Damned, Damned, Damned

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DATA
Rleased at FEB,1977

Produced by Nick Low
Engineer: Bazza
From Stiff Records
最高位 36位
パンクバンドが出した最初のアルバム

「当時、経験のあるプロデューサーはパンクは音楽じゃないといって嫌っていた」このアルバムのプロデューサーのニック・ロウはこう振り返っている。レコーディングはロンドンの北部にある小さなスタジオ、パースウェイで行われた。8トラックの小さな安いスタジオでの録音は、10日間で終了した。ほとんどライブ形式に近い形で、そのまま録音したというが、バックを先に録音しそれをスピードを早くして再生しボーカルをかぶせたという楽しい伝説もある。(まさかね)パンクバンド最初のシングルもダムドがリリースしている。その"NewRose/Help"は1976年10月22日にリリースされ、4000枚が売れた。アメリカにも通版で売られていたらしいが、セールスに関してはわからない。メンバーのこのアルバムに関しての評価はリリース直後はよくなかった。ニック・ロウに対して不満があったためだが、後にラットはこれを覆えし、ニックの仕事と自分の演奏には評価する発言をしている。ヴァニアンも"NeatNeatNeat"はフェイバリットトラックだと発言しているようだ。



Vocal Dave Vanian

Guitar Brian James

Bass Captain Sensible

Drums Rat Scabies


ダムド結成までの流れを整理しておく。
まずスタートはクラッシュと同様、ロンドンSSである。(ロンドンSSについてはクラッシュの方で)このバンドに参加したブライアンは、ドラムとして声のかかっていたラットと知り合う。ラットはロットというバンドに本名のクリス・ミラーとして参加していたが、そのロットのギターのスライミー・トードの紹介によりレイ・バーンズこと後のキャプテンと出会う。1974年、まさにパンク前夜である。ラットがキャプテンとバンドをつくることになり、ラットの誘いによりブライアンがロンドンSSを抜け、ダムドの原形となるサブタレニアンズが結成された。でもこのバンドも2回のギグをしただけで頓挫する。
ここで登場するのがやはりマルコム・マクラーレンで、75年の12月にラットとキャプテンはマルコムからフランスでバンドをやっていたというアメリカ人女性を紹介される。この女性が後のプリテンダーズのクリッシー・ハインドで、マルコムはクリッシーに男装させギターをもたせて、ボーカリストに仕立てようとしていた。そのバンドにラットとキャプテンを引き込んだのである。ザ・マスターズ・オブ・バックサイドといい、ラットのドラム、キャプテンのベースにデイヴィット・ホワイトというボーカルが構成した。リハーサルは始まったもののマルコムは別のプランを思い立ち、結局このバンドは立ち消えとなる。
クリッシーの代わりではなかったが、マルコムはデイヴ・ゼロと名乗る男も連れてきた。ラットとキャプテンはブライアンを呼び、デイヴ・ゼロをボーカルにすえて新しいバンドをつくった。このデイヴ・ゼロが後のヴァニアンであり、ダムドとしての活動の始まりである。1976年になっていた。ラットとヴァニアンの出会いについてはこんな逸話がのこっている。ラットの妹の葬儀に、墓堀人だったヴァニアンがアリス・クーパーの"Love The Dead""Dead Bodies"を歌って墓を掘っていたのが、ラットの目にとまりラットの方からヴァニアンの声をかけた。それ以来つきあいが始まった。この話自体は作り話みたいだけど、ヴァニアンが墓掘り人をやっていたという話は本当しい。
76年9月20、21日には100クラブでパンクフェスティバルが行われ、社会現象化してゆくなか、インディーレーベルとしては新興のスティッフレコードと契約。76年10月22日にパンクバンド初のシングル"NewRose/Help"を、翌78年2月18日にこのアルバムをリリースした。


1 NEAT NEAT NEAT

2 FUN CLUB

3 I FALL

4 BORN TO KILL

5 STUB YOUR BACK

6 FEEL THE PAIN

7 NEW ROSE

8 FISH

9 SEE HER TONIGHT

10 ONE OF THE TWO

11 SO MEST UP

12 I FEEL ALRIGHT


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