優作を悼む

6/11/1997

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今年もそんな時期になってしまった。
秋が好きなのは、そこはかとただよう空虚な感じがせつなくなるからだけど、彼の死はそんなあまったれた虚空から現実に引き戻した。とても冷たい雨が、本当に冷たい雨が新宿に降っていた。人間の死を受け入れることになれていなかったころだ。この世界から人間がいなくなることがどんなことなのかよくわかっていなかったころだ。死はあくまで言葉であり、それを生きることも体験することもできない死を拙い想像力でなんとか理解しようとしていたころだ。

時は確実に平成にかわりつつある時代のエアポケット。昭和という時代は世紀末を前に終わるのだが、それは新しい時代を意味しなかった。昭和と一緒にいったのか。

最後の映画「ブラックレイン」を見たのは、彼がすでにこの世から消えてからだ。ショッキングだった。死に行くものとしての自覚があったからこそ輝いたのではないかと思うほどの、すばらしいオーラが彼を包んでいた。そんな感じがした。芝居に決して妥協しなかった彼が確かにみえた。芝居がおもしろくならどんなことでも厭わない、最後の最後までそうだったことに、そう最後は死までかけてスクリーンに残そうとしたことに、我々は敬意をおしむことは許されない。だけど彼にそうさせたのはなんだったのだろう?それはわからないけど、すくなくとも彼を見続けた私にはそれが表現なんだろうと思う。すべてをかけて表現することが、自分の人生なのだ、そういう自覚、姿勢が限りなく尊くかっこよい。本当になにも考えずに、素直にかっこいいっていえる、優作は。

時代を超えてかがやける、人をひきつける、そんなことが可能なのは、究めて単純なことを彼が繰り返していた、自分を納得できるまで表現する、それが芝居だった、ってことが誰にでもわかることだからだと思う。

とにかくおれはあんたの一部をもっていると信じている。

これからもずっと。