想像する力や、時代背景の知識が少しでもないと、この作品は外国人には理解しがたいと思われたからである。

それに女性の描き方が美しくない。リアルさを追うあまり、グロテスクにさえ感じる女性達の化粧や衣装がこの映画の欠点だと思う。結局は薄汚い(昔のマカロニウエスタンのような)集団抗争映画としかみてもらえないのではないかという気もした。イタリアンマフィア的なファミリーの結束とは違う武士道精神の絆が説明のしようもなく、結局わかりにくかったのではないかと思えた。しかし、日本人には何となく分かる映画であろう。お話の底に流れる「武士という階級にあった者達のやりきれない切なさ」が胸に迫る。

封建社会にあって、上に何かを訴えるには「」を賭して抗議すること以外に道はないのだということを示す冒頭のシーンは、リアルな「切腹」の描写と効果音でいきなり観客を物語に引きずり込んでいく。

将軍の弟という立場にあぐらをかき、生来のサディスティックな性癖もあって残虐の限りを尽くす明石藩主松平斉韶、来年は幕閣の中心とも言える老中に就任することが内定していた。思いあまった明石藩家老は、あのような残酷な所業を行う残忍酷薄な人間が老中の地位につけば、幕府の将来はないと、江戸幕府老中の屋敷門前で自ら切腹をして直訴を敢行したのだった。

さあ、これをどう処理したらいいのか、、、幕府の老中は、苦慮した末に暴君松平斉韶を闇に葬るしかないと決断する。そして御目付役島田新左衛門を呼び出し、斉韶の残忍な所業の生き証人を用意して見せることで島田新左衛門の心を揺さぶり、「暗殺」の命を下す。表沙汰に出来ない「暗殺」という手を使うしかないと考えた老中は、この目付役に丸投げのかたちで暗殺の命令を下したのだ。何時の世でも組織を守るための命令は、こうした形をとるのだと思わされる。

特命を受けた目付は、信頼の置ける腕のたつ人間を集めはじめる。武士としての大儀が納得できず、ばくちに明け暮れる甥、死に場所を探している浪人、そして鍛錬した武芸を泰平の世で発揮できない者達、12人が集まった時、刺客の首領となった目付役島田は、松平斉韶が参勤交代で江戸から明石へ帰国する道中を狙い彼を討ち取るという計画をすすめていく。

明石藩一行を落合宿に誘い込んで討つ。そのために一行が通る公算が高い中山道落合宿の村を買い取ることを決めた島田は、村全体を砦として作り直すことを先発させた部下に命じた。後発の刺客達は落合宿にたどり着く途中で出会った山の野人小弥太を味方に加えたことで総勢13人になったが、それにしても刺客達の人数はあまりにも少ない、どうやって松平斉韶を討ちとるのだろうか、、

落合宿で合流した刺客達は、民家に砦を造り、そこに大掛かりな罠を仕掛け、斉韶ら明石藩の一行を待ち受ける。しかし明石藩は現れない、すでに別の道を通り過ぎたかと焦る部下達を島田は冷静に押さえる。待ちに待って現れた明石藩の行列は、攻撃を察知した御用人鬼頭の采配で大幅に増強され、予想を上回る300人の大軍にふくれあがっていた。13人しかいない彼ら刺客はどう戦うのか、それがこの物語のクライマックスだ。

時はすでに江戸末期、武士達は泰平の世の中でおのれの存在価値を見失っていた。刀を抜き、命をかけた斬り合いをしたことのない武士も多かった。武士として主君に忠誠をを尽くすことを唯一の使命とされた者達には、生きる目的すらすでに曖昧になっていたのだった。人数だけが多くても、戦いようのない武士もかなり含まれていたということだろう。(明石藩近習頭でさえ、ウオ〜!と声をあげるばかりで、足が一歩も前へでない、、笑ってしまう)

しかし主君に忠義を尽くすのが武士という掟に従い、本音を押さえ込み、建前だけをあえて自分に押しつけながら出世してきた明石藩御用人鬼頭半兵衛は、主君を最後まで守り通そうとしていた。鬼頭と刺客の島田新左衛門は、かつては同門の剣士であり、お互いを認め合う互角の腕前を持つ者同士だった。

ここで監督は武士という建前だけで生きる者達に対し、一方で山の民として深い山の中で自由奔放に生きる一人の若者小弥太を配することによって、本音で生きる型破りな生き方の楽しさを表現した。 「武士道」とは観念に過ぎず、死ぬことを美学とした精神の幻に過ぎない、、退屈で面白くもないものなのだ、、そんな主張をしてみせた。

戦闘の開始場面では、明石藩の人数を分断するために仕組んだ砦の移動や爆破シーンなどで、落合宿に集結した13人の刺客達の卓越した計画性が強調されている。優位に立った刺客達は、弓矢でもって暴君斉韶を殺害することはたやすかったと思われたが、それをあえてせずに決死の一対一の「」の勝負にもちこんでいく、武士の戦い方というものに拘ったのだろう。弓矢が尽きた中盤以降は、多勢に無勢の残酷な殺し合いがこれでもかと展開される。(およそ常識をこえた13人の「体力と気力」に呆れてしまう)

刺客達はことごとく倒れ、遂に最後の二人になった。映画は「武士は主君に忠義を尽くすものだ」と自分に言い聞かせた明石藩御用人鬼頭と刺客の首領島田の決闘になだれ込んでいく。死闘の末、鬼頭が切られて死んだ後、落とされた首を蹴り飛ばした斉韶は、ようやく刺客の島田と刀を交えることになる。

「主君に忠義をはたして死んだ者の首を、お蹴りなされた」という島田新左衛門の台詞に、同門の剣士鬼頭を討たなければならなかった哀切と斉韶に対する怒りが表現されている。

斉韶は先に島田に刀を突き刺したが、島田の必殺の精神力が勝った。暴君斉韶は遂に傷つき倒され、泥にまみれ、血まみれになって首をはねられ、討ちとられる。なんとも目を背けたくなるシーンの連続である。敵も味方も、死力を尽くして果てる。このすさまじい気力が武士道の大儀から生まれるものだとしたら、なんともそら恐ろしく、不気味だ。

日本映画にしては大がかりな爆破シーンや火を背負った牛の突進など、CGも取り入れた50分間にわたる戦闘シーンは、迫力という点では日本映画で群を抜いていた。多数のエキストラと馬をうまく動かして、リアルな集団の戦闘場面を作り出したこの監督の力は並ではない。かっての西部劇のインデアンと騎馬隊の戦闘シーンで名をはせたジョン・フォードの映画を見る思いがした。統率力と先を読む力がある。

刺客達が命をかけて守り抜いた「武士社会の泰平は、それから25年後に「明治維新」によって終わりを迎える。それぞれの「武士道」を守ろうとした家老と御用人と刺客達、そして残酷非道な松平斉韶も、時代が動き、武士の世の中が滅んでいくことなどは想像も出来なかったにちがいない。歴史は多くの死を巻き込んで残酷に展開していく。時代の傍観者であった大衆だけが、この矛盾だらけの世の中をしたたかに生き抜き、しぶとく今も生き続けている、そんな思いがしきりにした。

(2010.10.18.)



御小人目付組頭三橋軍次郎

映像はYahoo 映画より
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