景清
指し物師の定次郎が目を患い仕事が出来ずに悩むのを、贔屓の旦那の勧めで清水の観音様に願をかけ日参をする。満願の当日に目の開かない事に腹を立て、観音に恨み言を言うのを旦那に諭され、池之端の弁天様にお参りをした帰りがけ俄の夕立に遭い近くの落雷に目を回し倒れる。再び気がついた時には開眼しており、おふくろを連れてお礼参りをする。
 
★上方からの移植根多。文楽師が十八番で良くやっていました。あたしが客の時分、師が新宿の真打の時一番前で聴いていましたが、声がびんびんと体に響いてきてとても七十過ぎの老人とは思えませんでした。本来上方では、鳴り物が入って観音様が現れると景清の目を貸してくれます。とたんに定次郎が悪七兵衛景清に変わり殿様の行列を止め名乗りを上げると、殿様が「気がちごうたな」「いいえ、目が違いました」と下げるのですが、せっかくの噺がどうも。やはり文楽師の型のがいい。変えて良くなった典型の噺でしょう。なお定次郎は上方では鍔師、文楽師は彫物師です。
  「第参番蔵出し」の寸釈をご覧下さい。
火事息子
大店の質屋の近くで火事が起こる。旦那と番頭が懸命に土蔵の目塗りをしているところに、屋根を伝って助けに来た男は、火消しに身を投じ勘当になったこの家の一人息子の藤三郎。番頭の計らいで久方ぶりに渋る父親と再会し、父親は小言を言いながらも母親に会わせる。
 
★本当に佳い噺です。江戸の気分が横溢をしてあたしの好きな噺です。
先代三木助師は、夢を見ているところから入りますが少し凝り過ぎの気もします。
「第二十四番蔵出し」の寸釈をご覧下さい。
・子別れ(子は鎹)
大工の熊五郎は腕はいいが惜しいかな酒が好き。仕事の合間に酒を飲んでへべれけになっては子供の見ている前で女房を叩く。流石に女房もあきれて子供を連れて家を出る。熊五郎は吉原の馴染みの女郎を引っ張り込むが女は男を拵えて出て行く。三年後たまたま木場へ行く途中に我が子の亀坊に出会い母子が苦労をしているのを聞いて後悔をし、翌日子供に鰻を食べさせる約束をする。子供からそのことを聞いた母親は子供の後を追って鰻屋へ行く。三年ぶりに夫婦は再会をし、ぎこちないところを子供に助けられ元の鞘に収まる。
 
★人情噺の中ではポピュラーな噺。子供が出てくるのでお客様にもはまりやすい。ただ演者があまりお客を泣かせようとかかるとかえって嫌みになります。子供は悲しくて泣くのではなく悔しくて泣くので、子供に泣かせの台詞を言わせるのはやり過ぎだと思います。この手の噺は落し噺の息でやるのがちょうどいい様です。
大概は三つに分け、上を「強飯の女郎買い」中は女房の家出から女郎に逃げられるまで、下を「子は鎹」としてやります。人情噺には珍しく柳派の噺でたいそう当時から流行ったようです。それにあやかろうと圓朝師が「女の子別れ」と云うのを拵えましたがこれはあまり受け入れられなかったようです。
芝濱
勝五郎は腕の良い魚屋だが、酒好きがたたってろくに仕事もしない。ある朝女房に叩き起こされてしぶしぶ芝の魚河岸に出かけたが、浜で四十二両の金が入った財布を拾い早速友達を呼んできて大騒ぎをする。翌朝また女房に起こされ金を拾ったのは夢だと知らされ、了簡を入れ替え好きな酒を断って働く。三年後の大晦日の晩、女房は汚い財布を勝五郎の前に置き夢ではなかった事を告げ詫びる。勝五郎はこうして表店を張れる様になったのは女房のお蔭と礼を言い、女房のお酌で三年ぶりに酒を注いで貰う。

★圓朝師作で「芝濱」「革財布」「酔っ払い」の三題噺としてあります。先代の三木助師の十八番でした。安藤鶴夫先生の前で演って直して貰いながら練り上げたと云うのですが、この話はあたしは嫌いです。人情噺や世話噺の評価はお客様の好みに大変に左右されやすいのですが、噺家はどこまでも自分の感覚で拵え上げていくもので、それを好むか好まないかはお客様次第。特定のお客様の好みに合わせるものではないと思っています。
江戸の暮れから正月の風情が出て、まっこと良い噺です。

