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12-17 月蝕歌劇団、東京・下北沢のザ・スズナリで「邪宗門」を上演する。
呪術音楽劇としてJ・A・シーザー、初演時に鞍馬天狗(てんぐ)を演じた昭和精吾が同役で登場。
田中こずえ、高野美由紀、宗形恵、吉見絹、斎藤小百合らが出演。
「初演の舞台に衝撃を受けた」と語る演出の高取英は、七年前にこの作品を脚色して「新・邪宗門」の名で上演。
「劇全体を黒子が操り、劇が崩壊した後に黒子集団が素顔を現して物語を語り始める。二重構造を持った寺山の世界を忠実に再現してみようと考えている」
*** J・A・シーザーの結婚披露パーティーの席に寺山から電話が掛かってきた。
根本豊が受話器を取ると、なまり懐かしいあの独特の言い回しで、「こっちは、これからいい季節になるので遊びにこいよ」。この数日後、万有引力は「奴婢訓」のロンドン、フランクフルト、コペンハーゲン公演に旅立った。
寺山の書斎の一部や彼の誕生日に向けた友人知人のメッセージを展示する。映画、ビデオ、講演会など
▽29日午後7時=短編映画「迷宮譚」「消しゴム」「二頭女」
▽30日同7時=ビデオ書簡と谷川俊太郎の講演
▽12月1日同2、5時=長編映画「田園に死す」
▽6日同7時=ビデオ「レミング」天井棧敷最終公演
▽7日同2、7時=長編映画「さらば方舟」
▽8日同2、5、7時=短編映画「草迷宮」
出演:瀬間千恵、蘭妖子、浅野泉、サルバドール・タリ 他演出:J・A・シーザー 装置:小竹信節 照明:木下泰男
前年のヨーロッパ公演の報告会。
「世界もまた寺山演劇を待っていた。十二年ぶりのロンドンでは、旧友たちが心のタイム・スリップだ、と言って目をうるませ、実験映画のプロデューサーは、ロンドン郊外にある古い邸宅を舞台に映画化したいと話していた。他の都市でも感動の連続で、再演ということをいろいろ考えさせられた」(シーザー)
「ポケット判「ちくま日本文学全集」全50巻の一巻として出たもので、神田や大阪梅田の書店でベストセラーになっている。廉価版とは言え、珍しいことではあるまいか。もしも、買い手が若い読者とすれば、寺山修司は九〇年代に甦(よみがえ)るかもしれない。」と当時の新聞は予言した。今の状況で言えば、素晴らしい予言であった。
「百年たったら帰っておいで、百年たてばその意味わかる」の歌が彫られた碑は粟津潔のデザインによる。九條今日子さんらが出席した。
「作品にゾウが登場しないのに、ゾウのにおいがした。まるでサーカス小屋のようだ、と思っているうちに、不思議な現象が次々と起こる迷宮の世界へ入り込んでしまった」「人に命令されるのは嫌だった」「音楽は寺山さんに聞かせるためにやっていた。その一念でした」「日常を同時に虚構化、演劇化していく。寺山演劇を世界に伝えたい」
昨年の「奴婢訓」の再演を、「やらなければ良かった」「英国でも、せりふ劇やバラエティー的演劇が主流になっていて、形だけをポーっと見ているうちに芝居が終わってしまっている。根底に流れているものが、見落とされている時代だけにやりづらい」「何人かが集まって、照明や音響があれば、芝居は形になる。その形を大事にする人は多いが、なぜそんなにあわてるのか。台本がないと芝居が出来ない役者が増えたが、作家の奴隷にならなくていいはず」
エッセー:横尾忠則、アジテーター:鶴見俊輔、短歌:福島泰樹、俳句:小林恭二、映像:田原総一朗+林海象、演劇:山崎哲、九條今日子と高取英が企画のまま実現しなかった寺山の仕事についてふり返り寺山がいまも生きていたら表現世界に何が起こっていたのかについても言及している。
高尾霊園の高乗寺にて葬儀が営まれる。三沢の寺山修司記念館の話がでてから6日、三沢市との間で寺山の資料の寄贈契約を結んでから2日後だった。
