寺山修司をめぐる人々、事件

競馬を教えたのは誰だ

このころ同室の朝鮮人に賭博、競馬を教わったらしい。らしいというのは例えば、競馬をはじめたのは、退院してからまもなくだったが、競馬場へ行ったのは大分あとになってからである(黄金時代)との記述があるのだ。 
始めて寺山を競馬場に連れていったのは誰なんだろうというのも諸説あるらしい。「黄金時代」のなかの記述は山野浩一になっているが、実は私なのだといっていた人がいた。あれは誰だったのだう。追悼番組で誰かが言ってました。(萩元晴彦だったかな)ちなみに山野浩一が連れていったのは中山だそうです。 酒場のバ−テンをしていたときのマスタ−という記述もある。(花嫁化鳥)

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「一匹」

NHKテレビ劇場で45分間番組として昭和38年1月に放送される。
農村の少年が主人公で、ある日少年のかわいがっていた牛の太郎が売られたところからドラマははじまる。少年は太郎を追いかけて東京にむかうが、上野駅の雑踏でさまよったあげくとうとう品川の食肉工場にたどり着く。すで太郎はただの肉にされたあとで、少年は
冷蔵庫にもぐり込み肉の行列のなかで、その不気味さに見とれつつ肉に話しかけ、その中の一つに母親にするようにしがみつき、激しく泣く。演出和田勉

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自殺 

青森高校時代に組織した青森高校文学部会議の設立メンバ−のうち近藤昭一、塩谷律子は自殺している。京武久美は健在。

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19歳のブル−ス

ネルソン・オルグレンの「朝はもう来ない」をモチ−フとして映画化を目的に書かれたが、結局映画化にはいたらなかった。内容はボクサ−志望の暴力団の青年が、金欲しさに他人の罪を引き受けて刑務所に入る。二年後出所するが、ふとしたはずみで一人の学生を殴り殺してしまう。翌日の試合で八百長のKO負けを拒否したが反則負けとなってしまう。試合後刑事に連行されるシ−ンで終わりとなる。

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中村一郎

中村一郎はRKB毎日放送(現ラジオ九州)で放送された。ディレクタ−だった久野浩平に求めによりタイトルを「空を歩こう」から中村一郎に変更した。 ドラマの主人公の中村一郎は保険の外交員だが、空中を歩く特技をもっている。そして街の人気を得ることになる。「今や中村一郎の名は石原裕次郎よりも長島よりも、いわんや朝汐よりも少年たちの英雄になりました。」中村一郎は空中を歩くのが次第にいやになり、英雄騒動は放り出し姿をくらましてしまう。ドラマの結末では中村一郎は変装を見破られ、「幸福は平凡な毎日のなかにしかないんだよ」と告げる。 

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中野トク

三沢一中の国語の教師だった。寺山の文才を見ぬき可愛がった。寺山にとってこの教師は母のかわりだったのか、慕っていた。寺山から中野にあてた手紙は今も75通ほど残されているという。

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山田 太一

小田原高校卒業後、一浪して早稲田大学教育学部国文学科に入学。入学後河出書房の「文藝」の学生小説コンク−ルで自作に入選。寺山はその「文藝」を読んで早速山田を探し出した。「僕もチェホフ祭という歌集で「短歌研究」の新人賞を取ったんだ。」 

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ネルソン・オルグレン

1931年シカゴ生まれ
「朝はもう来ない」(宮本陽吉訳 パトリア刊)を「新宿でバ−テンなどをやっていた私は、誰かが終電車に忘れていったこの小説を三度繰り返して読み、とうとうネルソン・オルグレンに手紙を書いた。1ヵ月ほどして、返事が来、それから二人の文通が始まった。」(誰が夢なき)
オルグレンの他の作品では「黄金の腕」(高橋豊訳 早川書房刊)「CHICGO」「A WALK ON THE WILD SIDE」とくればル−・リ−ドの解説もいるな。

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中村一郎と大人狩りってこれもまた

久野はこのころ2作続けて受け取った寺山の作品に関して奇妙な事実に気がつく。 

有名なアメリカのラジオドラマに「この虫10万ドル」というノ−マン・コ−ウィンの作品がある。このドラマの内容は、主人公である芋虫が音楽にあわせて踊る芸当をもっているために、この虫の飼い主は大儲けする。「昆虫界のフレッド・アステア」はやがて蝶になり飼い主のもとから空へとびたってしまう。やはりアメリカの傑作ドラマに「都会の陥落」とうア−チボルド・マクリ−シュによる作品がある。このドラマでは冒頭から演出家が「皆さん、この放送はある都会の皆様方にお送りするものです。・・・・・」というふうに聴視者に語りかける仕立てである。久野はこの2作品が寺山の作品のもとになっていると考えた。 1935年に2月に久野の後を引き継いだディレクタ−によりRKB毎日放送により放送される。

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大人狩り

1935年に2月に久野の後を引き継いだディレクタ−によりRKB毎日放送により放送される。 
放送は「革命を煽動するもの」として問題になり、遂に福岡県議会の議題にまでなった。一つは、このドラマの始まりが、「今夜はラジオ劇場を放送する予定でしたが、福岡市内に子供の暴動が発生したので、その模様を中継いたします・・・・・・」というニュ−の
パロディになっているため、視聴者に混乱を与えた、という理由。そして、もう一つは、
「暴力を肯定したエログロナンセンスの低俗作品だ」という理由であった。 

釈明を求められたラジオ九州の管理職が、議会であやまったとき、私は流石に怒った。これは暴力を肯定するものではなく、むしろ逆であり、イデオロギ−を問わず一切の政治権力の中に潜む小児性を拡大したものである。だれがきいてもマンガだと思えるほど誇張しているので、視聴者が事実と思い込むことなど考えられない。第一、議会がラジオの内容に制約を加えるとしたら、それは表現の自由を奪おうとするものではないか。(「黄金時代」)