「第四番蔵出し」の寸釈をご覧下さい。
 
唐茄子屋政談
若旦那の徳三郎は道楽が過ぎて家を勘当になる。吾妻橋から身を投げようとするところを叔父さんに助けられ、叔父さんの世話で唐茄子を売り歩く。夏場の事で重い荷に音を上げているところを通り掛かりの者に助けられ、人の情けを知る。売り声の稽古をしながら吉原田圃に出て、物思いにふける。誓願寺店という貧乏長屋で貧しい母子に同情し売り溜めを置いて出る。叔父さんは金を置いてきた事を心配し徳三郎同道で長屋に行く。女は徳三郎の置いていった金を家主に持っていかれ、すまないと首吊り未遂をし、長屋中で心配をする。徳三郎は腹を立て家主の家に押しかけ、薬罐で家主を殴り付け長屋の者は快哉を叫ぶ。

★これも良い噺です。政談と云うからには昔はお白州があったのでしょうか。速記には残っていません。わがままな若旦那が段々と情けを知っていくところが良く描かれています。大概は時間の関係で誓願寺店まではやりません。吉原田圃で切る場合が多いようです。現在は吉原田圃で花魁を思い出しながら何か歌うのが聴かせ所の様になっていますが、誰が始めたのでしょうか。圓朝、圓右、柳枝の速記を読んでもこの部分はありません。結構歌うのが好きだった志ん生師あたりかもしれません。志ん生師は哥沢で「薄墨」を、圓生師は上方唄で「小簾の戸」を歌ってました。歌の苦手な者は都々逸にするなど結構苦労なところです。

「第拾壱番蔵出し」の寸釈をご覧下さい。

 

中村仲蔵

初世中村仲蔵は大部屋から身を起こして名代に昇進をする。しかし森田座が夏の狂言に出した忠臣蔵でついた役は、格下の相中の役どころの定九郎ひと役。自棄になりかかる仲蔵に女房が今までにない定九郎を拵え上げろと励ます。柳島の妙見様に願をかけ満願の日の帰りがけ夕立に遭い、雨宿りに入った蕎麦屋に飛び込んできた旗本の姿を見て役の工夫をつける。芝居の初日、今迄の様に山賊姿の定九郎と思うところへ白塗りの黒羽二重の姿で出てきたのを見てお客は其の良さに唸る。仲蔵は悪受けがして芝居を台無しにしたと勘違いし、上方に逃げようと魚河岸を通りかかると立ち話に定九郎の好評を聞き、女房に知らせようと立ち帰る途中、団十郎の番頭に会い団十郎の家へ連れて行かれる。団十郎、師匠、勧進元と揃っているのを見て仲蔵は出過ぎた事をしたと詫びる。団十郎は仲蔵の誤解を解き勧進元はこの芝居はいつまで続くか知れないと告げる。仲蔵は隣座敷に来ていた女房とともに喜ぶ。

★三代目中村仲蔵の「手前味噌」から取った人情噺。芝居の好きなお客様には堪えられない噺でしょう。もっとも芝居の部分がそれらしく出来なければぶち壊しになりますので、やはり演者にはある程度の芝居の素養が求められます。この噺の中で定九郎は、白塗りに黒羽二重で身体に水をかけ、滴を垂らしながら花道を駆け抜けるのですが、実際にこの形でやった芝居は見た事がありません。一度この通りにやって貰いたいのですが。
本来は下げはないのですが演者がそれぞれに付けています。正蔵師の下げは師匠に祝いとして煙草入れを貰い、家へ帰って女房が「なんだか煙にまかれたようだよ」「あ、貰ったのが煙草入れ」。圓生師のが「死のうと思いました」「あっはっは。おまえを仏に出来るものか、芝居の神さまだ」と下げていました。

「第拾六番蔵出し」の寸釈をご覧下さい。
 
・百年目

去る大店の番頭は、大層かたい番頭と思われている。今日も端から端まで奉公人に小言を言った挙げ句に外へ出たが、駄菓子屋の二階へ上がると粋ななりに着替え柳橋に向かう。船では芸者幇間持ちが待ち構え向島に花見に出かける。が、向島の土手で主人と出くわし慌てて平伏をする内主人は行ってしまう。店に帰った番頭は開き直るか逃げ出そうかと、一晩寝る事ができない。翌朝主人に呼ばれ覚悟をして行った番頭に主人は天竺の南縁草の譬えを持ち出し、店の若い者にもう少し情けをかけるように頼み、これまでの番頭の働きを誉め礼を言う。そして近々にのれん分けをする事を約束をされ、番頭は感涙する。