「人間関係という座標軸に様々なエピソードを交錯させながら、人生という名の舞台裏を暴くオムニバス形式の叙事詩。箱状の舞台装置だけで展開される、想像力による奇術劇だ」「『リア王』にしても、あくまで寺山演劇の手法による舞台だった。シェークスピア演劇という言葉があるように、寺山演劇という言葉を残したい。万有引力は、創作劇ばかりを上演するために発足したが、今後は寺山のラジオドラマ時代の作品の演劇化を試みて行く」
5000点を超える遺品、資料の整理が始まった。自宅には小学校、中学校の通知表、賞状から寺山さんが主催していた劇団「天井桟敷」の全29作品の生原稿、ポスター、チラシ、世界の馬切手、プライベートフィルムなど。
「レミング○壁抜け男」は天井桟敷の最終公演作品。初演は1975年の晴海・東京国際貿易センター。今回は、1977年に新宿の紀伊国屋ホールで再演された改定版を上演する。
「ひとことで言えば、壁の消失によってあばかれる内面の神話の虚構性の検証である。今日、我々は無数の壁に取り囲まれている。壁の消失は個の内面の消失の問題でもある」と解説している。
舞台美術・衣装・メーク:小竹信節 出演:瀬間千恵、蘭妖子、サルバドール・タリ、根本豊、水岡彰宏、高田恵篤ら
「記念の年だけに、師に薫陶を受けた一人として、寺山戯曲を手掛けるのが夢だったが、男優中心だった天井桟敷の作品を、女優中心の劇団でどう上演するかで悩んだ」「少年から青年へと成長していく寺山自身が投影された作品を、少女歌劇で再現してみたい」(高取)
と狙いを語る。
少年役のは、「子供のころの記憶をそのまま大事に温めている思春期の少
年。その繊細さを表現できれば」と話す。
演出:高取英 共演:高野美由紀海津義孝 桜井一葉斎藤小百合 吉見絹ら
二人の詩人が挑発し合うビデオのやりとりは興味深い詩的対話になっている。
第一信は谷川から寺山へ。セピア色の古い写真を十数葉見せた後、寺山の新しい詩についての感想を述べて谷川の挑発が始まる。寺山の返信は「谷川さんは言葉にすると何でもかっこよくなってしまうっていうけど、言葉にでもしないとたえきれないこともときどきある」と谷川の感想に反発を示す。「言葉、言葉」とつぶやきながら吹き出物の目立つ自分のうなじやひざ、背中を映し「これが僕の近況です」というくだりが痛々しい。
寺山の弱々しげな反発を受けて谷川はさらに挑発的に、紫と緑の色のついた液体が流動しているさまを映した環境ビデオ風の映像とともに各国語の音声を次々に流しただけの返信を送る。それを寺山は「言葉をたくさんありがとう。でも、問題は言葉が文字でも音声でもなく、意味だということです。意味だけが滅びかけているもの、壊れかけているものを立て直すことができる。そう思いたいんだけどどうでしょう」と受ける。
ここから第十信まで二人の意味と無意味を巡る対話が始まる。「意味」にこだわり続ける寺山と、「命って意味以上のものじゃないかな」と優しげに語る谷川。
第十一信からは「私」を巡る対話。「私はだれでしょう」「これはわたしの詩ですか」と結ぶ谷川の手紙や、自分のIDカード類を映し出しながら、「たぶんぼくは日本人である。たぶんぼくは……である」と語っていく寺山の手紙などはほとんどそのまま映像と言葉による詩だ。
谷川の「言葉が眠るときどんな世界が目覚めるのか」という問いかけで終わる第十五信への返事はなく、寺山の死の直後に谷川が撮ったレクイエムのような第十六信でビデオは終わっている。
制作総指揮:酒井正利
大槻ケンヂ、山崎ハコなど16アーティストが共演
廃虚のイメージで造り上げられた会場に、のぞき箱や三十台程度のモニターテレビを所々に配置し、映画のカットや写真、人形、寺山のことを語る様々なビデオなどが、箱やテレビをのぞき込むと見えるという仕掛けなどあった。
ハイセイコー、テンポイント、ミスターシービーなど名馬十二頭を、寺山の詩や文章とともに写真で紹介。このほか、十二頭のサラブレッドのビデオコーナー
