殴ればどうなるか、普段から「組手」などで殴り合っていればある程度の想像はつくものだ。─1人の人間に対して、4人で4時間半にわたり木刀などで殴り続ければ、その結果どうなるか武術等をしない人でも見当の付くことである。
それにしても、人体の内外傷にくわしいはずのサークルの中心にいる者が、この様な行為のあとに「殺すつもりはなかった」と言うのは非常に不可解な発言である。
この事から解るように、オカルトな世界の中では、彼らの行動は社会的かつ人道的感覚が多く欠如していることが容易にうかがえる。これは、かの「オウム事件」にも通じるところであろう。本来この様なサークル活動は、日本という法治国家の下にあっては必ず「社会体育」として行うべきなのだ。
─最近書店に並ぶオカルト系中国武術本に「からまれた時に殺傷力のある武器を用いて相手を制することも正しい手段である」と暴言を吐く者まで出てきている。─そういう立ち入ったことは、そのような状況に追いつめられた人が、とっさの判断で最終手段(結果を司法にゆだねるレベル)として選択する事であって、このように「社会体育」から逸脱したことを「HowTo」本で正当化発言をするというのは、日本に住む武術家の言葉としては、大いに筋違いであろう。非常識甚だしい限りである。