★これもなかなか良い噺ですが、ある程度年齢が行かないと難しい。旦那がそれとなく意見を言い礼を言う所は、旦那の懐の深いところが出せないと嫌みになるばかりです。若い内はそれが難しいんですね。今でも演っていていささか決まりが悪い。やっぱり六十過ぎてから位がちょうど良いのでしょうか。経営者の集まり等でこれをやると「経営者の心構えを教えられました」と大層受けが良い噺です。(^^;; 演る方はそれ程に思ってないんですがね。
・文七元結

左官の長兵衛は博打にはまり込み、負けて家に帰ると女房が娘のお久がいないと言う。心配をするところへ吉原の佐野槌という女郎屋の若い衆が、娘が見世に来ている事を告げて迎えに来るように言う。長兵衛は女房の着物を着て佐野槌にやってくる。娘のお久は長兵衛が稼業に戻るように自ら身売りをしたのだと女将から聞かされ、説教をされて五十両の金を借り受ける。帰る途中の吾妻橋で身投げを助ける。主人の金の五十両を掏られたので詫びの為に身を投げると言う。長兵衛は娘の身の上と板挟みになりながらも「お前は金がなけれゃ死ぬんだから」と、五十両の金を与えて去る。手代の文七は感謝をして家に帰ると掏られたと思った金は先方に忘れただけで、先に店に届いていると聞いて狼狽をする。訳を質した主人が長兵衛の行為に感服をする。翌日主人と文七が長兵衛宅にやって来て礼を言う。所へお久が帰って来て、主人に身請けをしてもらったと言う。

★これも良い噺です。(^O^) 良い噺ばかりで恐縮ですが実際そうだから仕方がありません。談志師匠が「見ず知らずの男に五十両の金をやる奴の気が知れない」と言いましたが、だから長兵衛らしいし、後半の部分が引き立つんですね。志ん朝師が落語研究会でやって楽屋で着替えている時に、そこにいた若手が談志師匠と同じような事を言いましたら、志ん朝師が「そう云う了簡の奴はこの噺はやらなくていい」と言っていましたが、あたしも同感です。談志師匠もそう言いながらもこの噺はやります。好きなんですね。(^。^) なにしろ、職人、女房、娘、女郎屋の女将、若い衆、大店の旦那、番頭、手代と難しい役どころがずらりと出てきて、この噺が出来るようになれば大概の噺は出来るでしょう。演者からすれば演りがいのある噺。
 

 

 

息子
淀五郎

人情噺私考  人情噺お江戸の世界

 落語には大きく分けて、落し噺と人情噺があります。落し噺は滑稽を主としたものでよくご存知の事と思いますが、もう一つの人情噺に少し誤解がある様です。
 
 現在寄席の興行はひと月を上席中席下席と分けた十日興行ですが、以前はひと月興行がほとんどでした。ひと月となるといかに落し噺の名人でも三十日三十席を演じてお客を呼ぶのは難しい。そこで考えたのがひと月に渡る続き物の噺です。噺の展開の興味でお客を引き付けようという訳です。ま、昔の紙芝居や、TVの連続ドラマと同じ考え方です。こうした噺を人情噺と言いました。江戸の香りがふんぷんとする噺が大半です。
 
 所が現在は寄席の興行も十日間になりましたし、ひと月通うお客様もおりません。自然続き物は廃れてきました。ただ人情噺でも一席で完結するものもあり、そうした噺は今でも残っています。
 
 しかし最近では「人情噺」という語感から演者もお客様も誤解をしている所があるようです。人情噺を演じるとすぐに「泣かせ」にかかる噺家が増えてきたのです。以前のお客様は噺家が人情噺で泣かせにかかると眉をひそめる方が多かったものです。中には席を立ってしまう聞き巧者の方もありました。所が近頃は、お客様の方で「さぁ、泣かせて下さい」と云う方が増えてきました。それに合わせて噺家も露骨に泣かせにかかります。中には落し噺で泣かせにかかったりもします。
 
 確かに現在は人前で泣く事を恥とは思わなくなりました。そうした風潮の影響もあると思います。でもそれは人情噺を取り違えていると思います。人の情は泣くことばかりではありません。喜怒哀楽の他にも様々な情があります。それらを適切に演じ分けて人情の温かみを感じさせるのが本来だと思います。またそれこそが男っぽいお江戸の芸だろうと思います。
 