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「Q」

刑務所長の特命をうけて釈放された主人公の小林Qが「Q」と叫んで次々に労働組合の幹部や大臣などを鼠にかえてゆく物語で「大人狩り」に似た印象を持っている。結末は廃墟になった街に鼠にかえられた全学連のデモ隊、警官隊が人影のかわりにうごめいている。主演は田中邦衛、相手役に九条映子、音楽に山本直純。この作品でもフランスの演劇作品の「犀」に内容がそっくりという指摘があった。「犀」は最後に人間がみんな犀にる話らしい。日本でも文学座がアトリエ公演した。

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映画「夕陽に赤い俺の顔」「わが恋の旅路」

2作品とも松竹作品。篠田正浩監督で、その助監督に山田太一。

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永福町の新居

永福町に新居を借りる。家賃2万円、大家は転勤で家を空けることとなった大手建設会社の社員。九条はこれを週刊新潮の誌上で募集した。

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寺山の結婚とはつ

もちろん母のはつはこの結婚には初めから反対し、それを振り切り寺山は九条との生活を始めたわけで、はつの息子の裏切りに対する怨念についてのエピソ−ドは恐ろしいほどのものがある。数日おきの夜の投石は勿論、玄関先に入院中寺山が着た浴衣に火をつけ放置するとうことまでしたらしい。

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イタリア賞 

RAIイタリア放送協会から毎年すぐれたテレビ、ラジオに対しておくられる賞でさしずめテレビラジオのアカデミ−賞。今もやっているかは不明。

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「あなたは」

たしかNHkの番組。まちにでて通行にをつかまえ、いきなり「あなたは」とマイクを突きつけるというとても寺山らしい構成で、それの様子を遠くからカメラがとらえている。女性アナウンサ−が毅然と正しい発音で質問するもんだから、サラリ−マンのおじさんなどはおどおどしてしまったりするという、ねらい通りの展開になった。テレビカメラなんか全然刺激にならなくなった今では出来ないかも。

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「ああ荒野」

初版の表紙には寺山が白の上下の背広で胸に赤い薔薇をさしているそうです。ジゴロ風の寺山とも書かれている。新宿を舞台としているが、60年代の新宿文化を知る上でも興味深い作品。

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「コメット・イケヤ」

NHKの佐々昭一郎により企画される。「星を数えてるうちに大人になったらいいな」という佐々木の一行に寺山が感心し台本を引き受ける。内容はイケヤ・セキ彗星を発見した日本人アマチュア天文家2人を素材としている。この彗星、周期1千年の巨大彗星らしいですけど、今覚えているひとっているんでしょうか。

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「おはようインディア」

NHKの佐々昭一郎により企画され、寺山が詩を書き、佐々木が台詞を書いた。日本語による弁論大会で優勝した正確で綺麗な日本語を話すインド人留学生と千葉に住む少年をあわせ犬を探す日記形式のドラマ。45分の番組で前年に初放送されたのち、1時間に延長されて祭放送される。

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天井桟敷の人々

設立時メンバー

寺山修司 横尾忠則 東由多加 林権三郎 支那虎 竹永敬一 小島嶺一 高橋敏昭 高木史子 大沼八重子 萩原朔美 桃中軒花月 斎藤秀子 青目海 濃紫式部 九条映子

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昭和精吾

天井桟敷の切り込み隊長。伝説の「力石徹の告別式」で弔辞を読んだり、「邪宗門」では最後に観客にむかってアジテーションの詩を投げつける。「さあ芝居は終わった、この続きはお前達がやれ」本番中にいきなり、寺山にいわゆる「突っ込み」という台本を渡され、舞台袖で一生懸命覚えたり、観客席にむかって発煙筒なげたりしたそうです。「李庚順」を目隠ししながら朗読する舞台は、改めて詩は人の口から語られてこそ、本当のこわさがあらわれることを感じさせてくれる。「アメリカよォ」と叫ぶこの詩の朗読はまさに白眉、必見。

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若松 武

後期天井桟敷の代表的俳優で、寺山のシュールな世界を誘発させたと思われる。舞台だけでなく、映画でも寺山にその独自な肉体的存在感を強烈に引き出されている。いわば天井桟敷の独特な身体言語は彼によってもたらされたといってもいいだろう。彼無しには寺山の仕事は考えられない。その後「ニナガワ・テンペスト」「野田版・真夏の夜の夢」にも出演。

こんな解説では不十分、是非ともこちらで最新情報を確認してください。ダメダメ団ゆき

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三島由紀夫と寺山修司

「演劇の神は必然か偶然か」というタイトルで対談。

三島が赤軍派について、政治的な言葉と文学的な言葉を混合していて破綻が見える、という発言をしていることについて、「しかし政治的言語と文学的言語の波打ち際をなくしてゆくという、わけのわからない乱世のなかにおもしろ味があるんですよ。」と反論した。

三島「それでは文学も駄目になるし、政治も駄目になるとおもうんだよ。」
寺山「両方だめになってもいいんじゃないかって感じがあるんですよ。(笑)」

三島「必然が芝居のスピリットなんだよ。」
寺山「必然性というのも、偶然性の一つです」「出会いがすべて必然だと思うとこわいですよ」

すでにこの時三島は死を決意していたという。

三島「君の方が長生きするわ」

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三島由紀夫自決

この知らせを寺山は病床で昭和精吾から聞いたという。「昭和よ、桜ははやすぎた」とつぶやいたという。

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