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ジャイアント馬場七回忌追善興行

王道伝説

2005年2月5日(土)

日本武道館

主催:株式会社ミスタービィ

出場選手:誰でも

更新記録

●「王道伝説」について

2004年1月31日にはジャイアント馬場の命日であった。この5年でプロレス界は危機と言われる状況となっているが、「こんなとき馬場さんがいてくれたらなあ」などということを語るのは別の機会にするとして、「ジャイアント馬場七回忌追善興行」が来年の2月に行われることが決まった。

「馬場さんが常々申しておりました馬場さんのスポンサーであるファンに、もう一度、T明るく、楽しく、激しく、そして新しくUのプロレスを観ていただきたいと思いますので御協力のほどよろしくお願いします。出場していただくレスラーはまだ決まっていませんが、すべてドアをオープンにしていますので、皆様の御協力をよろしくお願いいたします」(元子夫人の会見内容)

T明るく、楽しく、激しく、そして新しくU、懐かしい言葉だ。30周年の全日本のキャッチフレーズを、今の武藤体制はさっさと捨ててしまったが、武道館は不入りとなり興行が成り立たなった。そして来年またこの言葉が復活し、再び武道館は満員となるだろう。その武藤はこの興行について「聞いていない」と発言しているようだが、この会見があった1月31日には馬場の霊前で線香をあげている。また実質はこのイベントのリーダーになるだろう坂口征二と武藤は、1月4日の東ドーム興行でも協力した関係にある。聞いていないわけがない。ここでの武藤のおとぼけは利口だ。ここで仕切っては全日本の興行となり、でてきにくい人たちがでてくる。折角のノアと全日の雪解けムードに水をさしたくないということもあるだろう。ノア=全日=馬場追善というセットになると話が難しくなるのは今までのいきさつからすれば避けがたい。

三沢と元子さんの対立が今日の状況を作り出したことは否定することは困難である。馬場の後継として社長になった三沢がほとんどのレスラー、社員を引き連れてでていったのであるから両者の溝は埋まらないだろう。しかしここで「すべてドアをオープンにしていますので」というメッセージを発した元子さんの心には三沢がいることは間違いがないような気がする。

これは飛躍しすぎかもしれないが、元子さんの三沢にたいする勝利宣言なのかもしれない。全日本は潰れなかった、そして今もなお、このような形でプロレス界に影響力がある。馬場の名前でこの業界が一つにまとまるかもしれない。この大義名分に抵抗することができるだろうか。そういう問いなのかもしれない。

ノアの反応は思ったとおり否定的だったようだ。命日に位牌と対面できないような人たちなのだ。まずはそこから、ということにならざるをえない。来年の2月にまでに世間が期待しているような結果をだせるかどうか、三沢という人物の今後の評価が決まるような気がする。今の自分の立場を考えれば、落ち着くところは決まっていると思うのだが。なにか野心があったのなら別だが。あの時の田舎芝居の状態を見ているとその疑いも消えないのだ。レスラーとしては一流なんだけどねえ、あまり業界のこと考えてなさそう。

それはともかく、この興行の中心はしばらくは、天龍、川田、渕、である。その中でもメインを張ることになると予測される川田の対戦相手が決まるまではまだまだ時間がかかるだろう。「馬場さんがいた時代に観に来てくれたお客さんが思い出してくれるような試合をしたいです」という川田のコメントには頼もしい限り。武藤が言うように、三冠王者としては期待以上に風格がでてきた。こうなれば三沢、あるいは小橋、それがだめなら田上でもいいや、まあそんなの見たい。高山でもいいだろう。高山の今日は馬場=三沢の計らいがあったからだ。

とりあえず最後に天龍のこと。

「私はいろんな経緯があって、10年ぶりに全日本に復帰した時も、気持ちの中ではずっと全日本が存在していました。その意味で馬場さんの追善興行に参加できるという喜びですね。その何か縁というものを感じまして、全身全霊で頑張っていきたいと思います。来年のことですが、来年までその場にいられるように一生懸命頑張っていきたいと思います。また一つの目標が出来たと思ってプロレスに打ち込んでいきたいと思います」

全日復帰が決まった時「これでプロレス道に邁進できる」と言った時と同じ様に喜びが伝わってくるコメントだ。

マグナム「俺、そういうの好きですから。じやあ、俺の伸びきった鼻をへシ折ってほしんですよね。それまで、フリーで頑張っていて下さい。」

天龍「ああ、俺はフリーだよ、いつも。でもね、所属する場所があるとしたら、それはジャイアント馬場さんだよ。今、元子さんも馬場さんのビールを作ったり元気だけど、俺が所属するとしたら馬場ブロだから。そうなると社長は元子さん。だったらどこにだって出られるだろう。これ、酒の勢いで酔っ払って言ってんじゃないよ。俺は全日本を辞める時に元子さんに「馬場さんの7回忌までは頑張って下さい」って言われたから…当面はW Jにカツコつけさせなきゃいけないけど、2005年1月には馬場プロ所属として馬場さんの7回忌の興行に出るつもりでいるから。マグナム、これが俺のプランだよ。」

マグナム「その時は協力させて下さいよ。でも、その前に… ブン殴る機会を絶対に作りますんで(笑)

週刊ゴング991号 天龍とマグナム東京の対談

なんだよ、これ、でも面白いな、だけどきっと酔っぱらって行っているんだろうな、WJもだめだったし、なんて思っていたのだが、そこは男、天龍源一郎、みごとに現実にしつつある。天龍が全日を退団することを馬場に告げた時、「社長にするから残ってくれ」と馬場が言った、というようなことが言われている。それから15年後、元子オーナーのもと、馬場プロの社長は天龍となった、そんな気がする。

「これも全日本」(過去ログ)