 この頃の高校球児は勝って泣き負けて泣きと、人目をはばからずよく泣くシーンが見られます。それはそれで良いのですが、泣きたい所をぐっと我慢している姿もまた男っぽく感動的です。歌舞伎狂言でも女性的な上方狂言より男らしい江戸狂言に魅力を感じます。そうしたざっくりとした温かみのある人情噺があたしは好きですし、本来ではなかろうかと思います。
 
 落語も全国的な演芸として認められた為に、さまざまな感覚が入り混じって平均化されていますが、やはりどこかしらには江戸東京の感覚に根ざした地域芸能の一面も残しておきたいと思っています。

  


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世話噺について

 そもそも世話噺というジャンルはありません。上記の「人情噺私考」に書きましたように、ひと月あるいは半月に渡って演じる続き物の噺を人情噺と言いました。噺が佳境に入ったところで、「へい、この続きは又明晩」てな訳でひと月の間お客を呼んでしまおうと云うわけです。

 ところが現在人情噺といいますと、「子別れ」「芝濱」などの泣かせ所のある一席物の噺を指すようになりました。連続ものが廃れてしまったので仕方がないところですが、本来は人情噺というと続き物のことなのです。

 ですから昔から「人情噺が出来なければ、一人前の真打ちではない」と言いますが、これはお客様を泣かせることが出来なければ云々ではなく、続き物を演じてひと月の間お客を呼ぶ力が無ければ真打ちではないという意味だったのです。

 しかし現在では 人情噺=泣かせ のイメージが出来あがっていますので、圓朝物やら「お富與三郎」やらを人情噺と言うとお客様の方に結構違和感があるようです。そこで現在「人情噺」として通っているものはそのままにして、続き物の方は世話講釈になぞらえて「世話噺」とあたしが勝手にネーミングをしたものなのです。あたしは結構便利だと思っているんですが・・・・   

 自分の根多の分類では一席物でも落し噺にも人情噺にも入らない物はここに入れてあります。


・お富與三郎
  • お富與三郎・発端
    横山町の鼈甲問屋伊豆屋の独り息子與三郎は希代の美男子。ある時與三郎が友達と吉原から猪牙舟での朝帰りの途中、友達が船頭と揉め事を起こし川へ落ちて行方不明になる。これを内緒にしたのをタネに後に船頭に強請られる。薬湯の帰りに又強請られている與三郎を、伊豆屋の地面内に住んでいる手習いの師匠関良介が間に入り、両人を自宅に連れて行く。良介は金は立て替えるからと與三郎を家に返す。預けてある金を取りに行こうと雪の中を良介と船頭が飯田町に向かう。其の途中良介は船頭を斬り、死骸はお堀にほうり込む。翌日伊豆屋の主人に話をして與三郎は暫く木更津の叔父のところへ預けられる。
    ★これと云った聴かせ所はないが、いかにも発端らしく後への期待を繋がせる展開。朝霧の大川を猪牙船で下る風情など江戸を感じさせて好きな噺。吉原のくだりは少し「明烏」に似る。

    「第八番蔵出し」の寸釈をご覧下さい。
     
  • お富與三郎・木更津
    與三郎と木更津の顔役赤馬源三右衛門の女房お富は恋仲になり、密会をしている所を源三右衛門と子分の松蔵に踏み込まれる。與三郎はお富の見ている前でなます切りにされる。見るのも辛いとお富は逃げだし木更津の海へ身を投げる。
    ★俵詰めにした與三郎を藍屋に運んで談判をするところまでやると75分くらいかかる。本来二席分か。お富の婀娜っぽさ、與三郎の初心さ、嫉妬に狂ったやくざの 恐さがポイント。
     
  • お富與三郎・玄冶店
    江戸へ帰った傷心の與三郎、外出もせず鬱々として三年を過ごす。両親の勧めで嫌々出かけた両国の花火の帰りに、お富らしき姿を見かけ玄冶店の家までついて行く。家に入れずにいるのを蝙蝠の安五郎と目玉の富八という破落戸に手伝って貰い、再会を遂げる。
    ★芝居でお馴染みの所。今業平と評判された與三郎が化け物のような姿に変わるのが全編の味噌。與三郎もその負い目を強く持つ。それを踏まえて「しがねぇ恋の〜」の口説を言うと深くなる。それが出来たのは今の所孝夫のみ。ま、ここは深くなくても良いと思いますけど。
     
