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浜松での暮らし  


晴天率が日本一と浜松出身の友人が言ったことも引っ越し条件の一つに加えて、今春ここへやってきた。浜松市は人口80万を超えて、政令指定都市の申請を出している気鋭の市、なんて、、我田引水はチト早かろうというもの。郷土愛が強く、みんな「イイ所」だと言う、冬の遠州空っ風は相当にきついらしいが、今のところ我慢出来ないほどの風は吹いていない。風のない「凪」の大阪地方と比べたら驚くのだろうが、初夏の風は爽やかで気分がいい。

風光明媚で風は強いが人情細やか、食材豊富、今のところさしたる不満もなく日々を過ごしている。連れ合いの食欲も衰えず、三食の世話に明け暮れているといったところだ。知った人とてなく、なんのしがらみもない身分だから好きなように一日を過ごす、起きたい時に起き、寝たいときに寝る、しかしこれは連れ合いだけの特権で、ババはそうはいかないのがつらいところ、関西と違い週に4回もある分別ゴミ収集が朝8時迄ということで、早起きに慣れるのに時間がかかったし、月1回日曜日の資源紙布の回収にも戸惑った。

とにかく起きて身づくろいをして大急ぎでゴミを出す。公園の隅にきちんとゴミの捨て場所が作ってあって、道路へ投げ出しの以前の市とはえらい違いだ。今日は何のゴミを出すんだっけと、毎朝考えてまだ慣れないのは年寄りの証拠だと思う。

夕方にも働かなければならなかった開業医院の仕事から解放されると、夕刻から夜までの黄昏時の良さにあらためて気がつく、薄ブルーの空に翳りがさし、最終の太陽が一瞬マリーナに浮かぶボートを照らして落ちていく、掃いたような雲に夕陽の残影が映り、湖面は暗くなっていき、空と水の境が消える。

こんな時刻にこの頃はよく散歩に出る。開発途上のこのあたりは見通しがよく、人家も都会のように密集してひしめいてはいない。小さな洒落たお家の前が賑やかだ、今夜は前庭でバーベキューのようだ。若い人達と子供達が嬉しそうに集まっている。

此処へ来て一番驚き、感心したのは家の作り方。どの家も前庭が坪数の半分をしめている。アメリカの住宅によくある設計で、道からすぐの場所全面に車を並べて入れるやり方だ。車1台のお宅はほとんどない、2台は当たり前、3台、4台が前庭にしつらえられたガレージに並んでいる。そのガレージもほとんどが屋根をつけないから床面のコンクリートにさまざまな工夫がしてあり、ちょっとアートな世界。タイルやレンガ、石を使って床に模様が作られていて、車を出したあとのコンクリートむき出しの殺風景さがないのだ。

家を目イッパイ後ろに下げて、前庭に凝るのがこのあたりの特徴のようだ。公共の電車、バスが少ないために、家族が夫々に軽自動車を持っているのだそうだ。道路は完備されていて走りやすいし、混んでもいないから、ゆったりと走る、隙あらば、ねじ込んで前へ出ようというセコイ運転者の顔をあまり見なくなった。いいことである。バイクも比較的少ない。

東隣のお家が建築中で、ある日ご主人がご挨拶にみえた。古くからのこの町の住人であるから、上棟式をやって「餅まき」をしたい、ご迷惑でしょうが、どうか餅を拾って福を貰っていただきたいとの口上だった。懐かしい響き「餅まき」、、実家のある新潟の田舎では新築には餅まきが時々行われた。特に檀家衆の多いお寺の本堂の上棟式などはかなり大掛かりだった。

息子は幼かった日の夏休みにこの餅まきに出会った。男衆さんに連れて行ってもらい抱えきれないほどの餅やお菓子を持って頬を赤くして嬉しそうに戻ってきたものだった。

夕刻30分遅れで始まった餅まきにはどこからともなく人が集まり、前庭いっぱいになって上から降ってくる紅白の餅を待っていた。大阪市内で育った連れ合いは餅まきの意味を知らないし、見たこともないと言う、関心もなさそうだったが、いざ始まると、二階の窓を開けたり、玄関へ出たりウロウロしている、餅が降ってきてもとろうとしない(みっともないと思ったらしい)から、隣のおじさんは気を遣って、餅を受けては渡し、受けては渡して下さる。

私はデジカメを手に走り回った。曇り日だったためにあまりいい映像は撮れなかったが、3、4枚をすぐに印刷して、餅の御礼にした。

(餅まきに集まってきた人々))