命日にあたる五月四日は午後六時からトークショウ
司会:作家石川喬司 吉永正人調教師作家吉永みち子 小説家高橋源一郎
4-5 劇団赤い風「犬神」
6-7 昭和精吾「われに五月を」(J・A・シーザー演出)
7 川尻育 舞踏「点滅して光なり」(7日)、天井桟敷
8-9 蘭妖子のコンサート「惜春鳥」
「表面上はペストの流行と、それに立ち向かう人間の話となっています。しかし、疫病と同じように伝染性を持った演劇の感化力をテーマに書かれた作品。寺山が生きていたら、どう演出するか、の発想から取り組む」(シーザー)
「書を捨てよ町に出よう」「さらば箱船」「田園に死す」「ボクサー」「草迷宮」など中長編六作品と実験映画十四本が上映された。
長編映画を上映するほか、脚本作品の「乾いた湖」「初恋地獄篇」などとあわせて、演劇をビデオ化した十三作品も公開される。
「さらばサラトガ」(昭和四十二年)は、名馬をモデルにした長編叙事詩。名馬と同じ牧場に
生まれたサラトガと、牧場主の息子の数奇な運命を描く。
「コメット・イケヤ」(同四十一年)
は、すい星を発見した青年と、同時期に蒸発したサラリーマンをオーバーラップさせた作品。
「恐山」(同三十七年)は、生まれ故郷・青森にこだわり続けた寺山が、実際に恐山に登っ
た後、一気に書き上げたものだ。
私が忘れた歌を、だれかが思い出して歌うだろう。私が捨てた言葉は、きっとだれかが生かして使うのだ」
「水葬記」は実際に起こらなかった過去も、歴史のうちである、とする虚構の過去の物語。どういうわけか宗教を取り上げている。年代順に読んでゆくと、後に演劇にのめり込んでいった作者の心の軌跡がしのばれる。
「夢を深く見すぎると、いつかその夢に復讐されます。かと言って、夢を見ようとしない人は、いつも味気ない日を過ごさなければなりません」
出演:毛皮のマリー(美輪明宏)、下男・醜女のマリー(麿赤児)、息子の欣也(いしだ壱成) 美少女・紋白(池田有希子)、名もない水夫(菊池孝典)
演出:ハンス・ペーター・クロス
美術:ジャン・ハース
衣装:ワダ・エミ
第一部 昭和精吾の短歌の朗読「われに五月を」
第二部 仮面劇「犬神」昭和精吾の構成・演出・出演
音楽:J・A・シーザー 出演:昭和精吾桜山優 須崎達子清水直子 斎藤真衣
製作:流山児祥 演出:生田萬音楽:宇崎竜童
「星の王子さま」(68年初演)は、前年に発表された「毛皮のマリー」の姉妹篇。
「寺山修司記念館」は青森県三沢市が建設している。寺山の母はつさんから寄贈された約二万点の遺品の分類作業が進められている。
設計は栗津潔のアイデアで、母親の帰りを待ちわびて柱時計の前に立っていたという寺山のエピソードにならい、柱時計をモチーフにデザインした。また半円形の展示室は劇場をイメージ。
寺山が学んだ市立古間木小学校などの同級生がメンバーとなっている五月会(下久保作之佑会長)が積極的に動き、九二年に寄贈された。
遺品は小説の生原稿や、映画・演劇のポスター、身の回り品など。中でもスクラップブックは百八十六冊あったという。
寺山の詩を杉本清アナ(57)俳優小林薫(43)調教師柴田政人師(46)作家伊集院静氏(44)ら8人が、音楽に乗せて朗読している。
寺山が作詞を担当した応援歌「がんばれ長島ジャイアンツ」やラジオドラマもCD化されている。
この作品は1972年、イランのシラーズ・ペセポリス国際芸術祭で上演された、天井桟敷の「血の起源」の上演記録を基にJ・A・シーザーが再構成した。「イランでは即興的に演じたので、録音テープから詩を起こしたりした。ト書きにも曲をつけ、三十曲以上の歌を作った。僕自身、音楽家なので、歌のプロフェッショナルでない俳優が歌う演劇、オペラ風演劇を作ろうと考えるようになった」「僕の中で寺山さんが増殖している」(シーザー)
出演:瀬間千恵 蘭妖子サルバドール・タリ 根本豊水岡彰宏