  • お富與三郎・稲荷堀
    再会をした二人は安五郎達の勧めで家を博打の相宿に貸すが、取り締まりがきつくなり金に困る。やむを得ずお富は與三郎を親類と偽って、鉄物問屋の藤八の妾になる。その事を目玉の富八が小遣い銭欲しさに藤八にばらしたのを、戸棚の中で聞いていた與三郎が、雨の稲荷堀で富八を刺す。
    ★與三郎が段々と悪に染まっていくのをお富が手助けをするのが面白い。まだ少し若旦那風を残しながら殺しをするのが難しいところ。
     
  • お富與三郎・茣蓙松
    夕立にお富の家の軒下へ雨宿りをした茣蓙屋の主人松屋芳兵衛を美人局にかける。芳兵衛はその始末を家主伊之助に頼む。伊之助は田舎者仕立てで與三郎を丸め込み示談金の大半を懐にする。それを知ったお富と與三郎は伊之助の家へ怒鳴り込む。
    ★江戸の小悪党と小悪党が渡り合う面白いところ。與三郎はここでようやっと悪党らしく変身をします。昔の名人上手が演ったら堪えられないでしょうね。
     
  • お富與三郎・島抜け
    悪事露見をして、お富は永牢與三郎は佐渡へ島流しとなる。過酷な使役に耐えられぬ與三郎は一緒に送られた御家人鉄五郎、坊主松の二人と共に島抜けを企てる。
    ★大変動きのあるところで、波瀾万丈。どこか映画「パピヨン」を思わせます。ここをやるについて、いろいろと速記を読んだのですが、抜け出すくだりは「お差し障りもありますれば云々」でどの速記も略して有りました。やっばり検閲に引っかかったんでしょうかねぇ。
お初徳兵衛
道楽の末勘当された平野屋の若旦那徳兵衛は、大松屋という柳橋の船宿の主人の世話で船頭になる。四万六千日の日、馴染み客の油屋九兵衛とそのお得意の天満屋、柳橋の芸者のお初を乗せて、吉原へ漕ぎ出す。山谷堀で九兵衛と天満屋を降ろし、その時分御法度と云われた一人船頭一人芸者で柳橋へ帰る途中、夕立に遭い首尾の松の下で雨やみをする間、お初は子供の時分から憧れていた徳兵衛に思いを打ち明けて迫る。
★本来は「お初徳兵衛浮名の桟橋」。初代古今亭志ん生が得意にしたと言われる。近松門左衛門の「曾根崎心中」の名前取りになっています。この後は心中立てとなってきます。鼻の円遊がこの噺を改作して「船徳」にしました。「十九番蔵出し」の寸釈をご覧下さい。大川の風情がよく表れてなかなかの佳品。

・お若伊之助
薬問屋の一人娘お若は一中節の師匠伊之助と恋仲になる。それを母親に知られ母親は手切れ金を出して二人を別れさせ、お若は根岸の叔父の道場主長尾一角の家に預けられる。ところが毎晩根岸に伊之助が忍んで現れ、お若はみもごる。間に入った鳶頭が怒って伊之助に談判に行くが、伊之助は覚えが無いという。
★本来は「根岸御行の松因果塚の由来」と云う圓朝師の作です。結構長い噺ですが、この発端の部分しか演られません。この部分だけやる時には狸の双子が産まれますが、続き物ですと男女の双子が産まれて末に夫婦になってしまう因果噺になります。
 
・怪談乳房榎・重信殺し
絵師菱川重信は高田砂利場村の寺へ泊まり込みで本堂の龍を描きにいっている間、門弟の磯貝浪江は重信の女房おきせを脅して通じてしまう。重信が邪魔になり寺へ行って下男の正介を連れだし、重信の殺しを強要する。
★真景累ケ淵と並ぶ圓朝の代表作。蛍狩りの場の殺しが何とも印象的。殺しの先もまずまず面白いのですが、ほとんど演られません。忠義者の正介を料理屋へ連れ出し殺しの手伝いをさせる様に持っていくところが大変難しい。
 
