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40年にあまる月日を働いてきた家業を終了した。卒業である。いつの間にか二人とも、もう引退には充分すぎる年齢になっていた。振り返ってみれば、あっという間のような長かったような、複雑な思いだ。
結婚したのは1964年、東京オリンピックの年、あの「東洋の魔女」が金メダルをとった年であり、「おれについてこい」「なせばなる」の流行語をうんだ高度成長期に入る前の活気が溢れた時期でもあった。

そしてこの年、郷里新潟では大地震が発生した。6月16日午後1時1分、新潟市の北方にある粟島付近の海底を震源とするマグニチュード7.5の大規模地震だった。
被害の最も大きかった新潟市内では鉄筋4階建てのアパートが横倒しとなり、その映像をTVでみて仰天した。被災者は、新潟県をはじめ、近県を含めて、8万6000に達し、家屋の全壊2250戸におよんだ。

当時勤務していた航空会社では、救援物資と取材記者を積んで地震以来の第一便を飛ばすことになり、急遽乗務命令が出た。上空から見た新潟空港は悲惨だった。管制塔は半分地下に埋まり、滑走路には大きなひび割れが見えた。
会社随一の腕も持つ機長は、タッチアンドゴウを決断した。いきなりの着陸は無謀と考えてのことと分かったが、うまく行けば良いがという不安で緊張したことを覚えている。
着陸を試すタッチアンドゴウの時の大きなエンジン音は恐怖心を倍増させた。何とか着陸したものの、デコボコの滑走路に翻弄されたような機体の揺れに、生きた心地がしなかった。新潟放送の写真部の記者がタラップを上がってきて写真をとったり、機長の話を聞いたりしていた。実家からはTVで見たと電話が入ったりした。この後8月に退職し、結婚した。

何となく前途多難な予感がする出発だったが、予感は的中し、大忙しのドタバタの人生が待っていた。そして40年、娘と息子も夫々に巣立ち、ようやく第二の人生と思った時にはもう少ししか残り時間がない有様で、引退が遅れたことにおおいなる不満もあるが、無事にこの日を迎えることが出来たことは有り難いことだと思っている。多くの方々から暖かいねぎらいの言葉をいただいた。たくさんの美しい花々に囲まれて、ご好意のシャンパンを抜栓し、乾杯をした。人生にそう何回もないという至福の時とはこんな時のことを言うのだろうねと連れ合いと話し合った。

息子からはすでに記念の年である1964年に生まれたワインが届いていた。41年経ったシャトウマルゴウだ。この銘柄は連れ合いが一番好んでいるものだ。潤沢とはいえない収入の中からインターネットを駆使して探したであろうこのワインを見たとき、ボトルにこめられた彼の思いを痛いほど感じた。ボトルラベルには年月を経た液垂れもあり、味が危ぶまれたけれど、丁寧にデカンタをして40年余りの眠りからゆっくりと目覚めさせた。ボロボロになりかかったコルクを抜くと成熟しきった芳醇な香りが立ち上り、老いたワインはまだまだその存在価値をアッピールして健在だった。「下り坂のワインには頂上にはないそれなりの味わいがある」とは映画サイドウエイの女性ソムリエのセリフだったが、確かにそう感じさせる豊かな広がりとコクがあった。ご機嫌である。

最後のレセプトを打ち出している時に電話がなった。

「モシモシ、おばあちゃま、お仕事ご苦労様でした!」孫娘の声、
「アリガトウネ!諒ちゃん」

娘が言う
「引越しはいつになったん?」
「27日に予定してるけど、、」

婿ドノがかわって言う
「27日引越しですか?!じゃあ28日にリフォーム工事始めてもよろしいね?」

「・・・・・・」

他に言うことありまへんのか?アンチクショウめ!!

連れ合いのご機嫌は一気に急降下、オババもムーッとして手元が狂い、レーザープリンターは赤信号で急停止!PCの画面には、大きなコメント画面が出現、、

「エラーが発生しました!サービスセンターに問い合わせが必要です」

ああ!エラー!エラー!

まったくもって「好事魔が多し!」の夜でありました。好い時間はそうそう長続きするものではゴザイマセンのです(笑)
(2006.4.2.)
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