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手の手術

終の棲家での生活は10年目に入ろうとしています。あっという間の10年とは申せ、それなりにいろいろあった年月でした。沈む太陽と同じ早さで終焉の日に向かって歩んで行くのですから、毎日の生活のなかで、身体機能の衰えをいやでも知ることになるという事実は、老人である以上認めざるを得ないことでした。そんな日々の暮らしで、連れ合いジジの「右手」の使いにくさが目に見えるようになってきました。
駐車場のゲートでカードの引き抜きに手間がかかったり、食事の時に箸が使いにくくなったりで、ついには、スプーンやホークを多用するようになってきたのです。それにしびれも痛みもあるようでした。もともと10年前に仕事から退く決心をつけたのも、手先の仕事がしにくくなったということが大きな原因の一つでしたから、すでにその頃からジワジワと症状は進んできていたのでしょう。

ある日、ジジが言いました。「手を手術してもらうことにするワ、簡単にようなるかもしれん」、、なんで今頃、、もう高齢だし、大した痛みでなければ、そのままにしたらいいのに、、と思いましたが、決心は固いようで、何か確信があるようでした。

それは、今「はやり」のTVの医療もどき番組を見たことだったということが、すぐに分かりました。医療に関してはまんざら「素人」でもないのに、映像で簡単にうまくいくことを知らされると、すっかり信用してしまうのですから、内心「アホかいな」と意地悪ババァは思いました。
「TVは大袈裟だし、うまいことばかり言うから、あんまり信用はできへんと思うけど、、」と言ったものの、もう聞く耳など持たないお人だということは50年も一緒に居ればよくわかります。病院へ行くことになりました。ここへ来てから初めての大型医療機関の整形外科です。初診は夏が去ってようやく涼風のたつ頃、9月でしたが、それから様々な検査が月一で行われて、結局は年末12月も半ばになってから、いよいよ「手術」となりました。

「肘と手首」の手術で「全身麻酔」だそうです。

「孫のようなお年」と、おみうけする若い主治医先生と、医大病院からおいでになる「手」の専門医の先生とお二人でやられるとのことです。大変なことになったなぁ、、というのが運転手おババの実感でした。「全麻」、、麻酔医の先生は、詳しく、そして立て板に水の如く麻酔に関する説明をしてくださいますが、傍で神妙に聞いてはおりましたものの、もしこの87才の老体が目覚めなかったら、どうしはるんやろか、、などといらぬことばかり考えてしまいました。ここへきて当の本人もあまりのおおごとに嫌気がさした様子でしたが、もう後へは引けません。術前の検査も順調にこなし、「15才は若い」などと煽てられて、明日は手術となりました。

冬にしては暖かい日が続き、早起きが苦手な私どもにとってはありがたい12月でした。庭の垣根に這わせたつるバラが、季節を間違えてか薄緑色の新芽をたくさんつけているのが心配になるほどの、うららかな日が2泊3日の入院初日でした。南側の窓いっぱいに陽が差し込む明るい10階の病室に連れ合いが落ち着いたのを見届けてから、おババは家にとんで帰りました。

キッチンは朝出た時のままに、シーンと静まっています。泥棒が入った気配もなく、ヤレヤレです、急にお腹も減ってきました。何か作ろうかとは思いましたが、包丁を握る気になりません。食べるのは自分ひとりですから、キッチンで大騒ぎする気になれないのです。冷蔵庫の中の残り物をかき集めたら結構な量になりました。みんな鍋に入れて、リゾットにでも、、なんて言うとおしゃれな感じですが、実を言えば「闇鍋風のごった煮おじや」です。そこそこに洗い物を済ませて、読みそこねていた新聞の朝刊を読んでいるうちに夜も更けてきました。いつもは「夜びっかり」のジジが、リビングでゴソゴソしているのを置いて先に寝てしまうのですが、全部電気を消しても、なんとなく落ち着きません。明日は早いのです、眠らなければなりません、、

手術の当日は、早くから病院に来るようにと看護師さんに言われていました。手術が終わった頃に来たらいいと思っていたものですから、きのう「私は、明日午後にここへ来たらいいですか?」と聞きました。すると看護師さんは、なんと薄情なおババという顔をなさって、「手術室へ向かわれるご主人をお見送りしてください、行ってらっしゃい!頑張ってね!って
言ってあげて下さいね」と申し渡されてしまいました。3時間あまりもかかるということなのに、時間がもったいない、、などと薄情なおババは思ったのですから、やっぱり私は、あまり優しい人間ではないということなのでしょう。

結局手術が終わったのは午後4時半でした。術後一日は食事は取れないということで、患者は好物のスープもおあずけです。全麻のせいでウトウトしてはいましたが一応無事に帰還出来た様子でした。主治医先生は術後の説明においでになり、「手術はうまくいきましたから、明日午後には退院できます」とおっしゃるので、翌日迎えに来るからと念を押して、そそくさと帰宅しました。一日中何もしないでボーッとしていた日でした。

家に帰ってきましたが、何もする気になりません。一人暮らしになるということは、こういうことなのかもしれません。40年余り、ともに同じ仕事場にいたのですから、一人になるということは滅多になかったことです。旅行や法事などで留守になることがたまにありましたが、その時には今と違う「開放感」とでもいうものを二人共感じていたように思います、若かったからでしょう。好きなことが出来るし、食事の支度もなくて、ラッキー!などと思っていたのだと思います。

常に家で食事を作っていましたから、自然と料理は好きになっていました。10年前にここへ移ってきた後も、食材の新鮮さと豊富さが何よりも気に入りました。いろいろ新しい味に挑戦することも楽しみになっていました。それが、今日はお惣菜を作る気にならないのですから驚きました。不思議な気さえしました。自分ひとりのためであれば、最低の条件を満たせばそれで良しとしてなるべく動かないようになる、愕然としました。自分はかなりよく動き、働くことを苦にしないたちだと思ってきたのですが、毎日の家事や食事の支度は、すべて家族がいたからこそだったのでしょうか、張り合いがないと働けないということなのでしょうか、なんだかモヤモヤしてしまいました。

家族があれば、やりたくない日でも食事の準備はしなければなりませんから、鬱陶しいと思うこともたまにはあります。でも、食べてくれる人があるということは、何にもまして「しあわせ」なことなのだと思い至りました。高齢ですが内臓に病気を抱えていることもなく、毎日美味しそうに食事をする連れ合いジジがいるということは「幸運」なことなのでしょう、多少の好き嫌いは多めに見なければならないのだと感じました。

いよいよ食べられなくなってから気がついても、もう遅いのですから、この機会は私にとって貴重な、心の経験になったように思います。3日間の入院で何食かの病院食を体験したジジも、きっと同じようなことを思ったのだと、勝手に憶測しています。これからもせいぜい頑張って、新しい「味作り」に挑戦することにいたしましょう、それがきっと、自分のためでもあるのでしょうから。

すこし痛みが残ると言いいながら、クリスマスの「焼きリンゴ」をつまんでいるジジは、今までと同じかさ高さで、そこに座っております(笑)。(2015.12.24.)
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