庚申待ち
- 庚申の日に、仏家では帝釈天・青面金剛を、神道では猿田彦をまつって夜を寝ないで過ごすこと。この夜眠ると体内にいる三尸の虫が抜け出て天帝に罪過を告げ、早死にさせるという道教の説によるといわれている。平安時代から一種の宴遊として行われ、宗教的色彩が強まったのは室町以降。庚申。庚申会。おさるまち。さるまち。(大辞林より)
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甲子待ち
- 甲子の日の前夜、子の刻(午前零時頃)まで起きていて、二股大根・黒豆などを供え、大黒天をまつる風習。江戸時代、商家で行われた。きのえね祭り。(大辞林より)
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五代目 古今亭 志ん生
- 本名 美濃部 孝蔵 明治二十三年、東京に生まれる。四十年四代目橘家圓喬に入門。前座名三遊亭朝太。大正十年金原亭馬きんで真打。昭和十四年志ん生を襲名。三十一年「お直し」で芸術祭賞受賞。三十二年落語協会会長。三十九年紫綬褒章受賞。四十二年勲四等瑞宝章受ける。四十八年九月没。(角川文庫 古典落語より)
- ★御存知昭和の名人であります。あたしも大師匠の晩年に、お世話を致しました。将棋のお相手もさせられましたが、随分とインチキな将棋でした。なにせこちらが他の事に気を取られている内に、角が歩を飛び越えて成ってくるのですから。
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八代目 桂 文楽
- 本名 並河 益義 明治二十五年、青森県五所河原に生まれる。四十一年大阪の初代桂小南に入門。前座名小莚。四十三年同名で二つ目。大正六年翁家馬之助で真打。九年八代目文楽を襲名する。三十六年、落語家として初の紫綬褒章受賞。昭和四十六年没。(角川文庫 古典落語より)
- ★現在志ん生師匠ほどの人気はないようですが、素晴らしい芸でした。人形町の末廣や新宿の末廣亭の客席で聴いた「船徳」「景清」「富久」「素人鰻」「鰻の幇間」「王子の幇間」等々。又前座の時に人形町の袖で聴いた「つるつる」は神懸かり的うまさでした。
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フラ
- 噺家個人の持っている独特の雰囲気、おかしさ。フラがあることは噺家にとって強力な武器になる。持ち合わせない人はフラを演出して持つこともある。
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三遊亭 円遊
- 本名 竹内 金太郎 嘉永元年、江戸に生まれる。十六歳で二代目五明楼玉輔に入門。しう雀と名乗る。明治五年初代圓朝の門に移り、円遊と改名。十四、五年ごろにステテコ踊りで、寄席の人気を集めて人気者になり、又大きな鼻も売り物にしたので、「鼻の円遊」と異称されるようにもなった。本来は三代目であるが、初代で通っている。明治四十年没。(角川文庫 古典落語より)
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三遊亭 小圓朝
- 本名 芳村 幸太郎 明治二十五年東京に生まれる。父は二代目小圓朝。四十一年四代目橘家圓喬に入門。前座名長松。二つ目で小圓治。大正六年三遊亭圓之助で真打。昭和三年小圓朝を襲名。昭和十八年船遊亭志ん橋と改名。二十二年再び現名に帰る。四十八年没。(角川文庫 古典落語より)
- ★あたしが前座として楽屋へ入った頃はもう病気療養中でしたが、高座は客の時分に何度も聴いています。きちんと折り目正しい明治の香りのするような高座でした。大変に小柄な人で円楽師匠が前座の頃、立て膝のまま羽織を着せかけて怒られたという話があります。
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柳家 小さん
- 本名 小林 盛夫。大正四年東京に生まれる。昭和八年四代目小さんに入門。前座名栗之助。十四年二つ目で小きん。二十二年九月真打。小三治と改名。二十五年小さんを襲名。三十八年「粗忽長屋」で芸術祭奨励賞を受ける。現落語協会会長。(角川文庫 古典落語より)
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林家正蔵
- 本名 岡本 義。 明治二十八年、東京に生まれる。大正二年三代目三遊亭円遊に入門。前座名福よし。後、四代目橘家円蔵に移門。大正十年三遊亭円楽で真打。昭和四年蝶花楼馬楽と改名。二十五年八代目正蔵を一代限りで継ぐ。晩年正蔵を返し林家 彦六となる。四十年芸術祭奨励賞受賞。四十三年紫綬褒章を受く。(角川文庫 古典落語より)
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ヒザ前
- 真打(とり)の前に上がる色物のことを、ヒザと呼びます。ですからその前に上がる出番をヒザ前と言います。平日の末廣亭や浅草演芸ホールは昼夜入れ換えがありませんから、夜の部のこの出番までには30本以上の噺が出てしまいます。それらをよけながら真打根多(とりねた)以外の噺をしなければならないと云う大層キツい出番です。
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前座
- ご承知の通り、噺家の位には前座、二つ目、真打と有ります。前座はまだ一人前の噺家として認められません。いわば養成期間と言えば体裁は良いのですが、何せ世間とはいささか違った感覚の世界ですので、その洗脳期間と言ったほうが正しいかも知れません。入った時は素人ぽかったのが二つ目になる頃には噺家の良いところも悪いところも身につけて、何となくそれらしくなってくるのが面白いところです。
