福山城天守閣からの展望です(2/3)
  
【福山城概要】

 元和5年(1619年)徳川譜代の臣、水野勝成が備後10万石の領主となり、ここ福山に城を築いてから福山の城下町としての歴史は始まりました。
 その後、水野氏5代、代わって松平氏1代、阿部氏10代と廃藩置県に至るまで福山城が藩治の中心となったのです。

 明治6年廃城となり、天守閣、伏見櫓、筋鉄御門、御湯殿を除いてほとんど取り崩されました。
 しかも、昭和20年の戦災により、天守閣と御湯殿を焼失しましたが、昭和41年秋に市制50周年記念事業として、天守閣と御湯殿、月見櫓が復元されました。
 幸い焼失を免れた伏見櫓、筋鉄御門は昔日の姿を止め国の重要文化財に指定され、城地は国の史跡として保存されています。

 福山城は近世築城の最後のものとして、その完成された築城術の粋を誇るもので、全国城郭中、屈指の名城とたたえられていました。
 福山城内の“福山城博物館”は、その歴史と文化を、数々の資料を展示して伝えるものです。

【天守閣】

 福山城の城郭は南面し、天守閣は本丸の北隅に位置している。
 五重六階地下一階、別に二重三階の付櫓をもつ複合天守で、外見は六階のように見える。
 一重目の南北面と二重目の東西面は比翼入母屋、その他の各層には千鳥破風や唐破風を設けている。

 城号は敵追山(鉄覆山)朱雀院久松城(てきおいさんすじゃくいんひさまつじょう)と言い、別名を葦陽城とも言う。

 現在は福山城博物館として、福山を中心とした歴史と文化を物語る資料の展示を行ない、社会教育の文化センターとしての役割を果たしている。

福山市北部方向を展望したものです

 

(左)天守閣より北部方向を展望 (右)天守閣より西部方向を展望したものです

(上)(下)いずれも西部方向の展望で、正面左の建物が“広島県立博物館”で右の建物が“ふくやま美術館”です

  


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