・鰍澤
身延山へ参詣帰りの男が雪の中道に迷いあばらやに宿を求める。そこの女主人は以前男が吉原に行ったときに出たことがある月の輪のお熊という女だった。お熊は男の懐に目を付けて毒を入れた卵酒を勧め、男は一杯だけ飲んで寝てしまう。お熊が酒を買いに行った所へ亭主の伝三郎が帰り、残った卵酒を飲みもだえ死ぬ。お熊は亭主の敵と雪の中を逃げ出した男を鉄砲を持って後を追う。
★圓朝作の三題噺の傑作。主眼はほとんど描写だけと言っても良い噺。つまり描写が出来なければまるで「へ」になってしまう。惜しいかな下げが拙劣。どなたか良い下げを考えて下さい。名人圓喬が得意にしてやり、下げを言って頭を下げても客は勢いに呑まれて手が鳴らず、楽屋へ降りた頃に漸く手が鳴ったてぇ逸話がありますが、あたしはこれは圓喬の上手さと云うよりあまりの下げの唐突さに客が唖然としたんだと思っています。
 
敵討札所の霊験
 
  • 敵討札所の霊験・善之進殺し
  • 敵討札所の霊験・七兵衛殺し
  • 敵討札所の霊験・お梅殺し
髪結新三
廻り髪結いの新三が白子屋のお熊に岡惚れをして、お熊の惚れている忠七をダシにして自分の家に拐かす。仲介を受けて顔役の弥太五郎源七が話を付けに行くが返って恥をかかされて帰る。一部始終を見ていた家主長兵衛がこれを引き受け、店立てを盾に娘を取り戻し、示談金の大半を取り上げてしまう。
「十八番蔵出し」の寸釈をご覧下さい。
 
・九州吹戻し
江戸の幇間きたり喜之助が江戸を逃げ出し、洛中洛外から四国の金比羅九州の熊本へと流れ落ち、ここで江戸で知り合いだった茶屋旅篭の主人と再会をし世話になる。三年辛抱したところで金も貯まり江戸恋しさに旅立つ。運良く江戸へ廻る親船に乗ることが出来たが、玄界灘で嵐に遭い吹き戻される。
★初代志ん生の十八番。今聴くとどうという事はない噺ですが、志ん生の華麗な噺口が生涯江戸を離れることがなかった聴衆に旅のロマンをかき立てさせたのでしょう。訥弁であったと云われる圓朝に「俺には真似もできねぇ」と言わせたのが分かる気がします。
 
真景累ケ淵
 
  • 真景累ケ淵・宗悦殺し
  • 真景累ケ淵・新五郎
  • 真景累ケ淵・豊志賀
  • 真景累ケ淵・お久殺土手甚蔵
  • 真景累ケ淵・お累の婚礼
  • 真景累ケ淵・勘蔵の死迷駕篭
  • 真景累ケ淵・お累の死
  • 真景累ケ淵・名主殺し湯潅場
  • 真景累ケ淵・聖天山
 
政談月の鏡・発端

 

つづら
別名「つづらの間男」本来は「成田の間男」らしい。速記も残っていない珍しい噺。あたしの師匠が若い時分に旅先で八代目桂文治(だと思った)に教わった噺。あたしの師匠のは、質に入れる金高が七両二分ではないのですが、ここはやはり七両二分の方が洒落が効いてくると思って直しました。下げが少しカライのですが、「利を上げておきます」というのはいわば業界用語で「利を入れておきます」の意味だそうです。つまり本来質に入れた方が流さないために利を入れるのを、質屋の方から言い出すおかしさで、逆さ落ちになります。あたしの上演台本を掲載しておきますのでご覧下さい。
 
天保六花撰・上州屋から玄関先

 

業平文治
 
  • 業平文治漂流奇談 其の一
  • 業平文治漂流奇談 其の二
  • 業平文治漂流奇談 其の三
  • 業平文治漂流奇談 其の四
 
猫定

 

・双蝶々
 
  • 上・湯島大根畑
湯島大根畑の長屋に住む八百屋の長兵衛の息子長吉は子供の時分からの悪性で、継母のお光に寿司を食うから銭をくれと言うのを断られるとお膳を蹴飛ばして外へ出て行く。長吉は仕事を終えて酔って帰ってきた長兵衛にある事ない事告げ口をし、怒った長兵衛はお光を殴る。止めに入った家主にも悪口を付き、家主の家に連れて行かれて寝かされる。酔いの醒めた長兵衛に家主は事実を伝え、長吉を奉公に出す事を勧める。
 