- 前座の仕事はご存知高座返しもちろんのこと、師匠方へお茶を出したり、着物をたたんだり、ワリを渡したりと常に廻りに気をつかう雑用ばかりで、言わばおとこ女中同様です。これを三〜四年やって二つ目になります。後年噺家が所帯を持つと女房がのろ間に見えて仕方なくなる訳であります。ハハ
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二つ目
- 二つ目になってようやく雑用から開放され、羽織を着て高座に上がれるようになります。正直言って真打になるよりはるかに嬉しい。その代わり経済的には前座の頃より苦しくなります。寄席だけでは食べられませんから、自分で仕事を開拓しなければなりません。噺の稽古もあるしでなかなか大変なのですが、なぜか二つ目になるとみんな太り出します。ほとんど二つ目病とも言うべきものです。
- ありあまる時間を、どう使うかが難しい時期です。
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真打
- 寄席で真打(とり)を取れる噺家が真打(しんうち)です。真打(しんうち)になって始めて師匠と呼ばれます。なった当座に師匠と呼ばれるのは結構きまりの悪いような、嬉しいような妙な気分です。
- 真打(しんうち)の披露目の興行の時に始めて真打(とり)を取るのもそれなりに緊張するものですが、その後始めて寄席から依頼されて真打(とり)を取る時は大変に緊張します。何しろ自分の後に上がるものがない、と思うと失敗が許されない気持ちになって何をやったら良いのか根多の選択に困ります。あたしの時は同じ噺を六回ほどかけてしまいました。
- この真打(とり)を取り終えて始めて噺家は真打(しんうち)らしくなると、あたしは思います。現在真打(とり)の事を寄席では主任と言っていますが、何か野暮な言い方ですが責任が有ると云う事では演者からして「なるほど」と思いますね。
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仲入り
- お芝居の方の幕間、休憩時間の事。或いはその休憩前に上がる出番の事を云います。
- 昔は映画館同様仲入りになると売り子さんが出て弁当や飲み物を客席に売りに回ったものですが、現在は末廣亭くらいでしょうか。その又ずっと昔は前座が寄席くじと云うのを拵えて売って回り、その上がりを小遣いにしていたそうです。
- 又出番としての仲入りを現在中トリなどと言ったりしますが、そもそもそのような言い方はありませんでした。
- おそらくNHKの紅白歌合戦あたりが言い出したものだと思います。古い噺家さんですと中トリなどと前座が言ったりすると「そんな言葉はない」と叱ったりします。あたしはなぜかこの仲入りの出番が大変に多い。
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くいつき
- 仲入りの後に上がる出番の事を言います。
- この出番に噺家が上がると、まだお客様が仲入りで買った食べ物にくいついていることからそう言われてます。小せん師匠は以前この出番に上がると「用を足す方は用を足しまして、中にはほのかなるジャスミンの香りを漂わせながら席にお付きになる」と、笑わせていました。
- 仲入りで時間を取られていますから短い高座時間で客席のざわつきを静めて、なおかつ白けさせてはいけない、難しい出番です。
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ヒザがわり
- 真打(とり)の前に上がる出番の事で色物が上がります。ただ単にヒザとも言います。大阪ではモタレと言いますが、ヒザがわりの方がどこか色っぽくて良いですね。ここもなかなかに難しい出番で、後から上がる真打のやり易い雰囲気にしなければなりません。まだ新しい真打ですとヒザがお客様をあまりウケさせてしまうと、大変に緊張してしまい、やるつもりだった根多を変更してしまったりします。寄席の枠からはみ出した芸で噺を聞く雰囲気を壊してもいけません。寄席は出番によって役どころが有りますから、それを心得ていなければならず色物の芸人さんも大変です。
- 噺の邪魔にならないと云う事で昔の師匠方は良く音曲の方を使っていました。
- 志ん生師匠は鯉香さん、圓生師匠は西川たつさんと云う音曲師をよく使っていました。かつての人形お鯉さんのような陽気で達者な音曲の方は出てこないもんでしょうか。
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- 冗談落ち
- 噺の中途、あるいは下げの無い噺の時などに「冗談言っちゃ行けない」と言って下りてくることを言います。近頃寄席などでは持ち時間が少ないのでこの冗談落ちが横行しています。出来れば下げまでやりたいのですがやむを得ない所です。
- ある二つ目さんが「真田小僧」をやって「按摩さんがおっかあの肩揉んでたんだい。貰ってくよぉ」「あー、泥棒っ」「冗談言っちゃいけねぇ」と言って下りてきましたが、この「冗談言っちゃいけねぇ」は誰が言ったんでしょう。何でもつければ下げになると云うもんでもない。(^^;;
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- 落語はたいていは噺家がいくつもの役を演じながら進めていきますが、地噺はそうではなく噺家自身がお客に話しかけていく形で進めていきます。つまり地の部分が多いところからそう呼ばれます。筋を進めていきますので漫談とも少し違うのですが、まぁ、それに近いものです。口達者な噺家が得意にしてやる場合が多い。品川の圓蔵師匠なども得意だったようです。あたしの印象に残るのは談志師の「源平盛衰記」でしょうか。まさに立て板に水の見事さは忘れられません。もっとも大分以前の事で、近頃は知りません。(^^;;
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