唐組「ジャガーの眼」は、86年の状況劇場で初演。「唐版・臓器交換序説」と高い評価を受けた。三演目になる今回は、今年が十三回忌にちなみ、冒頭に寺山の一連の短歌を歌う男が現れた。「『ジャガーの眼』は、卵母(卵細胞組織)など人間の肉体の一部や微細なものを追求する現在のカンテン堂灰田シリーズの契機となった作品。今回は改訂版として、戯曲の一部を変えている。また、第七病棟へ執筆するのは、いつも楽しみ。オウム真理教のある事件から題材を取り、僕らしく逆転して展開してみせた」
映画を高取英が再構成した。
「父性愛にも似た感情で『私』をかわいがりながら、最後は残酷にも裏切る。愛から憎へと変わっていく『彼』の心境を演じることが新鮮」と高野美由紀。「寺山さんの原点に出合ったような驚きと喜びを感じています。幻想的で挑発的な場面と合わせ、観客がかたずをのむような舞台に仕上げたい」
演出:高取英 出演:高野美由紀吉岡ちひろ 一ノ瀬めぐみ吉田香織 昭和精吾ら
選考委員は岡井隆、篠弘、玉城徹、馬場あき子、山中智恵子、雨宮雅子氏 樋口覚氏
賞金は二十万円。
出演 美輪明宏いしだ壱成 磨赤児
「我々は普段常識に従って生きている。いかにそれがくだらなくて、真理とは違うかということを伝えている」(美輪)
J・A・シーザー作曲「五月の詩」などを歌う。
自伝的色彩の濃い短歌集「田園に死す」、叙事詩「地獄篇」を、寺山の演劇や映画に欠かせないシーザーの構成・演出・音楽・美術で上演
バルトークによってオペラ化された「ミラクル・マンダリン(中国の不思議な役人)」をもとに、寺山修司が台本を書き下ろし、1977年、寺山自身の演出、J・A・シーザーの音楽で上演された。中国の不思議な役人は、不死の薬によって生き続けていて、少女の真実の愛を得ることによってしか死ぬことができない。彼はついに一人の少女と出会うが、生きようと思った時に死を迎える。
高取英は、「草迷宮」(原作・泉鏡花)の一部を引用、再構成した。
演出・構成:高取英 音楽:J・A・シーザー出演:一ノ瀬めぐみ 高野美由紀香川耕二 吉田香織児島巳佳
「禁じられた遊戯」(8-11)天井桟敷ワークショップ台本「引力の法則」と、その素材となった寺山のラジオドラマ「コメット・イケヤ」を照応しながらシーザーが構成。今回は、女優のみにて演じる。「男優に比べ女優は本番の舞台で余裕がない。遊ぶことができない。寺山さんも、亡くなる3年前程、女優が育たないことを嘆いていた。『女優とは何か』の序章のつもり」
「南十字星を撃て」(12-16)。デフォーの「ロビンソン・クルーソー漂流記」を基に寺山が書いた短編劇「青少年のための無人島入門」が台本。天井桟敷の舞台には「無人島」と呼ばれた50センチ立方の箱があった。「無人島」はいろいろ劇術に使われたが、今回は、数十個の「無人島」が舞台に並ぶ。6人の男優、1人の演技には素人の女性、1人のゲストが漂流し、劇が始まる。男優と素人は本番まで一緒にけいこすることはなく、舞台上が初めての出会いだった。「彼らの引き合う劇的引力の作用はどうか、日ごとにどう変化していくか、実験する」
「この作品は『男・女優のための寺山演劇ワークショップ入門』。ワークショップ、リハーサルでの演技者たちの自由な表現法は、そこで消えてしまう、または、消されていく。そんな作品というものに研ぎ澄まされていく以前の姿のままを、舞台にのせたいという試みです」
構成・演出・音楽・美術・美装:J・A・シーザー。
寺山修司の中学時代の恩師である青森県三沢市の中学校の元国語教師、中野トクさん(75)が、寺山から送られた手紙七十四通を三沢市に寄贈した。青森高校在学中から20代後半までのもので、闘病中のものも含まれている。セーターが欲しいとか失恋したとか、短歌とか、盗作騒ぎの感想とか、この当時の様子を伝える。中野さんは手紙を宝物として手元に置いていたが、同市の「寺山修司記念館」が来夏開館するのを機に寄贈を決心したという。