★噺の導入部でこれと云った筋立てはないが、長兵衛、お光の壮年の元気な様を描く事によって後半の「雪の子別れ」の哀れさが一層引き立ってくる。
  
  • 中・定吉殺し
家主のの勧めで山崎町の山崎屋と云う玄米(くろごめ)問屋に長吉は奉公に上がる。長吉が十八の年に店の内湯が壊れたので、店の者を町内の銭湯に出していたが、長吉の帰りが遅いのに不審を抱いた番頭が長吉の後をつける。そうとは知らず長吉は下谷広徳寺前で出店の長五郎と盗みを働く所を番頭に目撃される。弱みを握った番頭は吉原の花魁を身請けをする金五十両を主人の寝間から盗み出す様長吉を脅す。長吉はやむを得ず金を盗み出すが、事情を知られた小僧の定吉を絞め殺す。
 
★長吉が本当の悪に目覚めていく場面。「盗みはならぬ」と意見をする番頭が一転して長吉を脅しにかかる所が見せ場。定吉を絞め殺すところも緊張の場面だが正蔵師匠は「子供を殺すのは可哀相」とここの所はやりませんでした。
 
  • 権九郎殺し
番頭の権九郎が西河岸田圃の六郷様の塀外で長吉が金を持ってくるのを待っている。ところへ長吉がやってくるが「こっちもちっと入用で・・・・」と金を渡さない。業を煮やして番頭が奪いにかかると長吉は懐に呑んでいた匕首で権九郎を殺害し、そのまま奥州路へと逐電をする。

★ここのところは丸っきり芝居仕立てに成ります。あたしが二つ目に成り立ての頃、圓生師が虎ノ門ホールで双蝶々の通しを出した時に始めてこの「権九郎殺し」を見ました。その後自分で双蝶々を演る様になってから、なんとかこの部分を再現したいと諸先輩に段取りを聴いたのですが誰も知りませんでした。もう再現不可能かと諦めておりましたら、ある方がその時のビデオを持っているからと貸してくださいました。その当時の事で画質は悪いのですが大層貴重なもので、お蔭でなんとか「権九郎殺し」を再現する事が出来ました。
 
  • 下・雪の子別れ
長吉の父親の長兵衛は、息子の犯した罪に肩身を狭くして諸所を転々として本所の番場の裏長屋に越してきた時に腰が抜けて患いつく。女房のお光が良く看病をするが女の手内職ではやっていけず観音様にお百度を踏みに行くと言って袖乞いに出る。たまたま通りかかった男に乞力を願った相手が江戸に残した父親の安否を気遣って奥州から出てきた長吉であった。長吉はお光の案内でやつれた長兵衛と対面をする。長兵衛は長吉に小言を連ねるが長吉は素直に受ける。五十両の金を置いて両親に別れを告げ外に出たが、吾妻橋で長吉はついに御用となる。

★対面での親子の心理が実に良く描かれていて、描写が大変に難しい所です。後半長兵衛の長屋を出てからは芝居仕立てに変わります。この噺は「通し」で演じて一段と面白くなると云う事を自分で演ってみてはじめて分りました。「上」はやはり「下」と対になっているのです。さて今度「通し」で演れるのは何時の事ですか。

                              

怪談牡丹燈篭
 
  • 牡丹灯篭・お露新三郎
  • 牡丹灯篭・お札はがし
  • 牡丹灯篭・お峰殺し
  • 牡丹灯篭・関口屋の強請
 
緑林門松竹
 
  • 緑林門松竹・新助市
  • 緑林門松竹・熊谷の捕り物
  • 緑林門松竹・またかのお関
  • 緑林門松竹・惣右衛門殺し
  • 緑林門松竹・豪右衛門殺し
 
宮戸川・通し

 

・名人長二
 
モーパッサンの「親殺し」を噺に直したもの。新聞の原稿用に書き下ろしたもので実際に口演はされなかったようです。あたしは平成八年六月上席に鈴本演芸場でこの噺を連続口演をして火を吹きました。なんてったって四時間になんなんとする一人芝居を演じたようなものですから。
 
  • 名人長二・仏壇叩き
    十歳で親方清兵衛に弟子入りをした指物師の長二が、蔵前の札差の坂倉屋助七に依頼をされて仏壇を拵える。その出来栄えに助七は喜んだが手間料が百両と聞いて難癖を付ける。怒った長二は才槌を放り、それで殴って釘一本緩んだら手間料は要らないと言う。助七はもし壊れなかったら千両に買ってやると力任せに叩くが止め口は微塵も揺るがない。助七は感服して千両払うと言うが、長二は手間料だけ貰って帰る。
     
