玉葱に食指
玉葱に食指
これは性癖に近くて一般論としては言い難いのだが、なんにつけても完成品というのは苦手のようだ。堂々たる古典的作品よりは草稿やノート類、陶片や素描といった、ちょっとした塗り残しのあるものに惹かれる。これを料理の例しで言うとなれば、調理の完成度よりは素材そのもののほうが好き、ということになるだろうか。だからフランス王のルイ何世だとかが戦陣で、みごとな逸品に調理された革靴を食したという類の話はわりあいに嫌で、それよりもイタリアのどこかの地方では引っこ抜いたままのアスパラガスを焼いて食うだけなのがどこが料理だ、という話のほうにうらやむべき文化を感じる。あるいは逆のようだが、刺身を奨められるほどの魚は、焼いたり蒸したり酢にしたりすると刺身ではそれほど際立っていない素材固有の味がよほどはっきりと分かって結構なものになる、という事実も最近になって痛感してきた。ようするに素材の味が分明であることに喜びを感じる質で、あるとき、わが寓居の周りで数日にわたってカレーやハンバーグを作る匂いが立ち篭めたことがあるが、そのとき何よりも切実に食指が動いたのはカレーやハンバーグではなく炒めた玉葱で、翌日早速バターで炒めただけの玉葱を盛った朝飯には満足した。
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