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大仁田、NWAインターナショナルJr.ヘビーを奪取

1982年3月7日 シャーロット
(写真は右からジャイアント馬場、天龍源一郎、大仁田厚、テリー・ファンク)
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上の写真は今年の春、週刊ゴングで見つけたものです。

なんだか自分の子供の頃の写真をみた時のような、懐かしさと新鮮さという違うベクトルからの思いが交錯しました。4人の笑顔のはじけかたの勢いが良すぎて、こちらまで笑ってしまうような感じです。とにかく元気で、ひたすらに坂の上をみていたかのよう。その後、彼等が辿る人生を考えるとレスラーというのは切ないものである。馬場のようにずっとトップでいられる人間はまずいない。あがったりさがったり、それをくり返す、自分の力で、あるいは他人の力で。でもいつもそこにあるのは己の肉体があるだけ。

この時、大仁田23才、馬場44才、天龍が32才、テリーが30代の半ばくらいだと思われます。当時の馬場は全日本に移籍してきたハンセンとの激突により輝きを取り戻していた時期でしたね。天龍はようやく全日本のナンバー3のポジションを認められてきていた頃で、これから1年くらいの間にUNチャンピオンになるのではなかったでしょうか。テリーはこの次の年の83年の夏に引退することが決まっていたのだと思います。

この写真を撮った日から20年が過ぎましたが、馬場を除いた三人は現役を続けているけど、その姿ははこの日からは想像もできないようなものとなりました。

テリーは83年に一度引退した後、85年に現役復帰、その後全日本からも離れ、ヒールとしてWWFで活躍していた。日本ではFMWで大仁田とデスマッチを繰り広げた。スタン・ハンセン引退興行では大仁田とタッグを組みブッチャー組と対戦、最近では新日本に登場するなど、あの引退試合で涙をながしたファンには考えられない余生を送っている。

天龍はその後鶴田とともに全日本の屋台骨を支える存在となるが、88年に全日本を離脱しSWS成立に参画した。その結果、全日本から選手が大量に離脱し結果的には全日本の危機を招いた。SWS、WARを経て、新日本に登場、猪木をフォールし、馬場と猪木という巨頭をフォールした男として『ミスタープロレス』と呼ばれるようになる。武藤からIWGPを奪うなど日本マット界においてこれだけ自由にあばれまわった男もいないだろう。そして電撃的に全日本に復帰、三冠王者として王道マットに君臨、そのプロレス道を全うしようとしている。

この日インターJrのベルトをとった大仁田は、この時の相手だったチャボ・ゲレロとベルトを争奪戦を戦うが、チャボの弟のヘクターとの試合中に膝にケガをしてしまい、これから5年足らずで引退してしまう。その後FMWを作り、追放されたり引退したり、大仁田興行と名をうってプロレスをしたり、武藤、長州と有刺鉄線電流爆破マッチをやったりとレスラーとしての技術や強さを超えた、超人的スキャンダルメーカーとして歴史に名を刻んだ。そのおまけに国会議員になっているのだから、猪木とならぶ評価をしてあげてもいいと思う。猪木への嫌がらせという意味でも。

これら3名の生き方を馬場はきっと苦笑いしながら見ているだろう。馬場からすればどれもまともな人生ではなく、プロレスを向上させているとは見えない。だけど認めていることは確かだと思う。自分が一度、世の中で用もなくなった男と感じる経験をしているからだ。そういう時、自分の肉体しかない男が這い上がるために死にものぐるいで体を動かすことを知っているから、評価はしないかもしれないが、「ご苦労さん」と声をかけるような気がする。

この写真のように馬場の笑顔というのはいつもどこか控えめで、スポーツ選手がエネルギーを発散したあとにみせる満足感と開放感が感じられない。どこか責任感を果たした時にみせる安堵感や、他人をほめるときの包容力などのほうを強く感じる。
こうして見ても、馬場の存在がもたらす安心感というのは大きく、それがない今の業界が不安定なのは仕方がないな、とか思います。