  • 名人長二・湯河原宿
    子供の時分の背中の古傷が傷むので、手伝いの兼松と供に相州湯河原へと湯治にやってきた長二が、背中の傷の話がキッカケで宿の婆さんから、自分がこの湯河原の藪の中に捨てられていた捨て子で、背中の傷は放り込まれた時に竹の切り株が突き刺さった傷だと聞かされて、実の親の無慈悲を知る。
     
  • 名人長二・谷中天龍院
    養い親の墓所のある谷中天龍院で知り合ったお屋敷の御用をする亀甲屋幸兵衛は、和尚から長二の身の上を聞いて大いに驚き、度々長二の家を訪れては種々に品を注文をする。ある時近付きになりたいと幸兵衛と共に長二の家を訪ねたお柳は長二の顔を見て真っ青になり、血の道を起こして帰る。長二が亀甲屋の柳島の別荘を訪ねた時に夫婦に背中の傷を見せたところ、お柳は癪を起こす。その様子を見て長二はこの女が自分を産んだ母親と察する。
     
  • 名人長二・請地の土手
    亀甲屋幸兵衛夫婦が長二の家を訪ねた時、長二は親子の名乗りをしてくれるように頼む。夫婦は狼狽をし、五十両の金を置いて逃げるようにして柳島へ急ぐ。長二は金は受け取れぬと、先回りして請地の土手で待ち受け再び親子の名乗りをするように頼むが、幸兵衛になじられ果ては取っ組み合いとなる。幸兵衛の抜いた短刀を取ろうとするが幸兵衛は誤って自分の胸を突いてしまう。お柳と共に転ぶはずみにお柳の背中も刺し、心ならずも長二は夫婦を殺害してしまう。
     
  • 名人長二・清兵衛縁切り
    長二の居所が知れなくなって、親方清兵衛、養子の恒太郎夫婦、兼松らが心配をしているところへ長二が酔って現れる。清兵衛が自慢に見せた出来上がったばかりの桑の書棚に難癖をつけ、才槌でばらばらに壊した上、縁切りの書き付けを書いて表へ飛び出す。翌日長二は南町奉行所へ駆け込み訴えをする。
     
  • 名人長二・お白洲
    南町奉行筒井和泉守様はかねてより長二の技量の非凡な事心底の潔白な事を聞き、助命しようと狂人の扱いにしようとするが、却って長二は怒り出し事実を明白に述べ立てたので親殺しの廉は免れず思案に屈する。探索を進めたところ、幸兵衛が亀甲屋に入夫になる時に美濃屋文字作夫婦が周旋をした事を聞き白洲を立てて吟味したところ、長二は先の亀甲屋の主人半右衛門の胤であることが分かるが、お柳は実母ゆえやはり親殺しは免れないと諦める
     
  • 名人長二・大団円
    調べを終えて帰った文字作夫婦の家へ、郷里に隠遁していた針医者の玄石が無心に来る。文字作が断ると怒った玄石が柳の内意を受けた文字作夫婦から半右衛門の殺害依頼をされた事実を、声高に談判しているところを捕方に押さえられる。幸兵衛お柳の悪人であることは判明をしたが、お柳は実母ゆえ親殺しは免れず奉行は老中へ伺いを立てる。老中から申し立てを受けた将軍家斉は、儒者林大学守を召し講釈を受け、長二は実父の敵討ちをしたと裁断をする。その旨奉行所に伝達をされ筒井和泉守は喜んで白洲を立て、その旨を告げて落着する。
     
 
やんま久次
 圓朝師の「緑林門松竹」の内とされているが、圓朝全集には載っていない。と云うのは初代志ん生が「大べらぼう」として演じて評判の良かったものを「緑林門松竹」に取り入れて演っていたものの様で、流石に全集には入れ難かったのでしょう。どうやら圓朝師はこの「大べらぼう」をまたかのお関と云う女悪党に置き換えて演っていた様です。圓朝師は柳派で評判の良かった「子別れ」を「女の子別れ」として似た噺に拵え上げて演っていたりします。昔はこう云うことが多かったんですかね。大体圓朝師は翻訳ものなど他から持ってきて自分のものにしてしまう事が多かったようです。この噺の本来の下げは、啖呵ののところで立ち上がり、「大べらぼうめっ」と見栄を切り、右手は弥蔵、左手は裾を持って、「さつまさ」を唄いながら引っ込むと云うものだったそうです。正蔵師がこの形で演ったことがあるそうですが、あたしは見ていません。まだこの形で演るのは照れ臭いので、自分なりの工夫にしました。上演台本を載せておきます。
蔵出しに戻ります
 

・四谷怪談




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