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キンコン夫婦
日本があの敗戦から立ち上がり、東京オリンピックを開催できるまでになった1964年、この年に結婚した夫婦は、今年金婚の50周年を迎えることになります。「東洋の魔女」を映し出していた小さくて丸っこい白黒テレビは、今や大きな薄型ハイビジョンになり、新婚夫婦は、老いたキンコン夫婦となるのです。

大戦末期1945年の春3月、大阪はB29爆撃機の大編隊に襲われ、落とされた焼夷弾で街は炎上し、多数の死者がでました。そのなかに夫の家族5人も含まれていたのです。診療所だった建物には地下室がありました。そこへ避難したというのですが、降り注ぐ焼夷弾の火力は、その地下室にまでおよびました。軍需工場に学徒動員されて家にいなかった夫だけが、ただ一人、生きて残されたのです、15歳でした。建物は一週間もくすぶり続け、家族は白い灰となってしまい、すくいあげた夫の手の平からサラサラとこぼれ落ちたのだそうです。

この話を聞いたとき、「なんと気の毒な、、食べ物も満足になかったあの時代、どんな思いで暮らしてきはったんやろ、、これから先、私はこの人が何か気にさわることを言うたり、したりしはっても、このことを思えば堪忍できるんやないかしらん、、」そう思ったのでした。そして、そうすることに決めました。

幼少期を不自由なく過ごし、可愛がられた末っ子の夫は、一夜にして家族を失うという過酷な運命をどうやって受け入れたのでしょうか、時おり見せる喜怒の落差の大きさに、度々驚かされました。かくいう私も、長女として弟妹を振り回してきた自己主張の強い性格ですから、この堪忍袋の緒は何度も切れそうになりました。それを知っている母親は驚き「あんた、よう黙っているね、、」と言ったものでした。

仕事を引退し、毎日一緒にいる生活を始めますと、良い悪いにかかわらずお互いが一段と深く、くっきりと見えるようになります。もうあの「決心」は反古にする!「もうやめや!」と思うことも再々になりました。でも、袋の紐を引きちぎるにも馬力がいるのです。よくしたもので、老いてくると、ジタバタと言いつのる気力も衰えてきて、「まあいいか、、しゃあないわぁ、、」と、なし崩しに忘れるようになってしまいます。いいところだけを覚えていれば、波風は立ちません。

86歳と76歳は、今のところ幸運にも健康です。お互いに迷惑をかけない生活ができているのに、モンクを言うたらバチが当たるような気ぃがします。キンコン記念日が迎えられるだけでもありがたいことなのだからと思い直して、夫の好物をしつらえてお祝いすることにしています。

毎日が「一寸先は闇」の老夫婦ですから、しっかりとせなあきませんが、袋の緒を時々引っ張りながら、ゆるりと暮らしましょう。ここまで来たら、楽しまなソンですもんね。


追手門学院文章表現コンクール「青が散るAward」2014エッセイ部門最優秀賞
(2014.12.29.朝日新聞「青が散るaward」より転載) 
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審査員長講評
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平凡に見える日常が、深く重い過去の錘の上に成り立っていることを実感させられます。作者の気持ちに共感する読者は多いことでしょう。

(受賞作品集「青が散るAward 」より転載 2015.1.31.)  

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