岡山に暮らしているのですから一度は見てみたい西大寺裸祭り(2/3)
  
  
  

(左)P.M.7:30 “少年はだか祭り”が始まりました (中)(右)この時間には、まだ境内の中央に一般観光客も入れます

  

(左)はだかたちは、まず、この垢離取場(こりとりば)で体を清めます (中)(右)会陽太鼓(若い女性グループによる演奏)です

  

(左)西大寺観音院の本堂です (中)(右)P.M.9:00〜9:30は会陽冬花火でしたが、なかなか綺麗でした

【西大寺会陽(えよう)】

「西大寺」の地名の由来

 西大寺という地名の起こりは、観音院の古縁起によると、奈良朝の天平勝宝3年(751年)周防国(山口県)の藤原皆足姫が、大和へ行く途中、金岡荘の松中島に上陸して草堂を建て、観音像を安置した。その後、宝亀8年(777年)紀伊の安隆上人が、長谷観音の夢のお告げによってこの草堂を改造するため、周防に帰っていた皆足姫と共に資材を募り、備前へ向かう途中、大槌島と小槌島の間の槌の門まできたとき、俄に海が干潟となり、龍宮の中から竜神が現れ、犀の角を授け「この犀の角を埋めて、この上に堂を建てよ」と告げられた。

 そこで、上人は、金岡荘に着いて伽藍を建て、「犀戴寺」と名付けた。寺の名は後に地名ともなり、承久3年(1221年)後鳥羽上皇が、北条氏調伏の祈願をこめられたときの御宸筆によって、「西大寺」と改められた。

西大寺観音院

--- 1200年の歴史 ---

 正式名称は「金陵山西大寺」といい、高野山真言宗別格本山で本尊は千手観音である。

 宝亀8年(777年)年、安陵上人が西大寺の現地に堂を立て、翌年落成、ここに藤原皆足姫により千手観音をお祀りしたのがはじまりである。

 また、観音院には、銅鐘(国指定重文)、三重塔(県指定重文)、狩野永朝絵馬(市指定重文)など多くの文化財がある。

西大寺会陽(はだか祭り)

 毎年2月の第3土曜日の夜に、西大寺観音院の境内で行われる西大寺会陽(はだか祭り)は、岩手県黒石寺の「黒石裸祭(蘇民祭)」、大阪市四天王寺の「どやどや」と並び日本三大奇祭として知られ、真夜中に御福から住職によって投下される2本の宝木をめぐり数千の裸群が激しい日本一の争奪戦を繰り広げる。

 寺伝によれば、室町時代の永正7年(1510年)に当時の住職忠阿上人が、牛玉という五福のある紙を信徒に授けていたものを希望者が奪い合ってちぎれるので、宝木にかえたのが始まりといわれている。
 宝木は、芥子(けしこ)山(別名、備前富士といわれる)の中腹の無量寿院の原木を取って作られる。
 近年、「少年はだかまつり」や「会陽冬花火」が行われ、祭りを盛り上げている。

はだか祭りシリーズ 備前西大寺会陽

 480年の伝統を誇る修正会の行事で「裸まつり」として有名。
 祭りが最高潮に達するのは、深夜(午前0時)で、2本の宝木(しんぎ)が投げられると、冷水で清めた若者約8,000名が争奪戦を繰り広げる。

●スケジュール

開催日:2月第3土曜日

    19:20〜20:30   少年はだか祭り(餅投げ、宝筒の争奪)
    20:30〜        会陽太鼓(若い女性グループによる演奏)
    22:00〜           同上
    23:00〜           同上
    21:00〜22:00   会陽冬花火
    24:00〜        宝木(しんぎ)投下


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