このお餅がまた粘りがあって美味しく、連れ合いはいたく気に入ったようだった。小豆と一緒に食べるのが美味しいと言うから、大急ぎで小豆を煮て甘いゼンザイにした。すぐにご希望に答えるところがスゴイでしょ!と、少し威張っておいた。

モグモグしながらうなずいていただけだから、食べ終わったら何を言われたかはきっと覚えていないに違いない。結構なお方である。

新築した家はかなり時間もかけて考え、今までの建築の反省やら経験をつぎこんで計画したのだが、理想と現実とはそううまくかみ合ってはくれない、さまざまな不具合や不満が出てくる。そのたびに連れ合いは業者にこちらの思いを言うのだが、思うようにはいかないからイライラすることが多くなっていた。

外回りを引き受けてくれた工房の代表だけは太っ腹の施主思いの人で、細かいことをよく聞いてくれる、文句の多い連れ合いも、この人だけは大いに気にいったとみえて、人見知りもせずに話し合っていた。連れ合いはいろいろな人と話をする開業医だったわりにはとにかく話が下手、どうにもならない人見知りだ、しかしこの人だけはすぐに親しくなったようだ。気持ちのいい実直さと親切心が感じられ、気遣いがはんぱではなかったからだろう。

森の石松と同じ町の出身で、遠州の小京都と言われている森町の生まれだときいた。早速電話が来て、土曜日に美味しいお蕎麦とトウモロコシと新茶の店を紹介してくださるという。朝早く起きて待っていると大型のバンが到着、キレイなオネエサンが降り立ったので娘さんを連れてこられたのだと思ったら、それが奥さんだった。失礼いたしました!それにしても代表と同年代とは思えない細身の美人、驚き!

この奥さんと話してみると、気さくでざっくばらん、細やかな気遣いはさすがで、職人さんを世話する内助の功が感じられた。すっかり意気投合した半日の森町への旅になった。

1時簡に2本ほどの単線電車の一ノ宮駅構内にお蕎麦やさんがあるという、11時からの開店にすでに数人の人は待っているという地元では人気の「百々屋」、色の黒い「田舎そば」と白い「もりそば」しかないけれど、これが抜群に美味しかった。やはり蕎麦は田舎にかぎる。遠州のウドンはアカンけれど、蕎麦はまことに美味しい。

トウモロコシ売り場も圧巻、農家のおばさん達総出の売り場には買い手が順番待ちで、車がいっぱい停まっている。この唐黍がまた絶品で、甘くジューシー、何本でも食べられる。連れ合いはこの時買い込んだ12本を2日で食べきって、又買出しに行ったくらいだ。残りををスープにして、温かいものと冷たくしたものの2種類を飲み分けて楽しんだ。ヤレヤレいよいよ食い気だけになってきたようだ(笑)

今度は浜名湖の夜釣り「たきや漁」に行こうと誘われた連れ合いは、筏の上の夜釣りと酒盛りだと聞いて恐れをなし、思案中である。「ボクのことイクツやと思てんねん?行けるか?」と、私は知りませんよ。酒が飲めない人だから、釣りをしながら一晩中酒盛りだなんて出来そうにもないのだろう(ヒヒ、、、いい気味)

今日は庭の樹の入れ替えをする日だった。ここに来た時から、小さなコート中央のシンボルツリーがボヤボヤした「ななみの木」で、どうにも姿が野暮ったい、横にいれてあった「シマトネリコの木」の方がすんなりした立ち姿でこちらの方を中央に持ってきたいと思っていたのだ。すでに植えてしまってあったから、言い出しにくかったが、手直しがたくさん出てきたので、思い切って木の入れ替えと、ほかに木を3本増やすことを頼んでおいたのだ。

吊り上げる大型機械を積んだトラックを横づけして、リモコンで操作をしてたった一人で木を抜き、植え替えていく。人力を使わない工夫はスゴイと恐れ入りながら作業を見物した。植木の植え替えは上手くいった。作業してくれたインテリ風の職人さんと話してみると、京都で大学を出て就職したあと転職して、好きなこの職業についたのだという。出したお茶が美味いと褒めてくれてお茶談義に花が咲いた。みんな楽しんで働き、ゆったりと仕事をしている。この地方は温暖だから人がノンビリしていると言われているが、これはホントかもしれない。

晴れの日の多さでは日本一だという浜松だが、梅雨の時期はやっぱり雨が降る。今日もシトシトと小糠雨、紫陽花だけが元気に雨空に向かって大きく開いて嬉しそうだ。 (2006.6.25.)


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