中国拳法家の真相


 よく中国拳法をしている人たちの会話に、僕のしている拳法には、こんなエピソードがあるんだ珍しいでしょとか、○○時代の誰それは、こんな風に強かったんだ。凄いでしょとか、「内気功(自分の体内の気の性質)」がこなれなければ、本当の強さが得られないから、自分が練習している拳法は、修得に長い年月がかかる等、やたらと自分のしている事に対して「主観的かつ絶対的」なうんちくだけをこねて、話を終えているのを耳にする。大抵は、自分のしている武術を媒体にして、物語りを話したり、自分のことを他人事のように話している事が多い。本来その会話の中にあるべき主人公を置き去りにして......。その主人公とは、まさしくその話をしている本人のことで、自分の格闘技術のレベルは「客観的」にこのように思うから、この様にしていきたいとか、この技の型ではこうだけどお互いが牽制しあった動きの中でこれを使ってみると、こんな風にしてみたら使いやすかった。等の「客観的かつ具体性」のある会話や話をほとんど聞くことがないのである。
 愛知県にいる私の知人が、そんな彼らにこの技はこの様にすれば良いんじゃないかと実際に技を掛けて説明すると、やり方を押しつけないでくれと言うのだとか............。また、1996年12月22日にテレビで放送された「リングの魂」総集編で「中国拳法VS極真空手」というのをしていたが、まともに観ていられない内容だった。空手選手は中国拳法選手の異様さに呆れていた様子で、まともに相手をしていなかったのが印象的だった。拳法選手は、全く相手の動きを無視して型と思しき動きを繰り返すばかりで、本来であれば一発一発を相手(空手選手はほとんど棒立ち状態)に当てるべきなのに「空」に向かって手を出すばかりなのだから、空手選手の方は手を出すにも気持ちが悪いから触りたくないという感じだった。大体、組み手の絶対原則が守られていない相手に手を出すことは非常に危険であるという判断も伴っての事なのだろうが..........、2番手の「酔拳」使いの人は、超スロー「上段回し蹴り」を頭に食らって「ぜんぜんだいじょーぶっすよ」と言って続けようとするからたちが悪い。その様子は「リングの魂」も放送打ち切りだなと思うほど最悪のものだった。これらから、中国武術をしている者の多くは、「主観的観念論者」で、「客観的かつ具体性」のある物差しを持ち合わせていない様に推測できる。

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