1997/02/06(THU)

1997/02/06(THU)



きのうは大変な目に遭った。うたた寝をして、目が覚めてみると、股間が異常にぬるぬるしている。やられた! と思った時は遅すぎた。薬のせいか、放射線治療のせいか、このところ頻繁に「濡らしちゃう」のである。
しかも今回は最悪だった。ズボンを下ろしてみると、尻の部分から、陰嚢の裏側まで、べったりとやられている。とりあえず、ズボン下とズボンを脱ごうとしたが、靴下や足に貼った湿布が邪魔していてとても足が通らない。ナーダはいない。一人でやらねばならない。寒いなか、恥部まるだしで、点滴を持ったまま、何度も洗面所に足を運んでタオルを絞って拭く。泣きたくなるが仕方がない。どうにか人心地つくまでに、小一時間かかった。その間に汚物を捨てて、下着から着替えて、一応さっぱりするところまでいったんだから人間いざとなれば大抵のことはやっちゃうもんだ。

この感じをやはり書き留めておくべきだろうか。つまり、放射線の治療が終わって帰ってくるときの、なんとも形容しがたい、なんというか、一種の無力感。そのたびにわたしはこの日記を思い浮かべ、詩を考えて、なんとか持ちこたえようとする。ナーダは、いつに変わらぬ最高の笑顔で励ましてくれる。しかし、この無力感は簡単には解消してくれそうにもない。
別に放射線の治療だけに関わって起こってくるのではない。わたしはほとんどいつも、この無力感に付きまとわれているようだ。なんとかして、克服する必要がある。まず、やはりまだまだ欲があるのだ。欲があるから、無力感も起きる。欲を捨て去れば、無力感も消えるだろう。欲望を捨てる。大事なことだ。そして、欲望といえば、たった一つに絞るのだ。わたしの欲望、それは、詩にかんする欲望だけだと。詩を作りたい欲望。詩集を出したい欲望。これだけに限定された。他にはもうどんな欲望もない。そこまでいかねばならない。詩以外のいっさい、病気にまつわる欲、生活に関する欲、それらは、まあ諦めるしかない。仏教の四諦じゃないけど、そこまでいかねば、この状態は克服できないと肝に銘じるべきである。
詩を巡る欲望、これだけは常に生き生きと鮮やかに輝いていてほしいものだ。
このわたしに関して、欲望といえば、これだけなんだから。
詩に関してだけは、わたしはいつも、だれよりも不良でいたいし、極道でいたい。
そして欲望を全開にしてフルスピードで走っていたい。
詩に関わる欲望。詩作への、そして出版への欲望。目下の具体的な事実に即していえば、とりあえずは、『夏際敏生の印刷物 1969〜1972』が、一日も早く、仕事の流れに入ってほしい。これが、これだけが、わたしの欲望だ。後は、BOOBY TRAP に掲載する詩が質量ともにもっともっといい方向に向かうこと。これも欲望だ。
『印刷物』は、限定100部として、定価は3000円でどうだろう。(高いか?)
わたしの手元に10部おくとして、後の90部が売りに出される。
まあしかし、詳しくは、清水氏ともよく相談して決めることにしよう。

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夏際敏生日記 [1997/01/21-1997/02/22] 目次| 前頁(1997/02/05(WED))| 次頁(1997/02/07(FRI))|