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    亡国のイージス             


自衛隊が誇る護衛艦イージス、「無敵の盾」を意味するこの言葉に「亡国」がつくとイージスの意味と相反することになる、アンチ軍国映画なのかナ、とも思いながら少しこの映画に興味を持った。融通のきかない日本の防衛庁および空海自衛隊が全面的に協力したという宣伝文句があり、アクション映画のようでもある。それならば面白そうだ、盆休みの退屈な日々にうんざりしていたせいもあって、映画館へ足を運んだ。

映画を観て、日本のアクション映画もここまで進歩したのかという驚きが大きかった。しかし、ストーリーの平凡さには少しあきれた。自分がやるならこんなまだるっこしいことはしないなぁというほどの筋運びで、少しバカバカしさしさも感じた。画面の作り方も数年前に観たアメリカ映画、ショーンコネリー主演の「ロック」に似通っていて、まるでコピーじゃないかと思わせるほどであり、ラストへの展開はそっくりで、気にくわなかった。このあたりが日本映画の限界かとも感じた。ただ、出演者の顔ぶれの豪華さはスゴイ。今の日本映画界を背負って立つ主演級の俳優がキラ星のごとくに集まっている。中井貴一、佐藤浩市、真田広之、寺尾聡、吉田栄作、原田芳雄、、。

ストーリーは単純で分かりやすいのだが、登場人物の紹介が極端なまでに省略されたせいで、原作を読み込んでいないと、その人物の背景が分かりにくいというのが大きな欠点だ。だから個々の人物への感情移入がスムースにいかない、登場している必然性を理解することが出来ない人物もいる。反乱に加担する理由が弱いことと、どうしてそこまで追い込まれたのかという説明がないためだろう。

日本のイージスを奪い、自国(北朝鮮と思われる某国)へもってかえり、東京に照準を合わせ、日本壊滅を狙うという北の工作員と、日本の防衛のありかたに疑問と不満を持つ自衛隊士官達が組んで護衛艦イージスを乗っ取るという設定だが、このストーリーを前面に押し出してしまったために、物語の構築が甘くなった。北の工作員と日本の自衛隊員が手を結ぶこと自体がピンとこない。所詮、肝の据わり方が違うということを押し出したかったのだろうが、あまりに日本人は軟弱に見えた。話の先が見えてしまい、簡単に予測ができる展開になったうえ、個々の人物が平板になって、話に深みを与えることが出来なかった。

真田広之演じる先任伍長のスーパーマン的な強さと信念も、嘘くさい。ヒーローと呼ぶには大きさが足りない。小粒すぎるからだ。2、3発の銃弾を打ち込まれても、敵を倒せる力を維持できるヒーローは、アメリカ映画では違和感がないが、日本映画ではなぜか作り物になってしまう。日本人はあそこまで粘らない、その前に自決したり、自爆したりしてしまうだろうからだ。

しかし、1リットルで東京を壊滅させることが出来るという化学兵器「GUSOH」や、唯一イージスを爆破できる力を持つという爆弾「テルミット・プラス」、それに防衛庁の秘密情報組織「DAIS」とやらの存在、、日本には情報部門が存在しないから、他国にいろいろなことが垂れ流され、情報が流失するのだと主張する人達が、切望してやまない兵器や組織が、あたかも実在するかのような不気味さで迫ってくる。この場面のリアルさは成功だと思う。

中でも出色は情報局、内閣、防衛庁のトップが繰り広げる会議の様子だ。これは実際を超えているようにみえた。クールで、整頓された映像が新しい。会議の参加者達はみんな頭がいい、次々と対抗策を考えて、責任の転化をしない。従来の映画にあるような逃げをうったりもしない。なかなかの迫力で実際にもこうあって欲しいと思わせられた。

イージス艦の中で繰り広げられる戦闘と血まみれの殺戮と工作員の自決、首謀者である工作員トップが言い放つ「よく見ろ!日本人!これが戦争だ!」という言葉には胸をつかれる。そして自衛隊不満分子は全て抹殺され、某国工作員も壊滅、搭載されている恐るべき科学特殊兵器「GUSOH」を爆破すべく戦闘機F2が三沢基地から発進する。

しかし爆破によって東京に被害が及ぶ海域まで、イージスが到達するのが先か、F2がそれを上回るか、、逼迫する内閣総理大臣と防衛庁長官と情報部の会議。ここらあたりのたたみこむような展開は従来の日本映画ではみられなかったものだ。音楽も興を添える。

そして、東京の危機はたった一人の瀕死の先任伍長の「手旗信号」で救われる。

大音響の効果音と男らしさを演じる俳優達の凛々しさがストレス解消にはもってこいだといったら単純だと失笑されるかもしれない。日本という国の防衛のあり方をもっと考えろ!これがこの映画の提供する大きな課題なのだろう。

平和ボケと言われて数十年、戦後60年を経て、本当に日本は平和だったと言えるのだろうか。世界の多くの場所で毎日繰り返されている戦争に、日本人だけが無関係でいられるはずもない。

深く考えれば考えるほど、日本はこれでいいのか、とか、「進むべき道を見失った国家に守るべき未来はあるのか」という映画の主張が、重くのしかかってくる。21世紀は「テロの世紀」で終始するのではないかという危うさをはらんでいる今、この映画をどう評価すればいいのだろうか。漠然とした不安感とともに、「愛国」という言葉がもつ宿命的な暗さを思っている。(2005.8.18.)

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